古今和歌集

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古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは醍醐天皇の勅命によって編まれた初めての勅撰和歌集である。平安時代の延喜5年(905年)に成立、同年4月18日5月29日)に醍醐天皇に奏上した。『万葉集』殻撰者の時代までの140年間の名歌を集めている。略称「古今集」。真名序は紀淑望、仮名序は紀貫之が執筆した。和歌集としてだけでなく、古今和歌集仮名序は後世に大きな影響を与えた歌論として文学的に重要である。

天皇が勅命を出し国家事業として和歌集を編むという伝統を確立した書でもあり、八代集二十一代集の第一に数えられる。平安中期の国風文化確立にも大きく寄与し、『枕草子』では古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたことが記されている。

撰者[編集]

構成[編集]

20巻で構成され、歌数は総勢1111首。その中に長歌5首・旋頭歌4首を含む。残りはすべて短歌。仮名序と真名序の2つの序文を持つ。内容はほぼ同じである。仮名序は紀貫之の筆。20巻からなる本文は春(上下巻)・夏・秋(上下巻)・冬・賀・離別・羇旅・物名・恋(1~5巻)・哀傷・雑・雑体・大歌所御歌に分類されている。古今和歌集で確立されたこの分類は和歌の分類の規範となり、歌会、歌論などにおいて使われただけでなく後世の勅撰和歌集に形を変えながら継承され、また連歌におけるさらに細分化された句の分類の基礎ともなった。

作風[編集]

繊細優美な作風でそこから『万葉集』の「ますらをぶり」と対比して「たをやめぶり」と呼ばれ、女性的とも言われる。艶かしい姿態美を持つ。また巧みな技巧が発達し、特に「掛詞(懸詞)」「縁語」が多用された。しかし、一般に思われているほど理解しにくい技巧が駆使されているわけではない。また、五七調から七五調への移り変わりがみられる。

古今伝授[編集]

『古今和歌集』の歌風は後に伝承化され古今伝授(こきんでんじゅ)と称されるようになり、宮廷を中心とする御所伝授や地下伝授・堺伝授などの系統が形成されていった。また細川幽齋三条西実枝から承継し、戦国の処世術としても用いた古今伝授は実際には「この歌に詠まれている木は、何処の木」といった由来に関する内容のものであったという(富士正晴の研究に依る)。本居宣長は『排蘆小船』で、これを後代の捏造であると痛烈に批判している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

勅撰集(二十一代集
八代集 古今 - 後撰 - 拾遺 - 後拾遺 - 金葉 - 詞花 - 千載 - 新古今
十三代集 新勅撰 - 続後撰 - 続古今 - 続拾遺 - 新後撰 - 玉葉 - 続千載 - 続後拾遺 - 風雅 - 新千載 - 新拾遺 - 新後拾遺 - 新続古今
(准勅撰) 新葉
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