武藤勇貴

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渋谷・妹バラバラ殺人事件
「お兄ちゃんには夢がない」の一言にキレて、妹をバラバラにした武藤 勇貴
兄にバラバラにされた武藤 亜澄さん(享年20)
兄にバラバラにされた武藤 亜澄さん(享年20)

武藤 勇貴(むとう ゆうき、1985年4月22日 - )とは、2007年平成19年)1月3日に妹の武藤亜澄さん(20)をバラバラにした殺人犯である。日本大学豊山高等学校卒業。身長164cm.

事件の概要[編集]

2006年12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男・武藤勇貴(当時21歳)と短大生の長女・武藤亜澄さん(当時20歳)が二人きりとなっていた。

二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は木刀で亜澄さんの頭を殴りつけた後にタオルで首を絞め殺害。さらにのこぎりで亜澄さんの体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに切断した。

翌日12月31日に武藤勇貴は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚のサメが死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの亜澄さんの遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。1月4日になり、次男が死体損壊の容疑で逮捕された。1月15日殺人の容疑で再逮捕された。

殺害された亜澄さんは家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台やVシネマに出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。

2008年5月12日、東京地方裁判所で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した武藤勇貴が多重人格で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、東京高等裁判所で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには武藤勇貴の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。

2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が最高裁判所に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。

"妹の胸・下腹部を切りとる""妹の下着を合宿所に""内臓を箱に"[編集]

東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。

死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。

亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。

また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。

妹の亜澄さん(20)を殺害したあと、31日から1月4日未明まで予備校の冬季合宿に参加していたことがわかっているが、取り調べの中で勇貴容疑者は、「犯行後に、妹の下着を合宿所に持っていった」と供述していたことが新たにわかった。

また、勇貴容疑者は、遺体の内臓部分だけをプラスチックのボックスに入れ、部屋の水槽の下の収納箱に入れていたことも新たにわかった。

武藤勇貴[編集]

鑑定医は「被告は生来のアスペルガー症候群、人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。

報道[編集]

タブロイド紙週刊誌はその猟奇性をこぞって取り上げ、武藤勇貴の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにしたVシネマに出演していたため、週刊誌などでは近親相姦の話が出回ったが、この話について宮崎哲弥はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。

家庭内で父や兄にドメスティックバイオレンスを受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件と比較する報道も確認されている。

これらの問題について警察は2月5日に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。

警察による不祥事[編集]

警視庁は2月9日、凶器として押収された木刀のこぎりと家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。

裁判[編集]

武藤勇貴殺人罪で懲役7年判決…死体損壊は無罪[編集]

東京地裁判決公判

東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が2008年9月27日東京地裁で開かれた。

秋葉康弘裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。

2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。

弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。

鑑定医の牛島定信東京女子大教授(精神医学)は

「勇貴は生来のアスペルガー障害、中学時代に発症した強迫性障害に加え、犯行時には解離性同一性障害(多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。

そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。

勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。

裁判長に深々頭下げ[編集]

「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。

最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。

閉廷後、宮川泰彦・主任弁護人は「(死体損壊を無罪とした点は)率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。

判決要旨[編集]

主文

被告人を懲役7年に処する。未決勾留日数中250日をその刑に算入する。公訴事実のうち、死体損壊の点については無罪。

理由

犯罪事実
勇貴被告は、平成18年12月30日、東京都渋谷区幡ケ谷の自宅で、武藤亜澄さん(当時20歳)に対し、殺意をもって、その首にタオルのようなものを巻いて絞めつけた。さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場で、亜澄さんを窒息により死亡させて殺害した。

