SASUKE・KUNOICHIでおきた事件

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SASUKE・KUNOICHIでおきた事件では、SASUKEやKUNOICHIでおきた事件・珍事などを記述していく。

  • (SA-第○回大会)はSASUKEについて
  • (KU-第○回大会)はKUNOICHIについて

事件・事故[編集]

パイプスライダーコースアウト事件(SA-第6回大会)[編集]

3rdSTAGE、この大会最後の挑戦者となった山田勝己。さすがに3rdの適正は高く、難関を次々とクリアしていく。最後のパイプスライダーのジャンプで、ゴールに着地したのだが…。

実況(古舘伊知郎)「思い切りジャンプしなければならない、距離があります!」

(山田勝己、ゴールに着地する。が、しかし…)

実況「あーーっと!!これはどうなんだ沼地には吸い込まれていない!・・・ステージから転落するとこれは失格だ!」

なんと、バランスを崩して横へ一回転。コースアウトで失格となってしまった。

その後のインタビューで山田は

古舘伊知郎「諦めるか、それともまだこのSASUKEに挑戦するかどっちですか今の心境は。」

「やらせてください…」

という最悪の結末であった(この時引退を覚悟していた)。

余談だが、この大会も第5回同様、波乱の多い大会だった。第6回は、82人目までなんとクリア者ゼロ。全滅の危機も囁かれたが、83番でスタートした畠田好章がその流れを断ち切り、その後4人がクリアした。ちなみに、ジャンプハングで初めて上を登ったのがこの畠田である。2ndステージはなんと全員クリア(サスケ史上初、2度目は第32回)で、これもちょっとした波乱であった。

1年半ぶりのファイナリスト、無残な結末(SA-第7回大会)[編集]

完全制覇が成し遂げられてからの大リニューアルによる2大会連続3rd STAGE全滅。 2000年はファイナリストの存在しない年となった。

そして迎えた新世紀、2001年春の大会。前回の無念を晴らすべく、男達が集う。 その中には前回ジャンプハングでリタイアの完全制覇者・秋山和彦、そしてパイプスライダーで無念のコースアウト失格を喫した山田勝己の姿もあった。本人のみならず、周囲のリベンジの期待も大いに高まっていた。

しかし大会の現実は非常に厳しいものとなった。第リニューアル後に台頭した竹田敏浩はそり立つ壁で手こずり、まさかのタイムアップ。秋山和彦は前回同様ジャンプハングで無念のリタイア、そして山田勝己は竹田同様にそり立つ壁でのタイムロスが響き、なんと自身初の1st STAGEリタイアを喫してしまう。

2nd STAGE進出は8人だが、今度はそのうちの3人が2ndで脱落。中でも最後に登場してきたケイン・コスギのスパイダーウォークでの脱落は衝撃的な映像となった。

なんとか3rd STAGEまで進出した猛者も、途中の難障害で次々と脱落し、ファイナル進出者も現れないままに最後の挑戦者を迎えることとなった。

その男の名は山本進悟。1年前の第5回大会でただ1人3rd STAGEに進出し、パイプスライダーで涙を呑んだ男である。今回も最後の1人という重圧を背負いながらも3rdの障害を次々クリアし、パイプスライダーまで進出。そして1年前には失敗した最後のジャンプをきっちりと成功させ、見事に第4回の秋山和彦以来1年半ぶりのファイナリストとなったのである。

見ている誰もが歓喜に沸き、完全制覇の期待を持って見守っていた。しかし最後に待ち受けていたのは、あまりにも残酷な結末であった。

始まったファイナルステージ、必死でスパイダークライムを駆け上がり始めた山本だったが、開始後まもなく、なんと左肩脱臼というアクシデントに見舞われ、序盤で落下してしまった。

このシーンは目撃したすべての人々にとって、通常のリタイアよりもはるかに残酷な瞬間だったと言えるだろう。

山田勝己、引退(SA-第8回大会)[編集]

