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2010年、東小雪は、自分の本名、宝塚時代の芸名、自分がレズビアンであることを、世間に公表した。そして、同年秋よりレズ・ホモなどの支援を開始した。 | 2010年、東小雪は、自分の本名、宝塚時代の芸名、自分がレズビアンであることを、世間に公表した。そして、同年秋よりレズ・ホモなどの支援を開始した。 |
2014年10月20日 (月) 20:15時点における最新版
東 小雪(ひがし こゆき、1985年2月1日 - )は、元宝塚歌劇団・男役のレズビアン。本名は同じ。顔は「中の上(ややカワイイ)」程度で、決して美人ではない。
経歴[編集]
1985年、石川県金沢市生まれ。
少女時代から父親に性的虐待を受けて育った。
北陸学院中学校を卒業後、北陸学院高等学校に進学。レズビアンに目覚めたのは高校2年のとき。女同士での性行為のときは、タチ(男役)であった。
(宝塚には私と同じレズの女の子がいるかもしれない)という淫らな動機から宝塚の受験を目指し、厳しい倍率を勝ち抜いて宝塚音楽学校に合格した。
宝塚音楽学校を無事卒業し、2005年、宝塚歌劇団91期生として宝塚歌劇団に入団。同年、「あうら真輝」(まき)の芸名で、花組の男役としてデビューした。
東小雪は、宝塚音楽学校時代・宝塚歌劇団時代に、タカラジェンヌたちとのレズ行為に励んだ。
しかし、2006年、東はわずか一年で宝塚歌劇団を退団。彼女はタカラジェンヌとして成功することができなかった。
2007年、東小雪は睡眠薬を大量に飲んで自殺を試みた。しかし、運よく一命をとりとめ、精神病院の閉鎖病棟に閉じ込められた。
その後、レズビアン団体のイベントでレズビアンの増原裕子(顔は「上の下(まーまー美人)」)と出会う。東小雪は8才年上の増原に一目惚れし、増原に猛アタック。その甲斐あって、東は増原と肉体関係の仲になった。
2010年、東小雪は、自分の本名、宝塚時代の芸名、自分がレズビアンであることを、世間に公表した。そして、同年秋よりレズ・ホモなどの支援を開始した。
2013年、東小雪(28才)は恋人の増原裕子(36才)と東京ディズニーリゾートで結婚式を挙げた。二人ともウェディングドレスを着ての挙式であった。これは“日本人初のレズビアン同士の結婚式”であり、アメリカ等の外国のマスコミにも取り上げられた(2014年6月末には日本のテレビ番組でも放送された)。
元タカラジェンヌの東小雪がレズビアンであったことは、昔から噂されてきたように、“宝塚はレズの園”であることの証明でもある。
宝塚では、2010年に元宝塚歌劇団・星組・娘役の水瀬千秋がAVデビューをしたり、2014年には宝塚音楽学校卒の高塚れな(本名・鈴木郁子)がAVデビューをするなど、不祥事が相次いでいる。