2.1ゼネスト

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2.1ゼネスト とは、1947年(昭和22年)の2月1日に実施予定であったゼネストである。 ゼネラル・ストライキというものは革命の手段と手法であって、当時の日本の国民全部が飢饉と飢餓にあえいでいるときはまさしく革命前夜にふさわしかった。日本の共産主義者たちは、そういう機運に便乗してここにゼネストを行うべく画策したのである。このゼネストには、今でいうところの官公労を始めとして、全逓、日教組、総同盟等々、日本のあらゆる労働者が結集することになっていた。

 概要[編集]

それが実施されれば日本は完全に麻痺していたに違いない。60年余りたった今日、当時のこういう社会情勢に関して、誰も振り返って評価しようとしないが、あの原爆の落ちたときでさえ日本の鉄道は機能していた。確かに、爆心地の近くでは不通箇所もあったであろうが、日本全体からすれば機能していたと見るべきであり、名古屋空襲、東京空襲のときでも該当の地域では部分的に不通であったかもしれないが、日本全体では機能していた。

終戦の8月15日でさえも鉄道はきちんと機能していたのである。それが人為的に日本全国で完全に止まるということは、我々、日本人が自らの力で日本の息の根を止めるということである。本土決戦並みの愚行であったろうと思う。まさしく自殺行為である。共産主義者に煽動された諸々の労働組合はそれをしようとしたのである。

しかし、それは前日マッカーサーの指令が出て中止となって、あの井伊弥四郎の「一歩後退、二歩前進」という悲痛な声明となって現れたのである。あの時期にこの「ゼネストをやろう!」という発想を、我々は深く考察しなければならない。あの社会情勢の中で、確かに、日本の津々浦々に至るまで飢餓と困窮が行き渡っているときに「革命をしよう!革命を起こそう!」ということは、共産主義者ならずともそういう衝動に駆られることは否めなかったと思う。革命でも起こさないことには、我々は生きながらえない、と思い込むのは極普通の感覚であったに違いない。しかし、そういう思いに浸ってしまった人は、やはり社会の表層だけを見ていた人たちだろうと思う。海の潮目を船の上から見ている人たちだろうと思う。屋根の上の風見鶏を下から眺めている人たちだろうと思う。あの状況下で、ゼネストを実施したら、どういう状況が現出するのか全く考えないで、「バスに乗り遅れるな!」、とばかりに共産主義者の煽動に飛びついた人たちだろうと思う。この民族の性癖というべきか、我が民族の付和雷同性というべきか、先行きを無視した思考は、先の太平洋戦争にはまり込んで行った思考回路と全く同じ軌跡を踏襲しているではないか。先が読めないまま、周囲の雰囲気に飲まれて、さも先見性があるような気分に浸って、提灯持ちの後にくっついて繋がって歩くという姿ではないか。先のことが読めないというのは神様でない限り解決が付かない問題であるが、我々、日本民族の発想は、ここで「やって見なければ結果は判らない」という思考に行き着くのである。だから、この考え方は、我々日本人には非常に受け入れやすい面があるが、それは「己を知り敵を知る」という努力をせず、「運を天に任せる」という非常に不確定な発想である。やるからには徹底的に相手を研究するという努力をせず、「やって見なければ判らない」という安易な思考のまま、ことに当たってしまうから結果が惨敗となるわけである。「やって見なければ判らない」というのは絶対的な真理なわけで、だからそれを旗印にして結論を急がせるのが我々の在野の人々であって、在野の人々は責任がないから非常に無責任に為政者を責めることができるのである。

ところが、為政者としては自信が無いまま決断を下してはならないにもかかわらず,周りから責められるので、敢えてその欲求を飲まざるを得ない。我々の政治の状況というのはすべてこうである。為政者が為政者として確たる信念で事に当たると、それを独裁と称して忌み嫌うわけで、為政者が在野の人々に迎合すれば、結果は惨敗となるが、実施したのが為政者であるから悪いのは為政者だということになってしまう。統治する側とされる側では当然ものの見かたは相反するわけで、在野の立場からすれば、当面の負の責務は回避したいのが常であるが、統治する側にしてみれば、長期的な展望に立って、今は少々我慢を強いられても先行きに展望があれば、そちらのほうを選択したい、と想うのが普通だ。