完全制覇目前で脱落した第6回。そして絶対の自信を持って、初めて妻と子を会場に呼び寄せて挑んだ第7回。初の第1ステージ脱落をしてしまい、妻も泣き崩れる結果となってしまう。もっと子供と遊んでやりたい・・・、もう家族に迷惑はかけたくない・・・。そして山田は引退を決意した。

第8回当日は、史上初大雨の中(何度も中断しながら)という最悪のコンディションで行われた。山本進悟、秋山和彦の脱落を目にした後、ゼッケン100番山田は、子供から貰ったペンダントを身につけ出陣。前回2回失敗したそり立つ壁まで到達。しかし、全く登れない…。雨が災いして滑るのであろうか。残り時間10秒で山田は動きを止めた。タイムアップでリタイア。なぜ登れないのか…。実は山田は、そり立つ壁の一番左のコースを選んで登っていた。そしてそれが、一番雨で滑りやすいコースでもあった。その後、真ん中のコースを選んだら一発で成功。

当時の実況「真ん中のコースを選んだら一発でOK!あまりにも皮肉だ!なぜ滑りやすい左のコースを選んでしまったのか・・・。」

もうちょっとここにいさせてくれという仕草をし、山田はもう一度真ん中のコースでそり立つ壁を登り、ロープクライムで頂上まで歩いていく。

古舘伊知郎「これが引退を覚悟している上での、最後の動きなのか…!これが山田の花道か…!万来の拍手・・・!」

しかし、山田はボタンを押さなかった。ゲートをくぐり、拍手の止まない観客席に無念の表情で頭を下げ、山田のサスケ挑戦が幕を閉じた。

(その後はサスケと無縁の生活を送り、子供とも沢山遊んで暮らした。しかし、山田はどうしてもサスケを諦め切れなかった。第9回前に山田はスタッフに手紙を出し、もう一度チャンスを下さいということで引退撤回をした。)

ガムテープ事件(SA-第9回大会)[編集]

第9回大会の2ndSTAGEの話である。まず先陣を切って登場したのは、41)なかやまきんに君。しかし、スパイダーウォークの最後の下りの部分ですべるように落下してしまった。彼は上り・平行移動の部分でも苦戦していたので、ほかの挑戦者もこの時は単純に体力が尽きて体を支えられなくなったのでは、と考えていた。ところが続く61)長野誠もスパイダーウォークの下りの部分で足が滑っていた。クリアはしたものの、ほかの挑戦者たちはスパイダーウォークの下りでの滑りを懸念し始めた。特に気にしていたのは山田勝己で、自分の番を待つ間、地下足袋にあらかじめ滑り止めスプレーをつけ、スパイダーウォークにたどり着くまでにゴミがつかないようにそれを粘着テープで覆うという加工をした。 その後、81)池谷直樹はこの滑りを気にするあまり、スパイダーウォークの下りの部分で時間を使いすぎたためにタイムアップ。97)竹田敏浩もクリアはしたが、やはりこの下りの部分を非常に慎重に攻めていた。そんな中、唯一まったく気にしていなかったのは98)山本進悟。彼は滑り止めのスプレーさえつけずに挑戦し、クリア。そして山田の番が来た。序盤は無難に突破し、問題のスパイダーウォークに到達。ここで山田は地下足袋の裏の粘着テープをはがす予定だった。ところが、テープが上手くはがれず、さらに手にも滑り止めスプレーをつけるかで悩んでしまったため、挑戦前に17秒のタイムロスをしてしまった。問題の下りの部分は全く危なげなくクリアできたが、このタイムロスがたたり、結局最終エリア「ウォールリフティング」の2枚目でタイムアップ。この17秒のタイムロスがなければ、クリアできていた可能性が高かっただけに、この失敗は悔やまれた。余談だが、先の山本進悟は最速タイムでクリアした。滑りに対する考えが大きく明暗を分ける結果となった。

手袋失格事件(SA-第12回大会)[編集]

