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'''長妻 昭'''(ながつま あきら、[[1960年]]〈[[昭和]]35年〉[[6月14日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[民進党]]所属の[[衆議院議員]](6期)。
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<nowiki>'''長妻 昭'''(ながつま あきら、[[1960年]]〈[[昭和]]35年〉[[6月14日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[民進党]]所属の[[衆議院議員]](6期)。
  
 
[[厚生労働大臣]](第[[鳩山由紀夫内閣|11]]・[[菅内閣|12]]代)、[[民進党代表]]代行、[[民進党幹事長|民主党幹事長]]代行、[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]代表代行などを歴任した。
 
[[厚生労働大臣]](第[[鳩山由紀夫内閣|11]]・[[菅内閣|12]]代)、[[民進党代表]]代行、[[民進党幹事長|民主党幹事長]]代行、[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]代表代行などを歴任した。

2020年1月8日 (水) 03:53時点における版

'''長妻 昭'''(ながつま あきら、[[1960年]]〈[[昭和]]35年〉[[6月14日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[民進党]]所属の[[衆議院議員]](6期)。 [[厚生労働大臣]](第[[鳩山由紀夫内閣|11]]・[[菅内閣|12]]代)、[[民進党代表]]代行、[[民進党幹事長|民主党幹事長]]代行、[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]代表代行などを歴任した。 「ミスター年金」と呼ばれ満を持して厚生大臣になったものの、何も実績は残せず「ミスター無能」と呼ばれるようになった。 == 民進・長妻昭氏が国会論戦の追及テーマ募集。しかし、寄せられたのは「二重国籍」「ガソリーヌ」「ラブホ連れ込み疑惑」(2017年2月) == 衆院予算委員会の野党筆頭理事を務める民進党の長妻昭元厚生労働相が、ツイッターで「国会で追及してほしいことをお寄せください」と呼びかけた。ところが、ネットユーザーからは、民進党のあんな疑惑やこんな不祥事の“追及”を求める声が相次いで寄せられた。 1日のツイッターでの呼びかけに対しては、蓮舫代表の「二重国籍」問題や、“ガソリーヌ”こと山尾志桜里前政調会長の政治資金問題、後藤祐一衆院議員の防衛省職員への暴言問題など民進党議員の疑惑や不祥事を追及のテーマに据えるよう求める意見がまたたく間に集まった。 女性をラブホテルに強引に連れ込もうとしたと「週刊新潮」に報じられ党青年局長を辞任した初鹿明博衆院議員や、旧民主党時代、国会の審議時間中に自民党の女性議員を投げ飛ばした津田弥太郎参院議員(すでに政界引退)の名も挙がった。 こういう結果になることを長妻氏は予測できなかったのか…。 == 来歴 == [[東京都]][[練馬区]]生まれ。[[東京都立練馬高等学校]]、[[慶應義塾大学法学部]]卒業。大学卒業後、[[日本電気|日本電気(NEC)]]に入社し、[[メインフレーム|大型コンピューター]]の営業職を務める。その後[[日経ビジネス]]の記者に転職し、主に金融、行政、政治分野を担当した。 [[1992年]]、[[大前研一]]が立ち上げた[[平成維新の会]]に参加し、事務局長代理を務める。[[1995年]]の[[第17回参議院議員通常選挙]]に平成維新の会公認で立候補するも、落選。その後[[新党さきがけ]]に入党し、[[1996年]]の[[民主党_(日本_1996-1998)|旧民主党]]結党に参加する。