日米安全保障条約

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日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、英語Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan、昭和35年条約第6号)は、1960年1月19日に、ワシントンD.C.で締結された、日本アメリカ合衆国安全保障のため、日本にアメリカ軍在日米軍)を駐留させることなどを定めた二国間条約のことである。通称・安保条約日米安保

形式的には、サンフランシスコ平和条約の締結と同日の1951年9月8日に日米間で締結された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)を失効させて成立しているが、旧安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を引き続き認めていることから、実質的な改定とみなされ、60年安保条約新安保条約と呼ばれることもある。

締結の経緯[編集]

1951年9月8日、アメリカのサンフランシスコ市において、アメリカをはじめとする第二次世界大戦連合国側49ヶ国との間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際、主席全権委員であった吉田茂内閣総理大臣が単独で、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧安保条約)に署名した。この条約に基づき、占領軍のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合軍(主にイギリス軍)部隊が撤収した後も日本に留まった。

旧安保条約に代わるものとして日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が1960年1月19日岸信介内閣総理大臣によって署名され、同年6月23日強行採決によって発効した。新安保条約はその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されず、現在も効力を有している。

新安保条約は、同時に締結された日米地位協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)によりその細目を定めている。日米地位協定には、日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定める他、その施設内での特権や税金の免除、兵士などへの裁判権などを定めている。

内容[編集]

第1条
国連憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。
第2条
自由主義を護持し、日米両国が諸分野において協力することを定める。
第3条
日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを定める。
第4条
(イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会(日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成(いわゆる「2+2」で構成)される会合)の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。
第5条
前段は、米国の対日防衛義務を定める。後段は、国連憲章上、各国による自衛権の行使は、国連安全保障理事会が必要な措置をとるまでの暫時的性格の行為とされていることから、定められている。
第6条
在日米軍について定める。細目は日米地位協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)に定められる。
第7条、第8条、第9条
他の規定との効力関係、発効条件などを定める。
第10条
当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を定める。いわゆる自動延長方式の定めであり、この破棄予告がない限り条約は存続する。

議論[編集]

日米安全保障条約の本質の変化[編集]

日米安全保障条約は時代と共に本質を変化させて来た。

旧安保条約締結時当時、既に前年の1950年に朝鮮戦争が勃発していて、参戦しているアメリカは出撃拠点ともなる後方基地と補給の確保を喫緊の課題としており、日本側の思惑としては日本の国力が正常な状態になるまで安全保障に必要な軍事一切をアメリカに委ねることで経済負担を極力抑え、経済復興から経済成長へと注力するのが狙いであった[1]。1953年7月に朝鮮戦争が停戦した後も冷戦体制のままであり、日本は韓国中華民国(台湾)と共に、陸軍長官ロイヤルの唱えた「反共・封じ込め政策」に基づく、ソ連中華人民共和国北朝鮮即ち極東の共産圏に対峙する反共の砦として維持された。

50年代後期に入ると日本経済は朝鮮戦争特需から1955年に神武景気という太平洋戦争後初の好況期に入り1955年の主要経済指標が戦前の水準を回復して復興期を脱して経済白書が「もはや戦後ではない」と宣するまでにいたり、高度経済成長への移行が始まった。政治体制においても、自由党と民主党が合併し自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党が設立され、いわゆる「55年体制」が成立し安定期に入った。一方で、1954年から1958年にかけて中華人民共和国と中華民国(台湾)の間で台湾海峡危機が起こり軍事的緊張が高まった。また、アメリカが支援して成立したゴ・ディン・ジエム大統領独裁体制化の南ベトナムでは後のベトナム戦争の兆しが現れてきていた。

こうした日米がおかれた状況の変化を受けて締結されたのが新安保条約である。

新安保条約は1970年をもって当初10年の固定期間が終わり単年毎の自動更新期に入ったが、自動的に更新され続け、対ソ・対中軍事同盟へと性質を変えていった。

冷戦が崩壊すると、日本も敗戦の影響から脱し、経済大国になったことによって日米両国で日米安全保障条約の有効性と存在意義に疑問が生じた。しかし依然極東アジアでは冷戦が続いていると言う認識からアメリカの最先端軍事技術を欲する日本側と、日本へ武器を売却して軍事技術開発資金を得ようとするアメリカ側の利害が一致した事もあり、その性質は商業的な物へと変化していった。

2004年度の日本防衛白書では初めて中国の軍事力に対する警戒感を明記し、また米国の安全保障に関する議論でも、日本の対中警戒感に同調する動きが見られ、2005年ブッシュ大統領の外交に大きな影響を持つライス補佐官が中国に対する警戒感をにじませる発言をし、日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟・トルコ以東地域への軍事的存在感維持の為の物へと変化して来ている。また同年10月に両国高官により署名された「日米同盟 未来のための変革と再編」で、日本の守備範囲は西太平洋からトルコまで(つまりアメリカの守備範囲以外全て)に変えられた。ちなみにこの件が国会審議に諮られた形跡はない。

なお、アジア諸国はアメリカと個別に軍事同盟を結んでいる(#条約・機構参照)が、これは集団安全保障体制を組ませず、対抗軸とさせないためのアメリカによるアジア分断・干渉であるとする意見もある。

「アメリカ合衆国が日本国を防衛する必要はない」という解釈[編集]

第5条を根拠にして、アメリカ合衆国が日本国を防衛する必要がないとされるのではないかという解釈がある。

根拠条文[編集]

ARTICLE NO.5
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. :第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

解説[編集]

either Party in the territories under the administration of Japan とは、日本の行政管理下内での両国共ではなく、いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館領事館とアメリカ合衆国軍事基地が一方のPartyであり、アメリカ合衆国の治外法権の施設を除いた部分の日本国の地区がもう一つのPartyであるという定義をすることもできる。