今大会前に山田勝己は、精神を鍛えるため鹿児島県、最福寺で、「護摩行」と呼ばれる荒行を敢行した。2ndSTAGE時に、山田はチェーンリアクション対策のために自前の手袋を持参していた。本番前に仲間達と「これ手袋すぐ脱げるのかな」と語り合っていた。そしていよいよ山田の番となった。チェーンリアクションは問題なくクリア。そしてスパイダーウォーク。ここでは手袋を必ず脱ぐことになっている。しかし山田は手袋を脱がずに、そのまま突入してしまった(スタッフも「手袋外して」と言っていた)。制限時間3秒55を残してクリアするが、手袋をつけていたために失格となった(第9回の時は、なぜか山田だけ手袋をしていなかった。)。手袋はすぐ脱げるのかと、スタート前に山田は何度も確認していた。しかし、脱ぐ行為そのものが何故抜け落ちてしまったのか。その後、山田は「長野誠が、俺の分までやってくれると思います」と涙ながらに語ったが、長野は泣き笑い。


本放送では放送されなかったが、実はこの後山田は「手袋を脱がないとならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とクレームをつけ、次の挑戦者である99)ヨルダン・ヨブチェフがスタート地点で準備をしていたにもかかわらず2ndSTAGEの再挑戦をおこなった。しかし今度はタイムアップギリギリでゴールのボタンを押したものの、タイムアップの判定。すると山田はメカニカルトラブルではないかと再クレーム。他のすべての挑戦者の挑戦が終わった後、再々挑戦をしたものの、体力を使い果たしたのか、ブリッククライムの最後で落下し、結局は突破できなかった。このシーンは後日「ZONE」で放送された。その後正式な判定として「最初の挑戦時の手袋を外さなかった事による失格」という裁定がくだされた(ちなみに第12回の番宣では、何故か上記の山田がブリックライムで落下したシーンが流れた)。

2ndステージ連続タイムアップ事件(SA-第13回大会)[編集]

この大会は黄金筋肉のSASUKEトライアルの上位でもリニューアルのため1stステージ突破を苦戦した大会だった。それで、1stステージ突破の人数は10人となった。 それで、迎えた2ndステージ。まず、1人目の挑戦者ゼッケン38)植木重悟は洗礼を浴びたのか逆走コンベアでタイムアップ。2人目の挑戦者71)中田大輔はスパイダーウォークで苦戦し、ウォールリフティングでタイムアップ。3人目はバランスタンクで落下。4人目は2ndステージ突破率が高い76)山本進悟。なんと、ウォールリフティングの3枚目で足を挟まれ惜しいタイムアップ。誰もがこの悪い流れを断ち切るかと思ったので、驚きである。山本進悟にとっては初の2ndステージタイムアップとなった。5人目87)山口康輔もウォールリフティングでタイムアップ。 以降の5人の挑戦者はSASUKEトライアル上位の影響か楽々突破を果たすが、前半の5人連続リタイアは挑戦者たちにとって脅威だったに違いない。

ボタン押し忘れ事件(SA-第14回大会)[編集]

2ndSTAGEにアテネゴールドメダリストのポール・ハムが挑戦。 最終エリア「ウォール・リフティング」のクリア直後、時間切れ寸前だったのでポールはゴールへ勢いよく飛び込んだ。 するとステージクリア時に出る煙も上がり、ギリギリながらもクリアしたかに見えた(実況もその時は「間に合った!」と言っていた)。 しかしその直後、ボタンの押し忘れという理由で失格となった。 「押し忘れ」とはいえ、残り時間がほとんどなかったこともあり、ボタンのことを忘れていなかったとしても押すのは難しく、2ndSTAGEをクリアできる可能性は低かったといえる。 しかし、現在では2ndSTAGEもゴール時にボタンを押さなければならないルールになっているが、第7回大会まではボタンは存在しなかったので、時を経て変化したルールが祟った悲劇ともいえる。

白鳥文平熱中症事件(SA-第15回大会)[編集]

