「市川一家4人殺人事件」の版間の差分
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+ | 関死刑囚は事件当時19歳。20歳未満を適用対象とする少年法は、事件当時18歳未満だった少年の死刑を禁じているが、18、19歳は許容されている。同日の記者会見で執行を明らかにした[[上川陽子]]法相は事件の被害の甚大さなどから異例の執行を決断したとみられる。 | ||
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+ | 事件当時少年だった死刑囚の執行は、4人を射殺した[[永山則夫]]元死刑囚(執行時48歳)の例がある。永山元死刑囚の最高裁判決([[1983年]])は死刑選択の基準として9項目を挙げ、それらを総合考慮するとした。この「永山基準」の一つとして被告の年齢が挙げられているが、永山元死刑囚は死刑判決が確定し、[[1997年]]に執行されている。 | ||
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+ | 事件当時少年で、死刑が確定したケースはその後も複数出ている。大阪、愛知、岐阜の3府県で[[1994年]]、男性4人が殺害された3件の連続リンチ殺人事件では、事件当時18~19歳の元少年3人が強盗殺人罪などに問われ、[[最高裁]]で[[2011年]]3月に確定。判決は「青年4人の命を次々と奪った結果は誠に重大」と指摘し、少年だったことなどを考慮しても死刑はやむを得ないと結論づけている。 | ||
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+ | [[山口県]][[光市]]の母子殺害事件([[1999年]]))では、事件当時「18歳と30日」だった元少年が殺人罪や強姦致死罪などに問われた。1、2審で無期懲役とされたが上告審で差し戻しとなり、差し戻し控訴審で死刑が言い渡され、[[2012年]]2月の差し戻し上告審で死刑が確定。この時の上告審判決で、最高裁判事の1人([[弁護士]]出身)が「精神的成熟度が18歳を相当程度下回っている場合は死刑回避の事情があるとみるのが相当で、審理を尽くす必要がある」と再度の審理差し戻しを求める反対意見を示した。 | ||
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+ | 2016年6月には、[[宮城県]][[石巻市]]で元交際相手の姉ら3人を殺傷したなどとして殺人罪に問われた事件当時18歳の元少年の死刑が最高裁で確定した。[[裁判員裁判]]で死刑が言い渡され、確定した唯一の少年事件で、判決は「事件当時18歳7カ月であり前科はないが、深い犯罪性に根ざした犯行で死刑を是認せざるを得ない」と述べている。 | ||
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2017年12月23日 (土) 00:54時点における最新版
市川一家4人殺人事件(いちかわいっか4にんさつじんじけん)は、1992年3月5日に千葉県市川市で発生した当時19歳の未成年者による殺人事件である。
事件の概要[編集]
1992年2月、関光彦(当時19歳)は、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことにより、暴力団関係者から200万円を要求されていた。工面に困った関は、その数日前に交通事故で轢き強姦した女子高校生のA子(当時15歳)の家に強盗目的で押し入る事にした。
3月5日午後4時30分頃、関は家に押し入り、現金8万円を奪った後A子の祖母(当時83歳)を絞殺。その後、帰宅したA子を監禁し、午後7時頃に帰宅したA子の母親(当時36歳)を刺殺。A子を強姦した後、午後9時頃に帰宅したA子の父親の会社社長(当時42歳)を殺害、預金通帳を奪う。翌6日午前6時頃、A子の妹(当時4歳)を刺殺。
同日午前9時過ぎ、A子の父親の会社から「様子がおかしい」と通報が入り、警察官が駆けつけて関を逮捕し、A子を保護した。
裁判[編集]
1994年8月8日、千葉地方裁判所で関に死刑判決が言い渡された。関は控訴したが、1996年7月2日に東京高等裁判所は控訴を棄却。更に上告するが、2001年12月3日に最高裁判所で上告が棄却され、死刑が確定した。
過去に暴行事件や強姦事件(事件実行当日にも別の被害者への強姦事件を起こしている)を起こしていた点、逮捕されてから裁判中まで、被疑者の関には事件を起こしたことに対して全く反省した態度が見られない点、A子の目の前でA子の肉親を殺害したという残虐性、警察が踏み込んだ際にA子に包丁を持たせ自分が被害者を演じた計画性などが裁判で重く見られた。
未成年者に死刑が言い渡され、刑が確定するに至ったのは、永山則夫連続射殺事件の永山則夫以来であった。
元少年死刑執行。4人殺害、重大さ考慮。法相異例の決断(2017年12月)[編集]
千葉県市川市の会社役員一家4人殺害事件(1992年)で強盗殺人罪などで死刑が確定した関光彦死刑囚(44)ら2人の刑が2017年12月19日午前、執行された。
関死刑囚は事件当時19歳。20歳未満を適用対象とする少年法は、事件当時18歳未満だった少年の死刑を禁じているが、18、19歳は許容されている。同日の記者会見で執行を明らかにした上川陽子法相は事件の被害の甚大さなどから異例の執行を決断したとみられる。
事件当時少年だった死刑囚の執行は、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(執行時48歳)の例がある。永山元死刑囚の最高裁判決(1983年)は死刑選択の基準として9項目を挙げ、それらを総合考慮するとした。この「永山基準」の一つとして被告の年齢が挙げられているが、永山元死刑囚は死刑判決が確定し、1997年に執行されている。
事件当時少年で、死刑が確定したケースはその後も複数出ている。大阪、愛知、岐阜の3府県で1994年、男性4人が殺害された3件の連続リンチ殺人事件では、事件当時18~19歳の元少年3人が強盗殺人罪などに問われ、最高裁で2011年3月に確定。判決は「青年4人の命を次々と奪った結果は誠に重大」と指摘し、少年だったことなどを考慮しても死刑はやむを得ないと結論づけている。
山口県光市の母子殺害事件(1999年))では、事件当時「18歳と30日」だった元少年が殺人罪や強姦致死罪などに問われた。1、2審で無期懲役とされたが上告審で差し戻しとなり、差し戻し控訴審で死刑が言い渡され、2012年2月の差し戻し上告審で死刑が確定。この時の上告審判決で、最高裁判事の1人(弁護士出身)が「精神的成熟度が18歳を相当程度下回っている場合は死刑回避の事情があるとみるのが相当で、審理を尽くす必要がある」と再度の審理差し戻しを求める反対意見を示した。
2016年6月には、宮城県石巻市で元交際相手の姉ら3人を殺傷したなどとして殺人罪に問われた事件当時18歳の元少年の死刑が最高裁で確定した。裁判員裁判で死刑が言い渡され、確定した唯一の少年事件で、判決は「事件当時18歳7カ月であり前科はないが、深い犯罪性に根ざした犯行で死刑を是認せざるを得ない」と述べている。
その他[編集]
殺害されたA子の父親の会社社長は、1984年にロス疑惑で注目されていた三浦和義の週刊誌記事に掲載されたプライベート写真を撮影したカメラマンでもあった。
関連書籍[編集]
- 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』永瀬隼介・著(角川文庫)ISBN 978-4043759019
- 『19歳の結末 一家4人惨殺事件』祝康成(永瀬隼介)・著(新潮社)ISBN 978-4104398010