相模・武蔵地震
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相模・武蔵地震(さがみむさしじしん)は平安時代前期の878年(元慶2年)、関東地方南部に大被害をもたらした地震である。「元慶地震」とも。なお、本項ではユリウス暦で記し、グレゴリオ暦に換算した日付、和暦も併記する。
概要[編集]
878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日)に発生。マグニチュード7.4と推測される。死者多数。京都でも揺れが感じられる。当時の歴史書『日本三代実録』には
という記述があり、震度7と推定されている。
地震考古学[1]によれば、震源域について伊勢原断層による内陸直下型地震か相模トラフ(関東地震)の可能性があるとする。活動周期は不明であるが、立川断層や神縄・国府津-松田断層帯(相模トラフの一部)の可能性も指摘されている。
なお、本地震の9年前にあたる869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日)に日本海溝付近で発生した貞観地震との関連が指摘されることもあるが、発震からの間隔が開きすぎているため詳細は不明である。また、本地震の9年後にあたる887年8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日)には南海トラフ沿いを震源域とした仁和地震も発生している。
伊勢原断層[編集]
伊勢原断層とは、相模原市西部から厚木市、伊勢原市などを経て、平塚市北部へ南北に21km延びる活断層である。政府の地震調査研究推進本部は伊勢原断層の被害想定をしているが、神奈川県は伊勢原断層の活動まで千数百年あるとし、被害の想定はしていない。理由は、ボーリング調査の結果、地震の間隔は5,000年以上あり、その変位は約1.5mと判明したからである。