[[1996年]]、[[第41回衆議院議員総選挙]]に旧民主党公認で[[東京都第10区|東京10区]]から出馬するが、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認の[[小林興起]]に大敗。次点も[[新進党]]前職の[[鮫島宗明]]に奪われ、[[重複立候補制度|重複立候補]]していた[[比例東京ブロック]]での復活もならず落選した。 [[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では、[[東京都第7区|東京7区]]に国替えし、[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]公認で出馬。自民党前職で、[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]や[[沖縄振興局|沖縄開発庁長官]]を歴任した[[粕谷茂]]に[[比例復活]]すら許さない票差をつけ、初当選(粕谷はこの敗北が遠因になり、政界引退に追い込まれた)。[[2002年]]9月の[[民主党代表選挙]]では、同じ東京都選出で当時[[民進党幹事長|幹事長]]だった[[菅直人]]の推薦人に名を連ねる(菅は[[岡田克也]]を破り当選)。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で再選。[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、東京7区で自民党の[[松本文明]]に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、3選。 [[2009年]]5月の[[2009年民主党代表選挙|民主党代表選挙]]では、中堅・若手を中心に出馬を期待する声が上がったものの立候補を見送り、副代表を務めていた岡田克也の推薦人に名を連ねた(岡田は[[鳩山由紀夫]]に敗北)。同年8月の[[第45回衆議院議員総選挙]]では、東京7区で松本を大差で破り4選。選挙後に発足した[[鳩山由紀夫内閣]]で[[厚生労働大臣]]に任命され、初入閣。あわせて「年金行政の抜本的な見直しを推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する[[国務大臣]](年金改革担当大臣)を兼務。鳩山の退陣に伴い[[2010年]]6月に発足した[[菅内閣]]においても、引き続き入閣した<ref>「人事異動」『[[官報]]』号外特17号、[[国立印刷局]]、[[2010年]][[6月8日]]、1面。</ref>。 同年9月、[[菅内閣_(第1次改造)|菅第1次改造内閣]]の発足に伴い、厚生労働大臣を退任し、民主党筆頭副幹事長に就任。閣僚経験者の副幹事長への起用は民主党内では異例の降格人事とされ、[[内閣改造]]に際して閣僚人事の検討を主導した当時の[[内閣官房長官]][[仙谷由人]]は「長妻君の職員からの評判はすこぶる悪い。かと言って、交代させると、ダメという烙印を押すことになる」と周囲に語ったとの[[報道]]もある。厚労相退任に際し、長妻自身はわずか1年間での退任に未練をにじませた。 [[2012年]]、[[衆議院]][[厚生労働委員会|厚生労働委員長]]に就任。同年12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]では[[与党]]に猛烈な逆風が吹き荒れる中、東京7区で自民党元職の松本を破り、5選(松本は比例復活)。なおこの選挙で、[[東京都]]の25の小選挙区で当選した民主党候補は長妻と[[長島昭久]]の2人だけであった。[[2013年]]5月、民主党幹事長代行に就任。 [[2014年]]、政調会長代理に再び就任。同年12月の[[第47回衆議院議員総選挙]]では、再び松本を破り6選(松本は比例復活)。この選挙により、東京都内で唯一民主党が勝利した選挙区となった。 同年12月末、元[[農林水産大臣]][[赤松広隆]]ら党内[[自由主義|リベラル]]勢力の支援を受けて[[2015年]]1月の[[2015年1月民主党代表選挙|民主党代表選挙]]に出馬を表明。