責任能力に関する判断

結論
殺害時には勇貴被告に完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないと判断した。
牛島鑑定の信用性
牛島医師は精神科医としての経歴、専門分野、臨床経験などに照らし、鑑定事項に関する勇貴被告の精神鑑定に適任の専門家であったと認められる。その鑑定の手法や判断方法にも不合理なところは認められないから、牛島鑑定は十分に信頼できる。
検察官は、牛島鑑定が「信用性の高い捜査段階の勇貴被告の供述を判断資料から除外し、その内容とかけ離れた独自の問診結果を資料としており、前提条件が誤っていて、このことが責任能力の判断にも重大な影響を及ぼす」などと主張する。
検察官が指摘する「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」というのは、その主な内容は勇貴被告の公判供述と一致するものと思われる。しかし、犯行に関する勇貴被告の公判供述は、1枚の写真のようなかなり断片的な記憶しかないにもかかわらず、物語性のある連続した記憶があるかのような供述を捜査段階でした経緯を具体的に供述している点も含め、全体として整合性のある一貫した内容であり、作り話とは到底思われない。
しかも、勇貴被告のアスペルガー障害については、各犯行に関する勇貴被告の供述内容とは関係なく、多数回にわたる勇貴被告との面接場面で得られた所見、勇貴被告の両親との面談で得られた情報および心理テストの結果を総合して診断したものである。
この診断については、検察官の言う「捜査段階の供述内容とかけ離れた問診結果」を前提とした判断ではない。このような診断をした上での牛島医師の指摘を踏まえて、勇貴被告の公判供述を見てみると、その信用性は高いと評価できる。
他方で、勇貴被告がアスペルガー障害に罹患(りかん)していることを前提に、勇貴被告の検察官調書を検討すると、殺害の動機に関する供述内容が不自然であるばかりか、犯行における主要な行為に関する内心の動きについては、供述されていなかったり、平板な内容であったりして、犯行の動機に関する供述と比べて不自然な濃淡がある。また、その一貫性にも不自然さがあることから、犯行状況に関する供述部分は信用できない。
そうすると、牛島医師が勇貴被告の捜査段階の供述内容を前提とせず、問診結果を踏まえて鑑定を行ったことには何ら問題がない。

犯行時の勇貴被告の精神疾患とその病態

この点について、牛島鑑定によれば、次の事実が認められる。
勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害にかかった。中学生のころからは強迫性障害が加わった。さらに事件の1カ月以上前からアスペルガー障害を基盤とする解離性障害になっていた。
勇貴被告は自身のアスペルガー障害によって、他人との情緒的なかかわりあいの面で支障をきたすなどはあったが、高校を卒業するまでは一般的な社会生活で著しく問題になることはなかった。社会性の面では軽度の発達障害というべき病態である。
勇貴被告は、自身が犯したような行為をしてはならないという認識を十分に持っていた。アスペルガー障害の程度は責任能力に影響を及ぼすものではない。
アスペルガー障害を基盤にした勇貴被告の人格構造は、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有のものだった。怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとし、激しい怒りが突出しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。
勇貴被告はアスペルガー障害によって、このような攻撃性などの衝動を制御する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。

勇貴被告の精神状態が犯行に与えた影響

この点について、牛島医師は鑑定の最終的な結論として、次のような判断を示している。
勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。
このようにして殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛(どうもう)な人格状態になっていた可能性が非常に高い。

このような判断をした理由について、牛島医師は、当時、勇貴被告が解離性障害にかかっていたと判断したことのほか、以下のような点を挙げている。

(1)死体損壊行為は、亜澄さんの遺体を左右対称に15にも解体するなどしたという手の込んだものだった。その意図と作業過程は、隠しやすくしたり、運びやすくしたりするためということでは説明ができず、別の人格を仮定しないと説明がつかない。
(2)怒り狂った行為態様である殺害行為と、非常に冷静で整然とした行為態様である死体損壊行為とは、意識状態が変わったとみるべきであること。
(3)勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。
このうち(1)(2)の指摘については、証拠から認められる事実に照らしてもうなずけるものである。
現在、アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない。この段階での判断では、死体損壊時において、勇貴被告は解離性同一性障害により本来の人格とは別の猪猛な人格状態にあった可能性が非常に高いという判断にも合理性があると言える。この可能性を前提に、勇貴被告の責任能力を判断すべきである。

死体損壊時の責任能力

亜澄さんの遺体を損壊したとき、勇貴被告は解離性同一性障害によって本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があり、本来の人格はこの別の人格状態とは関係ない。このことからも、勇貴被告は遺体損壊時、本来の人格とは別の人格状態に支配されて自分の行為を制御する能力を欠いており、心神喪失の状態にあった可能性も否定できない。よって、遺体損壊時は心神喪失の状態にあったものと認定した。

