南洋興発
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南洋興発(なんようこうはつ)は、戦前から、東南アジア・オセアニア各地で活動していた日本の商社、国策会社。太平洋戦争のときは、社員が従軍して各地の攻略を先導。日本占領下の東南アジアで様々な事業を推進した。
沿革[編集]
蘭印での謀略活動[編集]
南洋興発は、1935年末にポルトガル領チモール島デリー市に、オランダのSociadade Patria e Travalho(愛国勤労農事会社)との合弁会社を設立して、日本から雑貨建築資材を輸出し、同地からコプラ、メイズ、マンガン鉱、白檀木材等を日本向けに輸出していた[1]。これは諸外国を欺くための特殊な業務で、本当の目的は第2次世界大戦の下準備だった[1]。
太平洋戦争が始まると、南洋興発の社員は次々に徴用され、南方各地の占領に向かった日本軍の部隊に従軍して、攻略を先導した[1]。
西ボルネオでの活動[編集]
1943年初に南洋興発は海軍省から西ボルネオ全域でコプラを集荷するよう指令を受け、ポンチアナク市に事務所を開設[2]。既に同地で活動していた野村東印度殖産と住友ボルネオ殖産からコプラ集荷事業の引き渡しを受け、プマンカット、シンカワン、クタパンに倉庫を設置して駐在員を派遣、海軍の指令により夏蜜(ヘメス)公司とコンファードックを買収し、椰子油を生産しながら、コプラ管理組合のボルネオ支部長を兼ね、国策に協力した[3]。終戦後に買収した財産は前の持ち主に売り戻した[3]。
社長[編集]
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073