ウルトラマリン
ウルトラマリンは青色の顔料のひとつであり、構成成分はアルミニウムとナトリウムのケイ酸塩に硫化物イオンや硫酸イオンが混じったものである。天然にはラピスラズリの主成分として存在する。
歴史的には azzurrum ultramarine、azzurrum transmarinum、azzuro oltramarino、azur d'Acre、pierre d'azur、Lazurstein などと呼ばれてきた。現代では ultramarine (英語)、outremer lapis (フランス語)、Ultramarin echt (ドイツ語)、oltremare genuino (イタリア語)、ultramarino verdadero (スペイン語)、群青、瑠璃 (ともに日本語)と呼ばれている。「ウルトラマリン」とは「海を越える」という意味である。天然ウルトラマリンの原料となるラピスラズリは、ヨーロッパの近くではアフガニスタンでしか産出せず、それが海路で運ばれたため、「海を越えてきた青」という意味でウルトラマリンと呼ばれた。但し、今日では「ウルトラマリン」の意味を「海より青い」と誤解する者も多い。
顔料としてのカラーコードは P. Blue 29 77007 である。ウルトラマリンは複雑な組成の天然鉱物顔料であり、硫黄を含んだケイ酸ナトリウムの錯体 (Na8–10Al6Si6O24S2–4) である。本質的には青金石(ラズライト、lazurite、カナで書くと同じラズライトに lazlite という鉱石があるが、こちらは天藍石)と呼ばれる青い立方体状の鉱物を含んだ石灰岩である。しばしば結晶格子の中に塩化物イオンが存在する。顔料の青色は孤立電子を持つラジカルアニオン S3− によるものである。
歴史[編集]
ラピスラズリが最初に顔料として利用されたのは6–7世紀におけるアフガニスタンの寺院の洞窟画であり、これは鉱物顔料の始まりとして有名である。また、10–11世紀の中国の絵画、11, 12, 17世紀のインドの壁画、1100年頃のアングロサクソンやノルマン人による装飾写本などにも確認されている。天然のウルトラマリンは素手ですり砕くのが最も難しい顔料で、最高級の物を除き、粉砕と洗浄によって得られるのは薄く灰色がかった青色粉末のみであったが、13世紀の初頭に改良法が開発された。15世紀の芸術家セニノ・セニーニ (Cennino Cennini) によって記述された方法は次のようなものである。粉砕した原料を溶かした蝋、樹脂、油と混ぜ合わせ、できた塊を布に包み、うすい灰汁の中でこねる。青色の粒子が容器の底に沈み、不純物や無色の結晶は塊の中に残る。この工程を3回以上繰り返し、品質を高めていく。最終的な抽出物は少量の青い粒子を含んだ透明なものである。出来上がったウルトラマリン灰は透明度の高い薄い青色を持つことから光滑剤として珍重される。
この顔料が最も広く使われたのは14世紀から15世紀にかけてで、朱色や金色の補色として映えるため、装飾写本やイタリアの陶板画に用いられた。16世紀の初頭から azurrum ultramarinum としてヨーロッパに輸入され始めた。ラピスラズリからは 2%–3% 程度の顔料しか取れなかったため、金で増量して用いられることもあった。輝度が高いことと、太陽光や油、消石灰にさらしても劣化しにくいことが貴重さの要因である。しかしながら鉱酸や酸蒸気には特に弱い。希塩酸、希硝酸、希硫酸によって青色はすぐに失われ、その過程で硫化水素が発生する。鉱酸よりもゆっくりではあるが、酢酸にも侵される。この酸に対する敏感さのため、ウルトラマリンをフレスコに用いられるのは、顔料を保持剤と混合して乾いた漆喰の上に塗るフレスコ・セッコ法に限られる。例としてジョット・ディ・ボンドーネによるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂(アレーナ礼拝堂)のフレスコが挙げられる。
