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1.「常に絶対的にそうであるものは、存在しない」("Nothing is always absolutely so.")。 | 1.「常に絶対的にそうであるものは、存在しない」("Nothing is always absolutely so.")。 |
2017年9月24日 (日) 16:58時点における最新版
スタージョンの法則 (- ほうそく、英語:Sturgeon's law)とは、SF作家シオドア・スタージョンの言葉から導きだされた格言である。
1.「常に絶対的にそうであるものは、存在しない」("Nothing is always absolutely so.")。
スタージョンはまた、もっと有名な格言の元にもなっている。こちらは正確には「スタージョンの黙示(すっぱ抜き)」として知られているものである。現在では「スタージョンの法則」といった場合、実際にはこちらを指すことがほとんどである(オックスフォード英語辞典を含む)。
2.「どんなものも、その90%はカス(crud)である。」
起源[編集]
スタージョンの法則は1972年の en:David G. Hartwell との対談で初めて言及された(この対談はThe New York Review of Science Fiction #7 and #8, March and April 1989として出版されている)。それには「スタージョンの法則は元来、'Nothing is always absolutely so.' のことであった。もう一つの方は「スタージョンの黙示」として知られている」とある。
「スタージョンの黙示」の初出は『Venture Science Fiction』誌(1958年3月号)である。そこでスタージョンは、以下のように述べた。
「私はスタージョンの黙示を繰り返す。これは、私が20年というもの、SFを人々の攻撃からひぃひぃ言って守ってきた経験から絞り出されたものである。奴ら(訳注:SFを攻撃する人々)はこの分野における最低の作例を引っ張り出しては叩き、SFの90%はカスだと結論付けた。」
またこの話には別のバージョンがある。
そこではスタージョンは、現代文学に関するパネルディスカッションに参加した。
そこに参加していた英文学の教授は、通俗SFから選んだどぎつい文をいくたりか読んだ後、次のようにのたもうた。「SFの90%はがらくた(crap)だね。」
スタージョンはこう切り返した。「どんなものでも90%はがらくたです。」
系[編集]
「スタージョンの黙示」は時として以下のように拡張される:
- 黙示: 全てのものの90%はカスである。
- 系1: 遺憾ながらSFの中に膨大な量のゴミがあることは事実といえる。だが、そこら中にゴミがあることは自然であるという他ない。
- 系2: 最良のSFはあらゆる領域における最良の小説に比肩する。(これはわざわざ黙示から導出するまでもないので、系であるとする必要はない。)
異なる表現[編集]
「スタージョンの黙示」を表現する場合、しばしばカス(crud)の代わりにガラクタ(crap)やクソ(shit)という用語が用いられる。パーセンテージについても揺れがあり、「94%」という文献もあった。またごく稀にではあるが、もっと楽観的な第二の文節が加えられることもある。それは、「……だが、残りの10%はそのために死んでもいい位である。」
解釈[編集]
「スタージョンの黙示」の意味は本人によって詳細に明示されている。
「最低の作例を引っ張り出しては叩く」という悪意の攻撃に対して、自分から直接反撃しているのだ。90%のSF作品をゴミカス扱いするのと同じ基準を用いれば、映画、文学、消費材などその他あらゆるものの90%も同様にゴミである。言葉を変えれば、「SFの90%がカスだ」という主張ないし事実のもつ情報量はゼロである。なぜならば、SFは他の芸術/技術の産物と同様の質的傾向を示しているに過ぎないからである。
また「スタージョンの法則(黙示)」はパレートの法則の一例と見られる場合もある。
スタージョンの法則の証明[編集]
自然に関する法則のほとんどは明白な文とそれをぼかして表現したものからなる。(極端な例:「自然は常に補償する。生まれながら一方の脚が短めの人は、それを補償すべく、例外なくもう一方の脚が長めになる。」)
スタージョンの法則は単純にアルフレッド・コージブスキー伯爵の言説の言い換えである。伯爵は一般意味論の基本概念として、「地図は土地ではない」を挙げている。SFの作者であると同様に読者でもあったスタージョンはA・E・ヴァン・ヴォークトのSFシリーズ、『非Aの世界』ものの土台となった一般意味論に気付いていたはずである。
「好ましさ」にばらつきがあるとすると、正規分布のベル型曲線が予言するように、ほとんどの経験は平均的「好ましさ」付近に分布するはずであり、凄いと思うものもゲロゲロに思うものも同様な頻度で現れる。スタージョンの黙示は、人がひとたび優れたものに触れると、平均的「好ましさ」ではものたりなくなるという観察報告である。もっときちんとした定式化をおこなえば、このような感じになると思われる。
- 「全てのものの80%はカスで、全てのものの10%はガラクタである。」
ここで、カスがガラクタを含む、あるいは優良なものとガラクタの存在する頻度をそれぞれ5%と定義するなら、「全てのものの90%はカスである」が正しくなる。
創作一般に関して[編集]
他方で、「一定の名作を生むジャンルには、常に多量の駄作がある。」と言うふうに言い換えれば、様々な創作の分野においても、この法則は適用できる。
多量の駄作の存在は、それらを受け入れる市場の存在を前提にするが、それが存在しないジャンルは名作を生み出せない。そのような駄作は、駆け出しの制作者の修練の場でもあるからであり、それを失ったジャンルは、往々にして単発大作を求めてもろくなものを生み出せず、また跡継ぎを失って先細りになりがちである。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Sturgeon's Law Citations for the OED
- Addendum: Sturgeon's Law - James Gunnによる法則の起こり。「推理小説やウェスタン映画は最良の部分で評価されるのに、SFはクズの部分で評価される」といっている。The New York Review of Science Fiction #85, September 1995に出版された The Ultimate Egoist : Volume 1 The Complete Stories of Theododore Sturgeon への補足(英語)
- wiki:スタージョンの法則