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[[2007年]]シーズンは、60試合に出場したものの打率.236、3本塁打、16打点と平凡な成績に終わり、同年限りでの引退・退団を示唆していた。だがシーズン後の[[千葉ロッテマリーンズ]]との交流戦ではチームでただ一人3安打を放つなど活躍し、一時は他球団での現役続行も考えた(実際、[[富山サンダーバーズ]]など他球団からも移籍オファーがあった)ものの、結局[[11月12日]]、新潟を退団した。
  
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== 年度別打撃成績 ==
 
== 年度別打撃成績 ==

2011年3月20日 (日) 00:06時点における最新版

山田 悠斗
野田サンダーズ No.0
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県新潟市
生没年月日 1983年8月3日(2024-1983)+((09-8)*100+(27-3)>=0)-1歳)
 - 
身長/体重 175cm/ 80kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 内野手外野手
プロ入り
出場期間
 - 
年俸
経歴
テンプレート  ウィキプロジェクト

山田 悠斗(やまだ ゆうと、1983年8月3日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手内野手)。現在は、社会人野球野田サンダーズに所属している。

2歳下の実弟の山田将斗も山田と同じく日本文理高等学校、野田サンダーズでプレーしている。(大学は駒澤大学駒澤大学硬式野球部副将兼捕手として活躍。)

来歴[編集]

高校時代は1年秋から二塁を守り主軸打者として活躍。
主将を務めた3年夏は決勝戦(対十日町高戦)延長10回サヨナラで破れるなど、山田の在学中に同高校にとり1997年以来2度目の甲子園出場を果たすことは出来なかった[1]。ちなみにこの決勝戦では、大会中に投手陣に故障者が出たこともありサヨナラホームスチールを決められた時はマウンドを守っていた。

卒業後には、早稲田大学教育学部に進学。同野球部でもチームの主軸として活躍した。

大学卒業後は、新潟にUターンして高校野球の指導者になることを考えていたが、同級生の武内晋一(現:東京ヤクルトスワローズ)に勧められて、早大OBの谷沢健一が率いる千葉県のクラブチーム・YBCフェニーズのトライアウト(2005年11月12日)を受験し、合格。フェニーズで2006年の1年間プレーした。

同年秋、トライアウトを経てベースボール・チャレンジ・リーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。

2007年シーズンは、60試合に出場したものの打率.236、3本塁打、16打点と平凡な成績に終わり、同年限りでの引退・退団を示唆していた。だがシーズン後の千葉ロッテマリーンズとの交流戦ではチームでただ一人3安打を放つなど活躍し、一時は他球団での現役続行も考えた(実際、富山サンダーバーズなど他球団からも移籍オファーがあった)ものの、結局11月12日、新潟を退団した。

2008年から社会人野球に転身し、新潟市のクラブチーム野田サンダーズでプレーを続けている[2]

年度別打撃成績[編集]

年度 球団






















2007年 新潟 2 60 195 20 46 5 5 3 70 16 1 2 1 18 2 20 2 .236
通算成績 60 195 20 46 5 5 3 70 16 1 2 1 18 2 20 2 .236

脚注[編集]

  1. 日本文理高校の2度目の甲子園出場は、山田将斗が2年生だった2002年夏の時に果たしている。
  2. [ttp://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/niigata/archive/news/2008/05/20080528ddlk15050017000c.html 2008年5月20日付『毎日新聞』新潟版](2009年5月6日閲覧)

関連項目[編集]