この定義に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識(recognizes) した時、共通の危機(common danger) に対処する。アメリカ合衆国軍の行動は、common danger が対象であり、common danger とは、日本国内のアメリカ合衆国の施設と、その他の部分の日本に共通の危機のことである。つまり、日本国内のアメリカ合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考えることもできる。アメリカ合衆国軍が行動する場合は、アメリカ合衆国憲法に従わねばならないと条文で規定されている。また、アメリカ合衆国憲法では在外のアメリカ合衆国軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと看做され自衛行動を許すが、駐留国の防衛まで行う規定はない。

これらのことから、日米安全保障では、日本国内におけるアメリカ合衆国(在日米軍施設の事)の防衛を宣言しているとも考えられ、少なくともアメリカ合衆国は日本国内で行動をとることができる。日本にアメリカ合衆国軍基地があるために、日本を敵としないアメリカ合衆国の敵から、日本の一部地区に攻撃を受ける危険が生じることも考えられ、批判的な見方をすれば、この条約の性質は、対日危機保障条約であるということもできる。

ただし、下記に述べるように日米双方から「自分のほうが相手に巻き込まれるから不利」という意見は存在し、自国の主観で見るならば、どちらが正しいのかは答えの出しにくい問題である。現実として、長年に渡る日米双方の膨大な維持負担と実績を積んできたこと及び、日米安全保障条約に危機的に信頼を失墜させるほどの行為を日米両国共にとっていないことなどから、こう言った批判は長年少数派に留まっている。

真の「相互安全協力及び安全保障」条約であれば、在日米軍の存在同様、自衛隊がアメリカ合衆国内に駐屯する事も可能であると主張する声があるが、日本国の防衛方針に適合しないため非現実的である。

アメリカ下院議会で日本側に有利過ぎると非難された日米安全保障条約[編集]

上記とは逆に、米国側からの「日本に有利すぎる」といった批判もあるのも事実である。

日米安全保障の本質が時代と共に変化しているが、条約部分に決定的な変化は無い。また日米安全保障条約は、日本側が正常な軍事力を持つまで……として締結された経緯もあり、アメリカ側には日本を防衛する事を必要とされるが、日本側は必ずしもアメリカを防衛することは必要では無い状態になっている。これは日本側の憲法解釈(政府見解)上の制約で、個別的自衛権の行使は日米両国共に可能だが、集団的自衛権の場合は日本は憲法に抵触する恐れがあるという政策を採っている。抵触するかどうかについては議論が続いており、結論は出ていない。この事実を日本の二重保険外交と解釈し、日本はアメリカに対する防衛責務を負っていないのに、アメリカから防衛されている状態ではアメリカの潜在的敵国と軍事的協調をとれる余地を残している、との批判が米議会にあったことも事実である。 また、アメリカ側は日本に対して集団的自衛権を行使出来ると明言しており、費用面からも、軍事的負担がアメリカ側に多いと、日米安全保障条約はアメリカで時として非難される。

だが実際の所、日米安全保障条約の信頼を失墜させるほどの行為は日米両国共にとっていないので、こう言った批判は、やはり米国でも少数派に留まっている。

米軍が日本に駐留し続ける事の意義[編集]

ホワイトハウスのデイナ・ペリーノ報道官は2008年2月13日、「米国はどこに居ようとどこに基地を持とうと、それはそれらの国々から招かれてのことだ。世界のどの米軍基地でも撤去を求められているとは承知していない。もし求められれば 恐らく我々は撤退するだろう」と述べた(「恒久的基地は世界のどこにもない」AFP通信電)。これは即ち、日本国民が、日本の政府に自民党公明党などの与党を国政選挙を通じて選択することで、即ちこの条約の継続を求めたと米国が解釈していることを意味する。

ただし、世界的には、米軍自身が戦略的に必要と考える地域で現地の国民が駐屯に反対した場合には、駐留と引き換えの経済協力を提案し、あるいは反対勢力には経済制裁や対外工作機関(アメリカ中央情報局など)による非公然活動(スキャンダル暴露や暗殺など)、場合によっては軍事介入などのさまざまな妨害をちらつかせ「アメとムチ」を使って駐留を維持するとされる。

日米安保無効論[編集]

ニューヨーク・タイムズ記者ティム・ワイナーが機密解除資料を基に著した「CIA秘録」(原題「Legacy of Ashes:The History of the CIA」)によれば、新条約締結に関わった岸はCIAを通じて時の大統領ドワイト・D・アイゼンハワーに買収されていたという(週刊文春2007年10月4日号『岸信介はアメリカのエージェントだった!―「安倍政権投げ出し」の原点』)。また、条約は必要性に応じて継続されるか否かが判断されるべきものでありながら、実際は日本政府の独断によって秘密裏に自動延長されていた(#日米安全保障条約の本質の変化)。

こうした事実を元に現在、市民団体によって、新条約はその正当性合法性に照らして無効であり破棄されるべきものとする訴訟が提起されている(#外部リンク参照)。

関連項目[編集]

条約・機構[編集]

事件・できごと[編集]

立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り逮捕された事件で、日米安保及び在日米軍駐留の合憲・違憲を論点とする訴訟となった。
  • 日米安保無効訴訟
岸信介CIAのエージェントだった事がティム・ワイナーにより暴露され、「斯様な状況下で締結された本条約は無効」とする主張が行なわれている。

外部リンク[編集]

付録[編集]

脚注[編集]

  1. ソ連を含まない単独講和と旧安保条約の締結に反対していた松野鶴平に対して、吉田茂は「このご時世、番犬くらい飼ってるだろう?」と持ちかけ、「それがどうした」と返されると、「犬とえさ代は向こう持ちなんだよ」といったとされる。

参考文献[編集]