支持基盤が重なっている元[[農林水産副大臣]][[篠原孝]]との候補1本化に成功し、推薦人に赤松や篠原の他、政界での盟友(後述)[[山井和則]]、慶応大の後輩で平成維新の会へも共に参加した[[風間直樹]]らが名を連ねたが、3位となり決選投票に進めず敗北。岡田[[民進党執行部|執行部]]発足後は党代表代行に就任した。 == 厚生労働大臣 == * [[2009年]][[9月17日]]に[[厚生労働省]]に初登庁したが、出迎えた職員からは拍手もなく、終始緊張感のただよう初登庁であった。その後の訓示では、民主党の衆院選[[マニフェスト]](政権公約)の冊子を手にしながら、マニフェストを「ある意味、[[国民]]と新しい[[日本国政府|政府]]との契約書、あるいは命令書と考えてもよい」と訓示した。 * 2009年[[9月19日]]、[[厚生労働大臣]]として[[障害者自立支援法]]の廃止を明言した。 * 2009年[[9月25日]]、[[守秘義務]]のない民主党政策調査会の職員を、省内の担当部署からの説明時に同席させている問題について、民主党の職員を非常勤[[国家公務員]]として採用することで問題を解決する考えを示した。 * 2009年[[9月30日]]、[[閣議]]について「[[印章|判子]]を押してそれで解散という[[自由民主党_(日本)|自民党]]の方式ではなく、閣議の後で懇談会で率直な意見交換を行うようにした」と[[記者会見]]で報告した。記者から「自民党も閣議・閣僚懇という仕組みで同じことをしていました。民主党が「形骸化した」と批判していた閣議は参加してみたら実はそうではなかったという趣旨の感想でしょうか」と質問されると、長妻は「[[マスコミュニケーション|マスコミ]]の[[報道]]で見た自民党の閣議は、サインをして「はい終わり」というものだった。実際に見たことはないが、民主党のように濃厚な議論はしていないと思う」と回答した。 * 2009年[[10月5日]]、緊急雇用対策に関する指針について取材しようと[[内閣府]]の会議室前で待機していた[[ぶら下がり]]の記者たちを避けるため、貨物用[[エレベーター]]に乗り込んで、地下から逃げるように立ち去ったと、[[週刊文春]]に報道された。 * 2009年[[10月26日]]、[[中央社会保険医療協議会]]の後任人事について、自民党を支持する[[日本医師会]]の委員枠を実質廃止し、同年[[8月]]の総選挙で民主党を支持した茨城県医師会の医師ら3人を選出した。 * 2009年[[11月12日]]、[[日経ビジネス]]の[[インタビュー]]で「自民党[[政権]]だったら、[[国務大臣|大臣]]になってもすべてお膳立てが整っている。極端に言えばハンコをつくくらいだと推察されます」と、同年9月30日に述べた自民党への見解を重ねて主張。また[[予算]]額について自ら[[電卓]]を使っている理由として「最初は自分でやってみないことにはどうにもならないから」、自民党の大臣については「自分で電卓をたたく大臣はいなかったんじゃないか」と語った。 === 年金関連 === * 「ミスター年金」と呼ばれた長妻であったが、厚生労働大臣となってからは慎重な発言が多いため、「ミスター検討中」と揶揄する声が挙がった。これについて長妻は、「すぐに結論が出せるものもありますが、じっくりと制度の改革などを考えなければならないこともあります」「([[社会保障]]分野では)きちんと議論をして、それを多くの方の意見を聞いて、段階を踏む必要がある」と釈明している。 * 2009年(平成21年)9月29日、民主党がマニフェストで反対していた[[日本年金機構]]について、[[2010年]](平成22年)1月に発足させる方針を発表した。1078人の民間人の採用手続きが進んでいることや、庁舎移転なども始まっていることから、発足を凍結した場合の影響が大きいと判断した。 * 2009年[[10月10日]]、[[2010年]]度予算の概算要求で日本年金機構の[[非正規雇用|非正規]]職員を含めた人件費を、年金記録解明のために増額を求めることを示した。 * 2009年[[10月27日]]、[[社会保険庁]]が日本年金機構に移行することによって、[[分限免職]]される社会保険庁の職員([[懲戒処分]]歴のある職員は年金機構で雇用されずに分限免職となる)数百人を、[[地方公共団体|地方自治体]]が採用するように働き掛ける方針を表明。 * 2009年10月、党がマニフェストに掲げた社保庁と[[国税庁]]を統合して歳入庁を創設する構想について、年金機構を「つなぎ」とし、4年後には歳入庁に統合する方針を表明したが、[公務員ではない年金機構の職員1万1千人を、歳入庁で公務員に戻すと公約に矛盾しかねないことや、国税庁職員を非公務員とすると、同庁を外局に抱える[[財務省_(日本)|財務省]]が猛反発するなどの問題がある。 * 2009年[[11月12日]]、[[年金記録問題]]について、[[国民年金]]加入期間の空白が1年以内である場合や、2年以内で他に未納期間がない場合には、証拠がなくても納付したと認める方針を表明。 * 2009年[[11月13日]]、過去に懲戒処分を受けた社会保険庁の職員を、厚生労働省の非常勤職員として採用することを検討する意向を表明。採用の規模は最低で100人ほどを予定していたが、「(非常勤採用を)自動的にできるという意識は持っていない」として、案を主導した[[日本労働組合総連合会|連合]]と距離を置くことになった。12月1日、過去に懲戒処分を受けた社会保険庁の職員約300人の日本年金機構への移行に伴う処遇について、無許可で[[労働組合]]の活動に専従した30人を民間の[[解雇]]にあたる分限免職とし、年金記録のぞき見などで処分歴がある約280人については非常勤職員の公募への応募を認めるが、採用は250人に限ることを発表した。[[野党]]時代は厚生労働省での採用に否定的で「社保庁職員は[[ハローワーク]]に行け」と主張していたが、[[平野博文]][[内閣官房長官|官房長官]]からの要請に応じたものとみられる。 * 2009年[[11月14日]]、[[行政刷新会議]]で厚生労働省の立場を説明するために、局長級の官僚を派遣。その議論の様子をテレビで見た「仕分け人に対する局長級の説明能力が低い」と指摘した。 * 2009年12月28日、厚生労働大臣(当時)である長妻は、懲戒処分を受けていた251人の職員を含めた525人を、分限免職とする方針を決定した。 * 夫が[[失業]]した時に、国民年金の種類を切り替えていない[[専業主婦]]が全国に約100万人居るという、主婦の国民年金3号切り替え問題について、[[2011年]][[3月]]に、救済方法や法改正をせずに行政裁量で対応させる方針を決定し、同年[[12月]]に救済策を定めた通知を課長名で出させた。なお2011年3月8日、衆議院[[厚生労働委員会]]で後任の[[細川律夫]]は、長妻から引き継ぎを受けていなかったと説明し、通達を出した課長は更迭された。 === 後期高齢者医療制度 === * 2009年[[10月4日]]、 2008年[[6月]]に民主党が[[参議院]]に提出して可決させた「[[後期高齢者医療制度]]を即時廃止し、老健を復活させる法案」の実現を断念し、[[自公連立政権|自公政権]]の政策(後期高齢者医療制度の継続と老人保健制度の復活の断念すること)を発表した。 * 2009年[[11月9日]]、2010年度の後期高齢者の医療保険料が平均12%増になることを発表。 === 母子加算の復活 === * 2009年[[9月22日]]、[[生活保護]]の[[生活保護#母子加算|母子加算]]を10~11月ごろまでに復活させる方針を発表。 * 2009年[[10月8日]]、生活保護の母子加算を[[12月]]までに復活させる方針を発表。母子加算の財源を作るため、災害など緊急時に備える[[予備費]]などを割り当てる方針を発表。 * 2009年[[10月14日]]、母子加算の財源を作るため、「子育て応援特別手当」(3歳未満の[[児童手当]]が5000円から10000円にされた時に「すきま」年齢としてすりぬけた児童を対象に1回限り3万6千円を支給する[[政策]])を支給停止することを決定。 * 2009年(平成21年)[[10月22日]]、母子加算の財源を作るため、「ひとり親世帯就労促進費」(月に3万円以上収入を得た場合に1万円を支給し、自立に向けて努力しているひとり親世帯を支援する制度)を廃止する方針を発表。 === 子ども手当 === * 2009年には、[[子ども手当]]を推進した。 