第15回大会は史上初、真夏の中で行われた。1stSTAGEの最中、当時の放送上ではゼッケン81番の秋山の挑戦が終了してから、その後のダイジェストでナレーターが「なんと、白鳥文平がダウン」と言った。熱中症である。この事態にSASUKEオールスターズたちも駆けつけた。そしてゼッケン94番、白鳥の番がきた。だが、回復の兆しはまだない。ゼッケン99番の山田勝己が終了した直後、ようやく白鳥は回復した。ゼッケン100番の長野誠が終了してから、白鳥が挑戦することとなった。決して万全の体調ではなかったはずの白鳥だが、1stを13秒7残しでクリア。白鳥はゴール地点で「ありがとうございました!」と高らかに叫んだ。2ndもクリアし、3rdでは山本と竹田に励まされ、スタート地点へ。クリフハンガー、ジャンピングバーを見事突破。その後のうんてい・クライミングバーで力尽き落下するも、この事件は今でもSASUKEファン達の語り種となっている名場面である。

この事件がきっかけだったのか、その後2005年の冬大会終了後、選手の健康状況を考慮することを踏まえた上で2006年の夏大会を行わず、2006年の秋大会を実施することになったのだと思われる。

クリフハンガーコースアウト事件 (SA-第18回大会)[編集]

大リニューアルが施された第18回大会。オールスターズさえも次々と失格となる中、3rdに残ったオールスターズは長野のみとなってしまった。順調に進んで行くものの、マイナーチェンジされたクリフハンガーで距離が長くなった2つ目と3つ目の突起の間を越える際、3つ目の突起を右手で持ったものの左手で支柱をつかんでしまう。その後クリフハンガーを突破したものの、長野が自己申告。コースアウトと言う形で失格となった。
自らコースアウトを伝えた長野誠のこの行動には、好意的な反響が多い。失格になった後も、嫌な顔一つしなかった。

三宅綾子 2度目の完全制覇の裏事実(KU-第5回大会)[編集]

三宅綾子が2度目の完全制覇を達成した直後に起こった。それは完全制覇してから三宅が「ありがとー、おばーちゃーん!」と言ったことから始まった。そしてその直後のインタビューで実況が「なぜ、おばあちゃんと叫んだのか?」と言った。三宅は、最初のステージが終わった直後に、おばあちゃんが亡くなったという報告を聞いて、それで、がんばらなければならないと言い、涙を流し始める。そして会場のみんなや残っていた選手も涙した。祖母の死を乗り越えて、見事2大会連続完全制覇を達成した三宅であった。

収録中に出場者事故 (KU-第6回大会)[編集]

2006年8月、KU-第6回大会収録中の深夜のこと。一般参加の女性が競技施設の下に設置された深さ1.2メートルの水槽の中に落ち、水から上がる際に照明施設に手をかけたところ感電。番組スタッフらが救出し、収録場所の近くの病院に車で運んだが、女性は治療を受けた後、そのまま帰宅した。原因は照明器具の不具合とアース設備の不備だったという。その後収録は事故のため一時中断した後再開し、未明まで収録は続いていたが、3大会連続完全制覇の三宅綾子やほかの出場者は事故についての説明や警察機関への通報は無く、事故の公表もせずに警察への通報も怠っていた。TBS広報部は「今回、事故に遭われた方には深くお詫び申し上げます。今後、さらに安全確認の徹底に努める所存です」と言った。ただ2002年の「筋肉番付」での収録中での事故以来、4年ぶりの事故だが出場者に報告しなかったことや安全面は万全だったのか問題視されている。
また、KUNOICHIで何回目か不明だが、タレントの後藤理沙もこの大会で負傷した。

5人の重軽傷事故 (SA-第18回大会)[編集]

2007年3月3日収録(3月21日放送)の新SASUKE2007。1stステージに2人目の挑戦者として参加したお笑いコンビブラックマヨネーズ小杉竜一がスタート直後のロープグライダーで着地に失敗。着地点である浮き島の角に左腕を強打し、病院に緊急搬送された。診査結果は左肩の脱臼で全治3週間。出演番組には出演しているがギアスをかけている。この事故も警察への通報は無かった。TBSは事故があった1ヶ月後・放送から約2週間後の4月2日に公表した。ちなみに、この事故は放送前の3月14日に既に報道されている。

