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2014年7月19日 (土) 17:57時点における最新版

権田の妻・篠田 裕美
権田の妻・篠田 裕美

権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、東京都世田谷区出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)

JリーグFC東京に所属。妻はネイリストの篠田裕美(本名 権田裕美)。

来歴[編集]

クラブ[編集]

権田の妻・篠田 裕美

バスケットボール選手の両親を持つスポーツ一家で育つ。小学校時は川崎市内のサッカークラブに所属していたため、GKとして川崎市選抜・神奈川県選抜に選ばれていた。当時のお気に入りはアメリカ代表トニー・メオラ。ユースチーム加入時には、横浜F・マリノス川崎フロンターレのユースチームにも合格し、さらに神奈川県選抜時の監督から湘南ベルマーレへの勧誘を受けていたが、小学校時に近所のサッカースクールにFC東京がコーチングスタッフを派遣しており、権田が浅野寛文GKコーチの指導に好印象を受けた事と、そのスクール生には観戦チケットがプレゼントされ、駒沢陸上競技場にてJ2時代のFC東京の試合を生観戦したことなどが決め手となり、FC東京U-15への入団を選択した。2003年のクラブユース選手権で優勝し日本一を経験。

2005年10月から2種登録選手としてトップチームの練習に帯同し始め、2007年からは国士舘高校に在学しながらFC東京トップチームに正式に昇格となった。FC東京初の「平成生まれの選手」でもある。同年シーズン終盤にはサブとして公式戦ベンチ入りも果たした。

ながらく塩田仁史の控えとして過ごしていたが、2009年1月下旬に塩田が虫垂炎及び麻痺性腸閉塞による長期離脱を強いられたことから、権田が開幕スタメンに抜擢され公式戦デビューすることとなった。その開幕戦では4失点、第2節も3失点と苦いデビューとなったが、第3節で完封勝利して以降は落ち着いたプレーを取り戻し、シュートに対する鋭い反応でチームに貢献。出場時間が規定に達しプロA契約選手となった。実質のデビューシーズンであったが、年間15完封というJ1リーグ記録(タイ記録)を達成し、ナビスコカップ決勝でもフル出場しプロ初タイトルも経験。無失点に抑え、鬼武健二チェアマンからはMVP級の活躍だったと評価された。

2010年も開幕から引き続き正GKとしてプレーしていたが、勝ちきれない試合が多く低迷。最終節では既に降格が決まっていた京都に敗れJ2降格が決まった。

J2に降格して迎えた2011年は若手の代表として副将を務めた。シーズン当初はレギュラーで出場していたが、ロンドンオリンピック予選の招集を機に塩田にレギュラーを奪われ、A代表選手がクラブでは控えという状況にもなった。シーズン終盤に差し掛かり再び正GKの座を奪取。塩田とのポジション争いは1年を通して続いた。

2012年は、ランコ・ポポヴィッチ監督から「日本でNo.1のGK」と全幅の信頼を寄せられ、レギュラーを確保。しかし、塩田との間に差は無いとも評され、2013年の天皇杯では塩田の好守でチームがベスト4に進出する中、出場機会は無かった。

代表[編集]

ユースではU-17日本代表に選ばれAFC U-17選手権2004で日本のゴールマウスを守った。

2007 FIFA U-20ワールドカップには香川真司と共に飛び級で選出されたがメンバー発表後に後十字靭帯を損傷し、出場を辞退。

2008年U-19日本代表の主将として2009 FIFA U-20ワールドカップアジア地区予選を兼ねたAFC U-19選手権サウジアラビア)に臨んだ。準々決勝の韓国戦では好セーブを連発したものの0-3と完敗。結果として日本が7大会連続で出場し続けていたU-20ワールドカップへの出場権を取り逃すという苦い経験をした。試合後には悔し涙を流しながらもTVインタビューに対応し、主将として責任感の強い部分を見せた。この年、FC東京は権田との契約を複数年延長し、将来のチームの大黒柱候補としての期待の大きさを伺わせた。

2009年12月21日にはアジアカップ最終予選イエメン代表戦に向けたA代表に初招集され、2010年1月6日の試合では先発出場を果たし国際Aマッチデビューを飾った。

2010年9月30日には、アルベルト・ザッケローニ新監督の日本代表にも選出された。ここでの出場機会は得られなかったが、その後、ザッケローニはインタビューにおいて「たとえば権田。FC東京でプレーする1990年生まれのGKで、日本代表では第3GKだが、素晴らしい将来性がある。」と、大きな期待を示し、翌年開催のAFCアジアカップにも第3GKとして招集された。

アジアカップ以後は世代別代表を優先し副将としてチームのまとめ役を担った。2012年7月2日ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表に選出された。本大会では4試合連続無失点を記録しベスト4入りに貢献。しかし、準決勝と3位決定戦で連敗し44年ぶりのメダル獲得を逃した。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップにも第3GKとして招集されたが、本大会での出場機会はなくチームもグループリーグで敗退した。

エピソード[編集]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2005 FC東京 37 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 34 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 19 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 20 34 0 10 0 1 0 45 0
2010 30 0 7 0 2 0 39 0
2011 J2 20 0 - 5 0 25 0
2012 J1 31 0 0 0 0 0 31 0
2013 33 0 2 0 0 0 35 0
通算 日本 J1 128 0 19 0 3 0 150 0
日本 J2 20 0 - 5 0 25 0
総通算 148 0 19 0 8 0 175 0
  • 2005年、2006年はユース所属。

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |- |2012||FC東京||20||5||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |5||0 |}

その他の国際公式戦

タイトル[編集]

FC東京U-15
FC東京
日本代表
個人

選抜・代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2010年 - )

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2010||1||0 |- |2011||0||0 |- |2012||0||0 |- |2013||1||0 |- |2014|||| |- !通算 |2||0 |}

出演[編集]

テレビ・ラジオ番組[編集]

脚注[編集]

注釈
出典

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

テンプレート:FC東京のメンバー


テンプレート:Footybio-stub