キャスリーン・フェリアー

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キャスリーン・メアリー・フェリアー(Kathleen Mary Ferrier, 1912年4月22日 - 1953年10月8日)は、イギリスコントラルト歌手。[1][2][3]

ランカシャー州ハイアー・ウォルトン出身。[4]音楽教師であった父ウィリアム[5]にピアノの手ほどきを受け、リサイタルの伴奏などを務めるうち声楽に興味を持つようになった。[6]ただ、家庭の経済的事情から14歳の頃から電話交換手の職に就く[7]。しかし、音楽の道を諦めたわけではなく、折に触れて地元のピアノ・コンクールに多数出場して上位入賞を果たし、19歳の時にはピアノでロンドン王立音楽院の卒業資格を取得している。[8]1935年に銀行員のバート・ウィルソンと結婚。[9][10]1937年に、カーライルの音楽祭のコンクールにピアノと歌唱の部門で出場[11]し、ピアノ部門で上位入賞、歌唱部門で優勝[12]するという快挙を成し遂げた[13]。1939年からジョン・アーネスト・ハッチンソンに声楽を教わり[14]、その年のうちにラジオ放送で歌唱を披露しといる。1941年にはイギリスの音楽芸術振興協議会に登録して歌手としてイギリス各地を訪問し、慰問演奏も精力的にこなした。1942年にはマルコム・サージェントに歌唱を聴いてもらい、サージェントからロンドンで活動するように助言を受け、ロンドンに移ってロイ・ヘンダーソンから歌唱指導を受けた。その歌唱はベンジャミン・ブリテンにも注目され、ブリテンのオペラの第二作目となる《ルクレツィアの凌辱》の初演ではフェリアーがルクレツィア役を演じている。1948年にはニューヨークでのリサイタルを成功させ、欧米諸国に演奏旅行に出て世界的名声を確立していった。1951年に乳房の悪性腫瘍の手術を受け、以後治療を受けながら歌手活動を続けた。

乳癌の為、ロンドン大学病院にて死去[15]

脚注[編集]

  1. Macy (2008) MacyLaura Williams [ The Grove Book of Opera Singers ] Oxford University Press 2008 9780195337655 158-159
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  9. Selby (2011) SelbyAnna 3 FIFTY OPERA LEGENDS - ON THE STAGE [ The Pocket Guide to Opera ] Pen & Sword 2011 9781844685349
  10. 1947年には離婚。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
  11. フェリアーはピアノ部門で既にエントリーしていたが、夫が歌唱部門にエントリーをする意気地がない方に1シリングを賭けたため、敢えて歌唱部門にもエントリーしたのであった。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
  12. https://cumbriacrack.com/2017/06/14/kathleen-ferrier-cbe-honoured-bbc-radio-cumbria/ - インターネット・アーカイブ
  13. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  14. Ferrier (2003) FerrierKathleen Christopher Fifield [ Letters and Diaries of Kathleen Ferrier ] Boydell Press 2003 9780195337655 12
  15. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