宇宙対比論
宇宙対比論(うちゅうたいひろん)とは、身近にある物事を別の物事(または一定の期間)と対比して考えていると、最終的に宇宙と対比して考えてしまい、身近な物事がいかに小さく無に等しいものであるかがわかるという理論。しかし、この理論の真意はそのようなことでは決してない。この理論を考えることで、物事を宇宙などという抽象的なものと比べるのではなく、自分や自分の置かれた環境と比較して考えなければならないということを、再認識するのである。
概要[編集]
例として、翌日に数学のテストが控えているがやる気が起きない状況を考える。この状態から、勉強を止めてしまえば翌日の試験は悪い成績となってしまう。しかし、仮に今回の試験が欠点であったとしても今年度全体で考えれば、単位を落とすことはなく留年はない。留年しないのであれば、就職・進学へのそれほどないといえる。また、個人の人生など社会全体においては極めて微々たるものである。その社会全体さえも、地球の歴史から見れば一瞬に等しい。その地球さえ、宇宙の中のごく一部の銀河系内に位置している。つまり、数学のテストなど、宇宙を分母として考えれば0に等しく価値がないのではないか、と思ってしまう。
しかし、実際は試験の成績が悪ければ不快な気持ちにもなるであろうし、社会的評価も悪くなる。よって目の前の現実を受け止めて、的確な行動をとるべきである。
原因[編集]
人は、残業作業や試験勉強などの自分の意思と反して何かをしなくてはならない状況や、必要に成果を求められる状況に対して不快感を覚える。そこから抜け出したいと思うのは、人間の本能的なものである。このような状況から、意図的に意識を逸らすことを現実逃避と呼ぶ。現実逃避は、精神分析分野の防衛機制においては「逃避」と位置づけられている。しかし、現実逃避をしたからといって目の前の現実が変化するはずもない。試験勉強から逃避をすれば、試験の成績が落ちてしまうのは当たり前である。つまり、現実逃避は長期的あるいは客観的な視野から見て不適切な結果をもたらしてしまうことが多い。このようなことにならないために、試験勉強や残業作業から「逃避」するのではなく、現実から逃避したいという欲求を、この理論について議論するエネルギーに「昇華」して、充足するのである。