上原彩子

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上原彩子(うえはらあやこ、1980年7月30日 - )は、香川県高松市出身のピアニスト2002年の第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて日本人として初めて、かつ女性として世界で初めての優勝を果たした。東京藝術大学音楽学部早期教育リサーチセンター准教授。

概要[編集]

チャイコフスキー国際コンクールまで[編集]

1980年7月30日、香川県高松市生まれ。岐阜県各務原市育ち。3歳から岐阜県でヤマハ音楽教室に通う。「3歳児ランド」という子ども向けの音楽教室であった。ピアノ演奏には幼少から才能の片鱗を見せていた。小学校4年生のとき、ヤマハ音楽振興会のマスタークラスのオーディションに合格し、東京のレッスンに通う。上原は江口文子、浦壁信二のほか、ロシア人教師ヴェラ・ゴルノスタエヴァに出会う。ゴルノスタエヴァはモスクワ音楽院で名教師として知られたゲンリヒ・ネイガウスの指導を受け、ピアニストとして活躍したほか、自分でもモスクワ音楽院の教授として多くの名ピアニストを育てた。課題として与えられたのはチャイコフスキー《四季》の<5月>。演奏時間5分たらずの小品であるが、ゴルノスタエヴァは1回のレッスンに3時間をかけ、繰り返しやり直しをさせた。ゴルノスタエヴァは相手がたとえ日本の少女であっても、チャイコフスキーが感じていたロシアの5月をピアノで表現することを要求した。 各務原市那加中学校、2000年、岐阜県立各務原西高等学校卒業。2000年11月、「第4回浜松国際ピアノコンクール」で第2位。同年、シドニー国際ピアノコンクールにて第2位及びピープルズ・チョイス賞、オーストラリア人作品賞、室内楽賞、ショパン賞等各賞を受賞。 2002年、第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で日本人として史上初めての第一位を獲得する(22歳)。

コンクール優勝後[編集]

2003年、ベルリン放送交響楽団、翌年はモスクワ放送交響楽団と日本ツアーを行い高い評価を得た。2005年10月26日、ピアノ調律師の斎藤孝史と結婚し、出産、子育てに追われながらコンサートをこなす[1]

2019年4月、名古屋音楽学校の特別講師に就任[2]。早期才能開花プロジェクトを行う。同年、名古屋芸術大学音楽領域 鍵盤楽器コースの特別客員教授に就任した[3]

人物[編集]

  • 母はピアノにとても厳しかったと語る[4]。母は大のピアノ科を出て結婚するまでピアノを教えていた・
  • 一流の音楽家になるためには、音楽だけでなく幅広い教養が必要である。
  • 上原は音楽大学に通ったことはない。
  • ワシントンナショナル交響楽団とロストロポーヴィチが来日した、ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第1番』を弾いた。緊張のためテンポが速くなり、後で『3楽章は合わせるのが大変だったよ』と言われた。
  • 3人の娘のうち、ピアノを習っているのは下の2人。「まったく手のかからない赤ん坊だった」という次女は、歌を歌うのが好きだったのでヤマハ音楽教室の幼児クラスへ。逆に「とても手のかかる子だった」三女にはピアノを習わせなかった。三女は始める前に「ピアニストになってもいい」と言っていたが、最初にレッスンに行ったあと「やっぱり無理」と宣言する。

外部リンク[編集]

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