さらに4月6日になって、TBSは、小杉を含む計5人が負傷し、うち1人は足を複雑骨折し全治6ヶ月の重傷で入院していること、同月3日に神奈川県警青葉署に届け出たことを発表した。事故から1ヶ月も経過するまで届け出なかったことが問題視されている。また、小杉はある週刊誌によると救急車ではなくタクシーで病院で向かったことを明らかにした。この事が連続で起きた場合には最悪の場合、「SASUKE」や「スポーツマンNo.1決定戦」「KUNOICHI」と3番組まとめて放送中止の可能性がある。

バックストリーム溺れ事件(SA-第35回大会)[編集]

99)川口朋広で事件は起きた。スパイダードロップまでをスピーディーにクリアし、最速タイムも狙えそうな状況でバックストリームに突入。しかしバックストリームの終盤で水を飲んで止まってしまった。逆流に戻されていく川口。誰もが川口のクリアは絶望的かと思ったとき、日置将士の「あきらめんなよ!」という声により川口は再び泳ぎだし、バックストリームをクリア。リバースコンベア、ウォールリフティングを駆け抜け、残りわずか0.1秒でクリアした。クリア後のインタビューで川口は「とりあえず行けるとこまで行こう」と話した。序盤のハイペースが結果的に功を奏した。


波乱関連[編集]

大リニューアルの末に…(SA-第5回大会)[編集]

初の完全制覇者が出た前回大会。第5回SSK大会では、サスケ史上最大の大リニューアルが行われた。1stステージに新設されたのは、ジャンプハングとそり立つ壁。そして前からの難所、ローリング丸太。この3つの難関が挑戦者達を次々と飲み込んでいく。なんと80人目までクリア者1人という異常事態となった。実力者達が登場する81人目以降も脱落者が相次ぎ、結局わずか3人しか1stステージをクリアできず。クリアしたのは、竹田敏浩、山本進悟、山田勝己の3人。しかもその3人のクリア時の残りタイムも、山本の3,1秒残しが最高というギリギリでのクリアであった。前回は37人が1stをクリアしただけに、衝撃的な結果となった。

2ndステージも波乱は続く。先陣をきって登場した竹田は、スパイダーウォーク突入直後に脱落。早くも残り2名に。続く山本は、時間との戦いとなる。リタイアかクリアかギリギリというところ、残り0,3秒でなんとかクリア。山田は山本のギリギリのクリアを見たからか、かなり速いペースでエリアを進んでいく。が、それが災いし、スパイダーウォークで突然足を滑らせてしまう。ため

3rdステージもリニューアルが施されていた。前回秋山のみがクリアした3rdステージを、さらに難易度上昇。新設されたボディプロップ、登り段差が追加されたクリフハンガー、ゴール地点が離れたパイプスライダー…。しかも山本は、2ndで左肩を脱臼してしまった。しかしそれらの難関を、山本は次々に突破していく。難易度の増したクリフハンガーをクリアしたとき、思わず山本ジを突破できると思った模様。そして最後に設置されたパイプスライダーゴール地点ましくも脱落。左肩を脱臼していた山本にとって、このパイプスライダーは非常に難関であった。しかし最後の1人として大健闘をした山本に、惜しみのない拍手が贈られた。サスケ史上、最もサバイバル感溢れる大会だったに違いない。

プレッシャーに負けた一人のオールスターズその1(SA-第9回大会)[編集]

これはまだ長野誠白鳥文平がサスケオールスターズになっていない時である。オールスターズは4人だった。1人目ゼッケン97)竹田敏浩。まずはクリア。次に98)山本進悟。春の大会は得意なのか軽々クリア。次はここ2大会連続で1stステージ脱落の99)山田勝己。今度はクリア。そして最後、完全制覇以来ジャンプハングで苦戦していた100)秋山和彦。ジャンプハングの特訓を積んでスタート。ところが、スタートエリアの5段飛びで脱落。これには実況も驚きを隠せない。プレッシャーに負けたのか。ちなみにオールスターズがスタートエリア脱落はこれが史上初で、その次は2021年の第39回大会の山田勝己までなかった。完全制覇者のスタートエリア脱落はこの秋山和彦と2017年春の第33回大会の漆原裕治の2回のみ。