子ども手当の意義や目的については平成23年度の制度設計で検討するとした。 === 平成22年度版厚生労働白書 === 2010年[[8月27日]] 平成22年度版厚生労働白書を閣議決定したが、巻頭に厚労行政について「お詫び」したり、巻末に「厚生労働カルタ」を添付した異例の内容であった。長妻は自身のホームページでも「ながつまカルタ」を掲載しており、白書でのカルタ添付も長妻が指示し、意向が強く反映された形となっており、省内からは「まるで長妻白書だ」(幹部)との声も漏れていた。 === 代替医療関連 === * 長妻は、2010年[[1月28日]]の[[予算委員会]]において「統合医療の省内でプロジェクトチームをつくりまして、これを一本にまとめていくということで検討していくということであります。統合医療は、もう言うまでもなく、西洋医学だけではなくて、伝統医学、漢方、鍼灸、温泉療法、音楽療法、芸術療法、心身療法、自然療法、ハーブ療法、'''ホメオパチー'''(原文ママ)などいろいろな広がりがあるものでございまして、厚生労働省といたしましても、この22年度の予算でかなりこれまで以上に、研究分野の統合医療の研究について十億円以上の予算を計上しまして、その効果も含めた研究というのに取り組んでいきたい」と答弁した。 * 2010年[[8月24日]]、[[日本学術会議]]は[[ホメオパシー]]に関する会長談話を発表した。これを受けて、長妻は「本当に効果があるのかないのか、厚労省で研究していく」と述べ、ホメオパシーを含む[[代替医療]]に関し、[[聖路加国際病院]]の福井次矢院長を主任研究者とする研究班を設置した。 === 相対的貧困率の公表 === 2009年10月20日、長妻は[[日本国政府|日本政府]]として、初めて相対的[[貧困線|貧困率]]が、「国民生活基礎調査」を基に試算した[[経済協力開発機構]](OECD)によるものと「全国消費実態調査」(総世帯)で公表されているものとの間には乖離が確認されており、解釈には幅を持たせる必要がある。また「全国消費実態調査」(総世帯)に基づいて算出した[[ジニ係数]]にみられる高齢者層の所得格差の拡大は、高齢者世帯比率の上昇が主な要因であったことを示している。ただし[[高齢者]]層のジニ係数の格差水準は低下傾向にあることを公表した。[[日本]]は[[メキシコ]]、[[トルコ]]、[[アメリカ合衆国]]に次いで4番目に高い。[[自公連立政権]]が貧困率の公表を避けてきたのは、削減目標設定を余儀なくされることを嫌ったことが一因とされるが、長妻は数値算出を指示するとともに「[[ナショナル・ミニマム|ナショナルミニマム]](政府が国民に保障する最低限の生活水準)研究会」を発足させた。[[毎日新聞]]は長妻について、社会保障制度改革で実績を上げることができなかったが、[[貧困]]と向き合ったことは成果に挙げることができる、としている。 === 若手プロジェクトチーム === 厚労相就任後、長妻の肝煎りで発足させた「若手プロジェクトチーム(PT)」が、平均年齢33歳の職員34人が6チームに分かれて、業務効率化やサービス改善策について無記名のアンケート調査を行った。 その結果、「現在仕えている上司について、当てはまると思うものはどれか(複数回答)政務三役」というアンケート項目に対し、「(政務三役の)おごりを感じる」と答えたのは48.0%であった。また、自由意見に「政務から優先順位がなく現実的なスケジュール感のない宿題が山ほど出されていることが、問題」などがあった。 [[2010年]][[7月28日]]、このアンケート結果の報告会に出席した長妻は、この結果に対し沈黙したが、[[長浜博行]][[厚生労働副大臣]]は「『おごっている』の意味が一体何を指しているのか。政治家は国民意識から離れている場合は選挙で負けるが、公務員にはそういった機能がない」と反論した。職員の本音を突きつけられた長妻は「提言してもらった方々の勇気と労力に敬意を表します」と語った。 == 政策・主張 == === 質問主意書 === * [[内閣_(日本)|内閣]]に対する[[質問主意書]]の提出を積極的に行っている。3期目(2005年9月から2009年7月まで)の提出回数は、全衆議院議員中4番目に多い。 * 質問主意書は通常、1週間以内の回答を制度上義務づけられているが、「期間内で回答は不可能」として回答を拒否されたことがある。 * [[2004年]][[8月5日]]の[[記者会見]]で、[[細田博之]][[内閣官房長官]](当時)は長妻の質問主意書を手に取り、「『自分は質問主意書日本一だ』と自慢して、選挙公報に出している人までいる。非常に行政上の阻害要因になっている」と指摘した。また翌[[2005年]][[2月7日]]の[[衆議院]][[予算委員会]]における審議中、細田官房長官は質問主意書の答弁書作成について「これが大変な[[サービス残業]]になって、しかも、エリートでない[[官僚]]のことで」と発言。長妻はこれに対し、2008年[[12月1日]]に「質問主意書の答弁書作成等に関する質問主意書」を提出した。 ** 長妻の質問主意書に関し、[[東京大学先端科学技術研究センター]]特任准教授の[[菅原琢]]は、官僚である自身の友人たちから最も忌み嫌われているのは長妻であり、長妻による質問への答弁書の作成は膨大な作業量を要するものばかりであったのは疑いようがないとしている。その一方で、質問への答弁を一律簡略化、無意味化するという政府の対応は、あまり合理的ではない。重要な論点を含んでいるのなら積極的に取り組むのが政府としてもおそらく合理的であるとも主張。最後に「いずれにせよ、質問主意書制度は質問と答弁が一体となって[[国民]]の側に利益とコストをもたらすものである。したがって、質問と答弁をセットで観察していきたいところである」とまとめている。 === 外交・安全保障 === * [[年金]]をはじめ厚生労働行政に関する取り組みで名前を知られるようになったが、もともとは[[外交]]・[[安全保障]]問題の論客として知られ、年金問題で注目される以前は[[外務委員会]]や[[安全保障委員会]]での質疑が多かった。本人も「国会議員として最終的に取り組みたいのは実は外交・安保」と語っている。 * [[2001年]]の時点では[[日米安全保障条約|日米同盟]]重視、[[憲法改正論議|憲法改正]]による[[集団的自衛権]]の行使容認の立場を取っていたが、[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]の際に行われたアンケートでは、[[日本国憲法第9条]]の改正、集団的自衛権の行使を禁止する[[内閣法制局]]の[[法解釈]]の見直しに反対の立場を表明。一方、[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]の際のアンケートでは、[[日本国憲法]]の改正には賛成しながらも、集団的自衛権に関する政府見解の見直しの是非を問う質問には回答しなかった。 * [[2002年]]3月に[[鈴木宗男事件]]が発覚した際、[[鈴木宗男]]を2度にわたり[[タジキスタン|タジキスタン共和国]]への首相特使に任命した[[小泉内閣]]に対し、鈴木宗男が首相特使を務めるに適任かを問い、[[小泉純一郎]]首相の任命責任を追及する質問主意書を内閣に提出した。 * [[2006年]][[10月15日]]、[[中川昭一]][[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]が、[[北朝鮮の核実験_(2006年)|北朝鮮による核兵器実験]]を受け、日本の[[日本の核武装論|核武装]]について「議論を尽くすべき」とコメントしたことについて「非常に不謹慎」と述べた。また「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に[[核実験]]をさせた責任の一端が日本の国会にないとは言えない」として「どういうところに問題があり、その核実験が強行されてしまったのか」と質問した。 === 内政の諸政策 === * [[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わった。 * [[2005年]]に発覚した[[構造計算書偽造問題|耐震強度偽造問題]]では、[[国会_(日本)|国会]]における[[参考人]]質疑や[[証人喚問]]、[[政治倫理審査会]]での審議において自民党の[[伊藤公介]]元[[国土庁|国土庁長官]]ら関係者を追及した。 * [[2014年]][[1月31日]]の[[衆議院]][[予算委員会]]の基本的質疑において、民主党を「[[所得再分配]]・安心提供による消費拡大」、自民党を「[[富裕層]]を引き上げ、果実をしたたり落とす?」などと列挙したボードを掲げて「安倍自民党が進める社会と、民主党が目指す社会はかなりかけ離れている」と訴えた。これに対し[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]は、「[[デマゴーグ]]だ。不毛なレッテル貼りはやめるべきだ」と反論した。 * 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成。 == 人物 == === 人物像 === * [[消えた年金]]問題で知り合った[[山井和則]]と特に親しく、長妻は自著のあとがきで山井を「一生の友」と称している。また[[枝野幸男]]、[[手塚仁雄]]らと親しい。また、[[樽井良和]]は側近である。 * 自身が大臣を務めた[[厚生労働省]]について、[[2013年]][[5月11日]]に行われた「民主党大反省会」では「官僚とその裏にいる団体が一つになって変化を拒む」と語り、[[菅直人]]、[[枝野幸男]]らと共に[[官僚]]批判を終始展開した。 * 政党への[[政治献金|企業・団体献金]]は否定しないものの、個人としては[[政治献金|企業・団体献金]]は受け取らず、個人献金のみ受け取っている。 * [[2007年]][[8月]]、[[WikiScanner]]での検索により、[[2006年]][[4月5日]]に厚生労働省から接続の[[IPアドレス|IP]]ユーザーより当項目に書込みがあったことが発覚。長妻を誹謗中傷する内容であったため、[[厚生労働事務次官]]が「遺憾である」とコメントした。 * 父親・謙三郎はかつて[[世田谷警察署]]長を務めた。 * 高校の同期にタレントの[[西山浩司]]がおり、西山と共にバドミントン部を立ち上げた。 * [[慶應義塾大学]]在学中、[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]の[[ボーカル]]を務めていた。 * 趣味は[[映画]]鑑賞、[[カラオケ]]、[[サッカー]]、[[キャンプ]] === 人物評 === * [[自由民主党_(日本)|自民党]]から[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]への[[政権交代]]後、厚生労働省の組合員の52.9%が「[[時間外労働|残業]]時間が増えた」と回答している。政権交代後、厚生労働省の職員は1人当たり月平均70時間の残業を強いられる形となり、全省庁で最多となっており、[[過労死]]の危険ラインとされる月80時間を超える残業をした人が191人に登ったが、大臣の指示が細かくかつ多すぎるのが、残業が増える原因との指摘がある。[[ジェイ・キャスト|JCASTニュース]]は、厚労省職員の多くが長妻に不信感を持っているなどと報じた。大臣室に局長らを集めた際、机の書類が床に落ちたことがあった。[[毎日新聞]]は、長妻は「上に立つ大臣は取っちゃいけない。君たちが拾わなきゃいけないんだよ。私とあなた方はそういう関係です」と発言した、と報道したが、長妻本人は自著でこの発言を否定。自身がこの記事を読み、「びっくりした」と述べた。長妻の就任後半年で、省内に出す指示は約1000件に達した。この指示は年金問題や[[後期高齢者医療制度]]など政策に関するものが多かった。長妻が民主党筆頭副幹事長に異動後、[[産経新聞]]は「長妻氏が目指した厚労省改革、年金の改革・是正も具体的な成果は挙げられなかった」と批判した。長妻のあとは副大臣だった[[細川律夫]]が昇格したが、産経新聞は、細川就任後、官僚に不信感をもたらした長妻のカラーは急速に薄れた、と報道した。 * [[森田実]]は「記者の経験がある長妻は自分で取材、調査しており、勇み足がない」と評している。 * 経済コラムニストの山口正洋は「[[日本の経済|日本経済]]を立て直してくれそうな[[政治家]]」の2位に長妻を選んでいる。 * [[大前研一]]は、官僚と上手に折り合いをつけていた[[前原誠司]]に比べて長妻には真面目すぎる側面があるため、官僚からの受けは良くなかっただろうとしている。その一方でマスコミの論調は長妻を非難する傾向が強いが、長妻の政治家としての力量とは無関係に[[報道機関]]の企業体質に依るところも大きいと指摘。[[国民]]はこうした報道機関と政治家の関係を知った上でニュースを読み解くように心がけるべきであり、報道内容をそのまま鵜呑みにしてしまうと大きな勘違いをしてしまうと忠告している。 * 2015年の民主党代表選挙では、[[日本教職員組合]]との強い結びつきのほか、[[日本郵政グループ労働組合]]への挨拶など官公庁の支持を受けるために奔走する様変わりした姿が読売新聞で報じられた。 == 国会会議録削除問題 == [[2007年]][[10月]]の[[衆議院]][[厚生労働委員会]]における長妻の「[[与党]]というものは一度でも(政府の)不祥事を追及したことがあるのか」という発言が、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[茂木敏充]]厚生労働委員長により会議録から削除されていたことが判明した。これに対し、長妻は2008年[[2月8日]]、衆議院[[予算委員会]]で「今は[[戦前]]ですか?[[戦時体制|戦時中]]ですか!」と与党を批判し、削除された発言の復帰を求めた。その後も[[国会_(日本)|国会]]において再三抗議し、記録の回復を求めた。2008年[[3月26日]]、[[茂木敏充]]厚生労働委員長は長妻の発言は議場からの不規則発言に対して発言したものであるため、「発言者は、私語に応酬することができない」としている[[本会議]]先例集に基づき削除したと説明した。通常こうした行為は理事会の合意を得て行うのが慣例であり、委員長の[[職権]]で削除したのは極めて異例。国会の会議録削除は[[野中広務]]の発言以降、11年ぶりであった。2008年[[5月14日]]・[[5月28日|28日]]の厚生労働委員会では、長妻が同委員会に配布予定にしていた資料(「発言者は、私語に応酬することができない」という理由で委員の発言を削除した先例は衆議院と[[参議院]]でもなかったとする資料2枚)を理事会が配布しなかったことについて抗議し、説明を求めた。[[茂木敏充]]委員長は理由として「理事会で不適切と判断された」「他の委員や参考人は(資料を)自分で配っている」などと説明した。 == 所属議員連盟 == * [[イクメン議員連盟]](顧問) == 著書 == * 『マンガで読むびっくり仰天!年金浪費―「福祉」という名のブラックホールを塞げ!』([[赤池キョウコ]]との共著) ISBN 4766208536 * 『「消えた年金」を追って―欠陥国家、その実態を暴く』 ISBN 4576071289 * 『闘う政治--手綱を握って馬に乗れ』(講談社・単行本)ISBN 978-4-06-214980-8 == 関連項目 == * [[民進党国会議員一覧]] * [[年金記録問題]] * [[平成維新の会]] * [[菅直人]] * [[山井和則]] * [[枝野幸男]] * [[樽井良和]] * [[鳥肌実]] * [[西山浩司]] * [[ホメオパシー]] == 外部リンク == * [http://naga.tv/ 衆議院議員 ながつま昭](公式サイト) * {{Facebook|nagatsumaakira}} * {{Twitter|nagatsumaakira}} {{デフォルトソート:なかつま あきら}} [[Category:日本の閣僚経験者]] [[Category:民進党の衆議院議員]] [[Category:民主党の衆議院議員]] [[Category:東京都選出の衆議院議員]] [[Category:比例東京ブロック選出の衆議院議員]] [[Category:新党さきがけの人物]] [[Category:日本のジャーナリスト]] [[Category:日本電気の人物]] [[Category:慶應義塾大学出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:日本の新左翼]]