昨今の日本の進歩的知識人と称する人々、評論家と称する人々は、統治する側を糾弾すればそれでことが足りると考えがちであるが、統治する側というのは私利私欲で政策を牛耳っているわけではない。戦後の政治では、党利党略という部分が少しは見え隠れしているが、それとても個人の利益追求という範疇のものではない。総じて日本の為政者というのは国民全般の利益追求ということで政策を担っていると思う。外国の為政者のように、政権を担っている間に蓄財を図るということはほとんど皆無といってもいいと思う。

ところが昨今の政府を糾弾する手法というのは、さも個人的な蓄財をしているかのような問題提起の仕方をしているが、これも現実をよく自分の目で見、自分の考えで思考していないという証拠で、人のいうことを受け売りしているに過ぎない。

こういう日本人の政治的感覚がこの昭和22年のゼネストのときにも見事に露呈しているわけで、あの時代のあの状況から見て、あのタイミングでゼネストを実施すればどういう状況が現れるのか、普通の常識を備えたものであれば必然的にわかるものと想う。それでも尚遂行しようとした井伊弥四郎や労働界の幹部は、如何に先見性に欠けていたかということである。まるで旧帝国軍人の高級官僚たちが太平洋戦争、大東亜戦争に嵌りこんで行った軌跡と全く同じではないか。旧軍隊の高級官僚と、労働界の頂点に立つものが、同じ日本人である限り、同じ行動パターンを踏襲している構図だと思う。双方とも、現状認識というものを考慮することなく、目の前の現象に目を奪われて、先のことを考慮することなく、猪突猛進しようとしたわけだ。そして在野の人々の立場からすれば、目の前の問題を早期に、目に見える形で解決してもらわないことには、為政者や組合のトップにいる人々の値打ちがないわけで、その解決を急がせるという構図だと思う。

確かに、昭和22年という時代では、インフレは止めどもなく更新し、庶民は飢餓と貧困にあえいでいるので、そういった問題の刷新は、早急に図らねばならなかったことはいうまでもないが、だからといってゼネストを打てばそれが解決できるか、という補償は何処にもないわけで、すればしたで尚一層の混乱を招くことは確実であった。マッカーサーは当然そのことがわかっていたから、土壇場でそれを中止させたが、それがわからないままストに入ろうとした井伊弥四郎の思考というものを我々は厳しく糾弾しなければならないと思う。これは井伊弥四郎の個人の問題ではないと思う。日本共産党の問題だと思う。

井伊弥四郎そのものは国鉄労組の人間で、共産党員であったかどうか知らないが、国労そのものが共産党員に牛耳られていたことは否めないと思う。当時の状況を鑑みるに、国労ばかりではなく、官公労も、日教組も、全逓も、総同盟も、あらゆる労働組合に共産党員がもぐりこんでいたことは歴然たる事実であろう。

マッカーサーの指令で、共産党員も公然活動が許されていたので、戦中のように非合法ではないが、合法的なるが故に、更に活動がエスカレートしてしまって、際限なく非合法に近づいてしまったのである。このあたりの行動パターンも、戦前、戦中の日本の軍隊の行動パターンに驚くほど類似していると思う。つまり、自己規制が効かないという点で、根が同じ日本人あるが故に、自分のしていることの良し悪しが判らなくなるという特徴がある。何処までが許される行為で、そこから先はしてはならない行為だ、という判断が出来ず、後からアジられると際限なく突き進んでしまうという傾向がある。この、後ろから大勢のものがアジるという行為を、我々はよく注視しなければならない。後ろから大勢のものがアジるということと、「煽動」とは少々ニュアンスが違うが、この行動に大儀が絡みつくと、それは正当化されてしまうことになり、これが非常に怖いことである。

戦中に、神風特攻隊に志願して大空に散った若者達は、ある意味で後ろからアジられてその役を買って出たといえるし、「煽動」に乗せられてその役を引き受けたとも取れるが、これと同じことが戦後の日本共産党の内部でも起こっていたわけで、それがもう少し後で出てくる戦後の三大不思議話しに繋がっていると思う。