SASUKEオールスターズ 最悪の連鎖反応(SA-第10回大会)[編集]

記念すべき10回大会、皆の士気は高まっていた。無論、SASUKEに人生を賭ける男達も。その1stSTAGE、SASUKEオールスターズの先陣を切ったのはゼッケン981番の秋山和彦。因縁のジャンプハングを攻略すべく、目を閉じても掴めるまで続けた特訓が実り、見事にジャンプハングをクリア。しかし、その後実際の高さより50cm高いセットで練習したそり立つ壁を越えられずタイムアップ。その次のゼッケン997番竹田敏浩。抜群の安定感を誇り、その大会時も1stSTAGE突破率80%と高い数値を叩き出していた。誰もが竹田のクリアを信じて疑わなかったが、過去一度も失敗した事のなかったジャンプハングでリタイア。本人曰く「助走をつけすぎた」とのこと。次のゼッケン998番山本進悟は、その当時秋の大会では1stSTAGE突破率がきわめて低く、周りも一抹の不安を抱えていたが、その予想が当たってしまうかのように、新エリアのターザンロープで大苦戦し、無念のタイムアップ。ゼッケン999番長野誠は、スタート前山田勝己と「流れ断ち切ろ!」と言い合ったのだが、竹田同様ジャンプハングでのリタイア。踏み切りをトランポリン前方で行ってしまい、反発力をあまり得られなかったのが原因と思われる。秋山、竹田、山本、長野と4人連続のリタイアに、まさかのSASUKEオールスターズ全滅!?の雰囲気が漂う中、ゼッケン1000番山田勝己が、見事に1stSTAGEをクリア。

しかし、この大会は第7回大会・第8回大会同様SASUKEオールスターズが一人しか1stSTAGEをクリア出来なかった大会になった。

プレッシャーに負けた一人のオールスターズその2(SA-第11回大会)[編集]

この大会はゼッケン95 - 100番まで連続で1stステージをクリアした大会だった。その中で96 - 100番はサスケオールスターズだった。ドラマは2ndステージで起こった。まず先陣を切って、96)長野誠。長野は20秒近く残してクリア。続く97)竹田敏浩、98)山本進悟はまるでタイムトライアルかの様に10秒以上残してクリア。続く99)秋山和彦。1stステージギリギリクリアで、2ndステージは3年半ぶりの挑戦だった。1つ1つエリアを慎重に行き、これも危ないながらも2ndステージをクリアした。同じく3年半ぶりの3rdステージ進出だった。最後100)山田勝己。前回はパイプスライダーでの有名な言葉があるので、連続で3rdステージ進出かと思われた。そこで、プレッシャーに負けたのかバランスタンクで落下。「山田勝己転落!」という実況の声。それとオールスターズのため息。これは残念である。ちなみに白鳥文平も2ndステージ脱落だったが、当時彼はオールスターズではなかった。前回の第10回とは逆の悲劇が起こった。

良い流れを断ち切ってしまったオールスターズ(SA-第16回大会)[編集]

これは1stステージで同大会で残り約10人くらいに有力者が勢揃いしていた時の話である。まず89)長崎峻侑。1stステージ成功率100%の意地でクリア。次はモンスターボックス世界記録保持者90)池谷直樹。池谷もクリア。以降ゼッケン91)~95)と連続であっさりクリア。ここからは全員オールスターズ。まず、96)白鳥文平。まず、白鳥クリア。ここまで8人連続クリア。近年では最高記録?。続いて、97)山本進悟。ここ最近1stステージ突破率が高い。だが、それのプレッシャーと焦りなのか、ジャンプハングで初の脱落(足が着水)。またしてもオールスターズのため息。連続突破は8人で途切れた。ちなみに以降の挑戦者は98)竹田敏浩がクリア。99)山田勝己がロープクライムでタイムアップ。100)長野誠もクリア。それでも、最終的な突破人数は近年最多の16人となった。そして、その後、次のメタルスピン集団落下の大波乱の事件に続く。

メタルスピンでの大波乱(SA-第15回~第17回大会)[編集]

