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1961年4月、中国人民解放軍に入隊。1962年3月、中国共産党に入党。1964年8月、小隊長に任官し、その後、軍司令部作訓処参謀を務める。1971年2月、師団司令部作訓科副科長、後に科長。1974年2月、連隊参謀長、師団副参謀長、連隊長を歴任。1979年4月、第178師団参謀長。1979年9月、軍事学院で学ぶ。1982年6月、第179師団長、1983年6月、第60軍副軍長。1983年9月~1985年7月、軍事学院高級指揮班で学んだ後、陸軍第1集団軍副軍長兼参謀長。1988年、少将。1990年6月、南昌陸軍学院院長。1992年8月、陸軍指揮学院院長。1993年2月、第1集団軍軍長、同年12月、南京軍区参謀長。1995年、中将。1996年1月、南京軍区司令員。1999年12月、済南軍区司令員。2002年、上将。
  
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2004年9月、中央軍委委員、総装備部部長。
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2010年8月20日 (金) 03:29時点における最新版

陳 炳徳(ちん へいとく、1941年7月 - )は、中国軍首脳の1人。江蘇南通出身。上将。

2004年9月から中央軍事委員会委員、総装備部部長。

略歴[編集]

1961年4月、中国人民解放軍に入隊。1962年3月、中国共産党に入党。1964年8月、小隊長に任官し、その後、軍司令部作訓処参謀を務める。1971年2月、師団司令部作訓科副科長、後に科長。1974年2月、連隊参謀長、師団副参謀長、連隊長を歴任。1979年4月、第178師団参謀長。1979年9月、軍事学院で学ぶ。1982年6月、第179師団長、1983年6月、第60軍副軍長。1983年9月~1985年7月、軍事学院高級指揮班で学んだ後、陸軍第1集団軍副軍長兼参謀長。1988年、少将。1990年6月、南昌陸軍学院院長。1992年8月、陸軍指揮学院院長。1993年2月、第1集団軍軍長、同年12月、南京軍区参謀長。1995年、中将。1996年1月、南京軍区司令員。1999年12月、済南軍区司令員。2002年、上将。

2004年9月、中央軍委委員、総装備部部長。

中共第15、16回中央委員。

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