野本勝彦

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野本 勝彦(のもと かつひこ)とは、部落解放同盟埼玉県連合会元委員長。

部落解放同盟埼玉県連合会元委員長の野本武一の息子。父の死後、部落解放同盟埼玉県連合会事務局長から県連委員長のポストを世襲。

県連の会計を担当する妻と共謀して埼玉県同和対策協議会予算の同和地区環境改善費用を資金カンパ名目でピンはねし、さらに、同和企業連理事長の立場を利用し、これに加盟する業者からカンパ名目でピンはねをおこなう。8000万円の豪邸のほか、軽井沢と那須に別荘を持ち、300万円の外車を乗り回して『週刊新潮』で記事になった。野本勝彦を中心とする部落解放同盟幹部の不正に対する反乱から、1973年、「部落解放同盟埼玉県連を愛する会」が結成された。

1979年4月、県会議員選挙に社会党公認で立候補し惨敗。県連委員長のポストも失った。

出典[編集]

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.20-21