ヨーロッパの芸術家たちはこの貴重な顔料をめったに使えず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品であった。また、しばしば下塗りに安価な青色顔料アズライトを使うことによって費用を節約することもあった。ヨーロッパにはイタリア・ヴェネツィアを通して輸入され、ドイツなどイタリアより北の国の作品にはほとんど見られない。16世紀後半から17世紀におけるアズライトの不足によって、もともと高価であったウルトラマリンの価格はさらに高騰した。1814年にサンゴバン (St. Gobain) のタサエール (Tassaert) は、石灰を焼くかまどの中にウルトラマリンではないとしても非常に似た青い化合物が生成しているのを発見した。1824年、この発見に対して工業奨励協会 (Societé pour l'Encouragement d'Industrie) から「貴重な顔料の人工製造のための賞」が贈られた。製造工程は1826年にジャン=バプティステ・ギメ (Jean Baptiste Guimet)、1828年にテュービンゲン大学のクリスティアン・グメリン (Christian Gmelin) によって開発された。ギメは開発した製造法を公開しなかったため、グメリンが人造ウルトラマリンの創作者として知られるようになった。
製造法[編集]
使われる原料は (1) 鉄を含まないカオリナイト、これは他の純粋な粘土でも良いが、できる限りシリカ SiO2 とアルミナ Al2O2 をカオリナイトに近い比で含まねばならない(シリカ分が不足する場合は計算量の粉砕シリカを加えて補うこともできる)、(2) 無水硫酸ナトリウム、(3) 無水炭酸ナトリウム、(4) 粉末硫黄、(5) 粉末活性炭、または灰分の低い石炭かロジンの塊、である。これらを混合して融解させると「ウルトラマリンを少し含むシリカ」が得られる。生成物は最初白いが、硫黄を混ぜて熱するとすぐに緑色になる(グリーン・ウルトラマリン)。硫黄が発火すると、良質な青い顔料が得られる。一般的に「ウルトラマリンをたっぷり含んだシリカ」は、純粋な粘土、非常に細かい白砂、硫黄、活性炭の混合物をマッフル炉で加熱すると得られる。青色の生成物が一挙に得られるが、しばしば赤みがかる。出来上がるウルトラマリンは緑、青、赤、紫といった異種があり、粉砕したのち水で洗われる。
合成代替品[編集]
合成ウルトラマリンは粒径が小さく揃っているため光をより均一に散乱させるので、天然のものほど鮮やかでなく、耐久性に劣る。
塗料として使われる場合、合成ウルトラマリンは天然のものと同様のすばらしい青色を持ち、光で、あるいは油や消石灰と混ぜても劣化しない。合成ウルトラマリンは塩酸によって即座に脱色され、硫化水素を発生させる点でも同じである。赤みがかったものに亜鉛白(zinc-white, 亜鉛の酸化物)を加えると、少量でも色強度の大きな低下が起こる。また、硫酸カルシウム (annalin) や硫酸バリウム(blanc fix, 重晶石)による希釈では予想以上の効果が得られる。合成ウルトラマリンは非常に安価で、壁画、壁紙や更紗の染色などに広く使われ、また白いリンネルや紙などの黄ばみを調整するのにも用いられる。「ランドリー・ブルー」(青み付け)は合成ウルトラマリンの溶液で、白い服を洗濯するときに用いられる。紙の製造に大量に使用され、特にイギリスでポピュラーな薄く青みがかった便箋を作る際に使われる。なおかつては合成ウルトラマリンとカドミウムイエローの混合物がカドミウムグリーンという名の緑色顔料として使われたが、今日ではカドミウムグリーンはカドミウムイエローとヴィリジアンを混合してつくられている。
ウルトラマリンの構造は基本的にはソーダライトと同じで、3次元のアルミノシリケート格子中に、結合してイオンを形成した3つの硫黄原子を含む。このイオンの対イオンは天然ではナトリウムイオンである。対イオンはリチウムやカリウムで置き換えることもでき、それによって格子構造は劇的に変化する。ナトリウムより小さなリチウムは格子を縮小させ、より大きなカリウムは拡張させる。硫黄イオンの対イオンとの相互作用や格子構造が変化することによって、最終的に出来上がる顔料の色合いに影響を与える。
ウルトラマリンの青色溶液を硝酸銀で処理すると、「シルバー・ウルトラマリン」が黄色の粉末として得られる。この化合物をカリウムやナトリウムの塩化物で処理すると、カリウムまたはリチウムウルトラマリンが得られ、ヨウ化エチルで処理するとエチルウルトラマリンが得られる。硫黄をセレンやテルルで置き換えたウルトラマリンも合成されている。