史上初の夏開催となった2005年真夏の第15回大会。2ndに進出した7人のうち、100)長野誠までの6人が全て2ndステージをクリアした。残すは完全制覇に最も近い男と言われるゼッケン100番長野誠。過去2ndステージでリタイアしたことは1度もなく、第6回以来9大会ぶりの2nd全員クリアかと思われた。しかし2ndステージの終盤に前回から新設されたメタルスピンでまさかの落下。前回の第14回大会は挑戦した12人全員がメタルスピンをクリアし、この大会も6人全員がクリアしていたため、長野が19人目にして初のメタルスピンでのリタイアとなったことにまさに衝撃だった。

続く第16回大会ではメタルスピンでのリタイアが相次いだ。2nd進出者はリニューアル後としては最多の16人。まず最初の挑戦者39)長澤秀則は、新しく出来たデルタブリッジを越えたが、メタルスピンで落下。次の挑戦者51)知幸も同じメタルスピンで落下。3人目66)高橋賢次でようやく一人目のクリア。しかし、次の挑戦者である71)秋山和彦はメタルスピンで落下。やはり弱視が原因なのか。その次73)亀山昌志もメタルスピンで落下。ゼッケン89~91番はクリア。だが、なんと、92)小林信治、93)小林正明、94)ポール・ハムは3人連続メタルスピンで落下。ようやく95)ヨルダン・ヨブチェフ以降からクリアラッシュが続き、3rd進出は8人にとどまった。ちなみにゼッケン86)泉山雄太はデルタブリッジで落下した。この大会メタルスピンでリタイアした7人は初の1stクリア、または1stクリア率が低い選手だったため、前回の長野誠のリタイアと比べて波乱とは言えないが、メタルスピンが猛威を振るった大会になった。

3年ぶりの秋開催となった続く2006年秋の第17回大会でもメタルスピンで波乱が起きた。最初に挑戦した1stステージを史上最年少でクリアした51)本間晃汰はスパイダーウォークで落下したが、そこから5人連続クリア。だが2nd7人目の挑戦者となった初出場の92)リー・エンチでメタルスピンで落下。そして続く挑戦者は前回初めて3rdのデビルブランコをクリアし、パイプスライダーまで進出した95)山田康司。これまで2大会連続でクリアしていたメタルスピンでまさかの落下。山田康司にとってこれが初の2ndリタイアとなった。

これらの波乱もあって、長野誠の完全性は直後の第18回大会の大リニューアルで、2ndステージまでのエリアで唯一メタルスピンが継続された。

KUNOICHIファイナリスト最悪の連鎖反応 (KU-第4回大会)[編集]

これは約45人挑戦して、1stステージクリア者がまだ出ていない時の話である。ここで出てきたのは、前回ファイナリストの47)半澤友美。前回ファイナリストの意地か、1つ1つ障害物をクリアしていく。それで、最後の脱出縄。際どかったが、タイムアップ。まず1人消えた。その後はゼッケン99)泉美香まで8人1stステージをクリアした。そして、登場してきたのは前回ファイナルステージを惜しいところでタイムアップとなった100)水野裕子。彼女もクリアと思われた。だが、プレッシャーか、スタートエリアの舞踊石で脱落。これには実況もクリア者なども驚きを隠せなかった。これで2人目も消えた。ちなみに舞踊石にはバネが取り付けられリニューアルされていた。これで残ったのは、99)泉美香ただ1人。だが、これで悲劇はまだ終わらなかった。2ndステージでも起こった。2ndステージ挑戦者達はどんどん3rdステージ進出を決めていった。そして、回ってきた泉美香。水野が脱落したことにより一気に有力候補に名乗り出た。2ndステージもまるでどんどん挑戦者の見本のようにクリアしていく。だが、勢い余って三連跳で脱落。彼女にもプレッシャーがあったのかも知れない。これで全てのファイナリストが全滅した。 反対に明るい話題もあった。この大会で新星が現れた。その名はマッスルミュージカルメンバー三宅綾子。彼女が初めてKUNOICHIを完全制覇した。