安竹宮

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安竹宮(あんちくみや)は、中曽根康弘政権の後継を巡り、自民党内で安倍晋太郎竹下登宮澤喜一が、次世代指導者として頭角を現したことを評した造語。中川一郎を含めてニューリーダーとも呼ばれた。

世代としては三角大福(あるいは三角大福中)の後に属し、竹下派七奉行YKK世代へと続く。

福田大平内閣期の自民党内で、将来の指導者候補と目された安倍・竹下、そして小坂徳三郎諧謔的に並び称して安竹小(あんちくしょう)と呼ばれたことに発する語である。しかし小坂は党内最大派閥田中派所属議員であっても外様であり、運輸大臣時代に国鉄改革に対して消極的と見られたために、財界出身でありながら土光敏夫ら肝心の財界からの積極的支援を失い、国鉄改革を押し進めた中曽根総理の不興を買って政治的地位を低下させ、代わって鈴木内閣の官房長官を務めた宮澤が加えられて、表記の言葉が生まれた。3者とも有力派閥の後継者とみなされ、実際に派閥を継承している。

結果としては中曽根の意向によって(俗に言う中曽根裁定)、竹下が自由民主党総裁内閣総理大臣の座に就き、宮澤も後に総理総裁になった。対する安倍は「総裁の椅子に最も近い男」という評価もありながら病に倒れ、ついにその座に就くことはなかった。

なお、当時中曽根派の後継者とみなされていた渡辺美智雄を加えて「安竹宮渡」(あんちくみやわた)と言う場合、更に河本派を率いていた河本敏夫を含めて「安竹宮渡河」(あんちくみやとか)と言われた場合もある。

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