殺害時の責任能力

牛島医師は、亜澄さんの殺害時、勇貴被告に是非弁識能力は十分あったが、衝動を抑制する力が弱体化していたことから、自分を制御する力は「著しく減退していた」との見解を述べている。
しかし、勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患してはいたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく障害されることはなく、社会性の面では軽度の発達障害というべき病態であった。亜澄さん殺害時も是非弁織能力は十分あり、解離性障害を発症する以前は自分を制御する力も十分あった。それは、次の事実から認められる。
この事件が起きる3日前、亜澄さんから聞いた話を誤解した母親が亜澄さんを夕食に呼ばず、腹を立てた亜澄さんが母親に文句を言って自分の部屋に戻ってしまったことがあった。その様子を目の当たりにした勇貴被告は、亜澄さんの言動に腹を立てて亜澄さんを批判する話を兄としたが、それ以上の行動には出なかった。
このように、解離性障害が発症した後も、勇貴被告はこの事件が起きるまでの1カ月以上にわたり、大学受験を控えた浪人生として家族などと日常生活を送っていたが、トラブルを起こしたことはなかった。
この事件が起きた翌日、勇貴被告は自分が亜澄さんを殺害したことを明確に認識していながら、父親から亜澄さん在宅の有無を聞かれた際には知らない振りをした。また、亜澄さんの遺体が置いてある自分の部屋に入らないように父親に言うなど、犯行が発覚することを恐れ、発覚を防ぐための適切な言動を取っていた。

勇貴被告は犯行後も、家族に対して普段と変わらない対応をとっていた。さらに、犯行後に3日間にわたって予備校の冬期合宿に参加しているが、予備校関係者との日常生活も問題なく送っていた。

これらのことは、事件が起きた当日前後でも、勇貴被告がその時々の状況に応じて、自分の行為を適切に制御する能力を全体としてかなりよく維持していたことを示している。
亜澄さん殺害時、勇貴被告は衝動を抑制する力が弱っており、自分を制御する能力がかなり減退していたことは否定できない。しかし、その程度は、責任能力が限定されるほど著しいものとまでは言えない。

量刑の理由

人一人の命を奪った結果はあまりに重い。亜澄さんは20歳という若さで突然その前途を閉ざされたものであり、まだまだこの世で生きていたかったであろうと思われる。
亜澄さんは、長年にわたって兄妹として勇貴被告と一緒に育てられた。人生に悩んだときなどは、ありのままの自分を受け入れてほしいと勇貴被告を頼りにこそすれ、まさか兄である勇貴被告に殺されるとは思ってもみなかったであろう。また、息子に殺害された上に解体までされた娘の姿を目の当たりにした両親の衝撃、戸惑い、悲痛は想像を絶する。
しかも、その犯行の様子から考えると、亜澄さん殺害は強固な殺意に基づいて行われたものであり、勇貴被告の責任は極めて重大である。
一方で、勇貴被告は、生まれながらにアスペルガー障害を患っていた。勇貴被告は両親からもその障害に気づかれずに成長し、この障害を基盤とする解離性障害に罹患するまでに至った。そのため、責任能力にこそ影響はしないものの、是非善悪を判断して行動する能力がかなり減弱した状態だった。
亜澄さん殺害は、そのような精神状態にあった勇貴被告による衝動的な犯行である。
亜澄さんは、周囲の者の対応が難しい反抗挑戦性障害であった。家出をしたり、家族に対して攻撃的な態度を取ったりして、家庭に不和をもたらすこともあった。
亜澄さんは、勇貴被告が亜澄さんを殺害するという衝動に駆り立てられるほど挑発的な言動に及んでいた。そのことが、この事件のきっかけになったという側面は否定できない。
一方で、勇貴被告は自ら亜澄さんを殺害したことを認めている。公判でも「妹に本当にかわいそうなことをしてしまった。もっと理解してあげなかったことについても謝罪したい。両親にもおわびをしなければいけない」などと述べ、罪を償っていく決意を示している。
また、証人として法廷に立った両親と兄が寛大な処分を求めており、家族で勇貴被告の更生に助力する決意も述べている。この事件が起きた当時21歳と若年であったことなど、勇貴被告にとって酌むべき事情も認められる。
以上の事情を考慮した結果、勇貴被告を主文の刑に処するのが相当であると判断した。

死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴[編集]

東京地検は2008年6月4日、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。

弁護側も控訴[編集]

弁護側は2008年6月6日、東京高裁に控訴した。

控訴審(2009年4月)[編集]

渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決

殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。阿部文洋裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。

1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。

2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。

被告側の上告棄却(2009年9月)[編集]

元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。

1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。

関連項目[編集]