竹田宮恒久王

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2010年6月26日 (土) 21:45時点における藤原朝臣二川藤太郎光綱 (トーク | 投稿記録)による版 (「日本帝國皇族」)

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竹田宮恒久王(タケダノミヤ・ツネヒサオウ)殿下樣。

日本帝國皇族。 明治十五年(1882年)生。 大正八年(1919年)四月二十三日没。 竹田宮恒久王殿下樣.jpg

北白川宮能久親王第一王子。妃は明治天皇の第六皇女昌子内親王。官位は陸軍少将大勲位功五級に昇る。
竹田宮の稱號を賜り、竹田宮家を創設。近衛騎兵連隊に所属して、日露戦争の激戦を経験した。
井口嶺の戦いでは、すぐ隣を進んでいた「伯爵南部利祥騎兵中尉(奥州南部家第42代当主)」が敵弾に当たり戦死したという。
大正8年4月23日、当時流行していたスペイン風邪の爲に薨去。享年三十七歳。

略歴

  • 明治35年8月 貴族院議員(皇族議員)
  • 明治36年11月30日 陸軍士官学校卒業(第15期)
  • 明治37年2月12日 陸軍騎兵少尉
  • 明治39年3月31日 竹田宮家創設
  • 明治39年4月1日 功五級金鵄勲章
  • 明治41年5月 皇典講究所総裁
  • 明治41年 竹田宮邸竣工
  • 明治41年 明治天皇第六皇女昌子内親王と成婚
  • 明治43年 陸軍大学校卒業(22期)
  • 大正2年10月31日 大勲位菊花大綬章
  • 大正8年4月 免貴族院議員
  • 大正8年4月23日 薨去

血縁

関係事項

先代:
北白川宮能久親王
竹田宮
初代:1906 - 1919
次代:
竹田宮恒德王
先代:
有栖川宮幟仁親王
皇典講究所総裁
第2代:1908 - 1908
次代:
北白川宮成久王