東京ドーム

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[[Image:東京ドーム1.jpg|400px|thumb|東京ドームのビール売り娘]] [[Image:東京ドーム2.jpg|400px|thumb|東京ドームのビール売り娘]] [[Image:東京ドーム3.jpg|400px|thumb|東京ドームのビール売り娘]] [[Image:東京ドーム4.jpg|400px|thumb|東京ドームのビール売り娘]] '''東京ドーム'''(とうきょうドーム)は、[[日本]]初の[[ドーム球場|ドーム型野球場]]であり、愛称は'''BIG EGG'''(ビッグエッグ)。 [[1988年]](昭和63年)、[[東京都]][[文京区]]後楽一丁目で開場。[[東京ドーム (企業)|株式会社東京ドーム]]が運営する[[東京ドームシティ]]の中核施設である。 [[日本プロ野球|プロ野球]][[セントラル・リーグ]]、[[読売ジャイアンツ]](巨人)が[[専用球場]](本拠地球場)としている。 == 概要 == [[1988年]](昭和63年)[[3月18日]]、[[後楽園球場]]の実質的な代替球場として[[後楽園競輪場]]の跡地に開場。'''日本初の全天候型球場'''となった。完成後最初の催事は巨人対[[阪神タイガース]]の[[オープン戦]]。ただし、[[こけら落とし]]については[[美空ひばり]]の復活コンサートをそれにしており、コンサートの様子をまとめたDVDや[[日本放送協会|NHK]]のプロジェクトXでもその旨の記載がある。空気膜構造屋根を持つアメリカの[[ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム|メトロドーム]]をモデルとして設計された。後楽園球場から引き続き、巨人と[[パシフィック・リーグ]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ(当時)]]が専用球場とした。 日本ハムは[[2004年]](平成16年)度に[[北海道]]の[[札幌ドーム]]に移転し「北海道日本ハムファイターズ」となったが、現在も8試合の主催試合を開催している(試合数は[[2007年]](平成19年)から固定)。また、パ・リーグの[[オリックス・バファローズ]]も親会社[[オリックス (企業)|オリックス]]の本社が東京にある関係で、ブルーウェーブ時代の[[2004年]](平成16年)から[[2009年]](平成21年)まで年間2試合の主催試合を開催していた。なおこのうち、[[2006年]](平成18年)は、[[大阪ドーム]]の経営破綻の影響の余波で開催されなかった。[[2009年]](平成21年)を最後にオリックスの主催試合は開催されていないが、[[2010年]](平成22年)から[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の主催試合が1試合組まれた。 その他、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック]]のアジアラウンド、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]の東京ラウンド、[[アジアシリーズ]]などの国際試合、[[日米野球]]などの国際親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・[[都市対抗野球大会]]、[[全日本大学野球選手権大会]]が毎年開催されている。他にも[[プロ野球マスターズリーグ]]の東京ドリームズが本拠地として使用していた。[[野球]]のほかにも格闘技・[[プロレス]]の興行や[[コンサート]]、商品の展示会なども行われる。 [[2002年]](平成14年)からロングパイル[[人工芝]]「フィールドターフ」を、日本の野球場で初めて採用した。[[芝|天然芝]]に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らしている(現在のは2代目)。 ドームの広さは約216メートル四方で[[建築面積]]は46,755m<sup>2</sup>、[[体積|容積]]は約124万m<sup>3</sup>。東京では建物・場所などの面積や大量の物の体積・容積を表現する際に「[[東京ドーム (単位)|東京ドーム何個分(何杯分)]]」という表現が使われることもある。夜間にはライトアップされている。 [[2007年]](平成19年)の大改修で喫煙コーナーを廃止して完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全[[分煙]]を実現した。 == 施設概要 == === 球場データ === * 所在地 - 東京都文京区後楽一丁目3番61号 * 建築面積 - 46,755m<sup>2</sup> * 建物高さ - 56.19m * 階数 - 地上6階・地下2階 * 容積 - 1,240,000m<sup>3</sup> * 収容人数 - 55,000人(詳細は[[#収容人数|後述]]) * フィールド - 両翼100m、中堅122m、左右中間110m * グラウンド面積 - 13,000m<sup>2</sup> * スコアボード - 2基(メイン・サブ) ** メインスコアボード - 全面フルカラー[[発光ダイオード|LED]]([[三菱電機]]製・オーロラビジョン、7.0m x 34.0m) * 内外野 - ロングパイル人工芝「フィールドターフ」 * 外野フェンスの高さ - 4.24m(ラバー 4.0m + ネット 0.24m) ** [[2009年]](平成21年)まではラバーのみの4.0m * グラウンド面からの屋根の高さ - 61.69m === 落成・供用開始日 === * 落成式 [[1988年]](昭和63年)[[3月17日]] * 公式戦開始日 同年3月18日 * 一般使用開始日 同年12月24日 === フィールド === 両翼100メートル・中堅122メートル。[[公認野球規則]]1.04の付記(a)に適合した広さで設計されているものの、敷地面積の都合で左中間・右中間(110メートル)が極端に狭い。日本での一般的な野球場のイメージである「扇形」よりは、アメリカの[[リグレーフィールド]]や[[USセルラー・フィールド]]のようにむしろ「'''く'''の字形」に近い。扇形のフィールドを持つ[[ナゴヤドーム]]と比べると、中堅・両翼までの距離はほぼ同じだが左中間・右中間がほぼ直線状であるため6 - 8メートルほど短く、フェンスが4mと他の国内全天候型球場と比較して低いこともあって[[本塁打|ホームラン]]が出やすい(左中間・右中間の距離については、両翼・中堅の距離が同クラスである球場のほとんどに当てはまる)。 * フィールドには[[人工芝]]を採用している。[[2002年]](平成14年)からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入した。その後、イベントなどで踏み荒らされ数年で踏み固められてしまい[[2006年]]に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷したが、読売ジャイアンツの[[滝鼻卓雄]]オーナーは低迷の要因の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い改善が見られた。[[2007年]](平成19年)3月には、耐久性、衝撃吸収力が向上した「フィールドターフ」の改良型へ総張り替えを実施した。開場からは5代目の人工芝となる。 * グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている([[後楽園競輪場]]跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため)。年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など[[競輪]]・自転車競技に関するイベントが行われている。 ==== 外野フェンス ==== 外野フェンスは[[2010年]](平成22年)から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするためである。ラバーフェンスの最上部スタンド側には手すりがあり、それに打球が当たった場合はホームランであるが、インプレイとなるラバー最上部で跳ねた場合と判別がしにくく判定を巡りトラブルとなることも多かった。またスタンド最前列から見てもフェンスが低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もあった。 ==== ホームランの出やすさの理由 ==== ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかないことが挙げられる。これは、現在の12球団の本拠地球場の中でもっとも狭い。第二に、屋内球場で湿度が低いために、打球が伸びやすいことがあげられる。他方で、気圧で屋根を膨らませている球場であるために気圧によってホームランが出やすいことが指摘されることがあるが、物理的に高気圧で打球が伸びないことはあっても伸びることはないので、これは誤りである。 人為的に風を送って打球を延ばしているのではないかなどと主張する意見もあり、このような論者は「空調」「ドームラン」あるいは「からくりドーム」といった独特の表現を用いている。これらの意見を裏付ける直接的な証拠はないが、東京ドームのモデルとなったメトロドームでは、元職員がホームチームに有利になるよう強力なファンで強風を送っていたと証言した記事が[[タブロイド紙]]に掲載されたことがある。 もっとも東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場だったことは確かである。実際に[[後楽園球場]]でなされた1987年の公式戦では112試合で234本の本塁打(1試合平均2.09本)が出たのに対し、東京ドームでなされた[[1988年]](昭和63年)の公式戦112試合では147本(1試合平均1.31本)が出たにとどまり、約4割も減少している。他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地11球場中、[[1988年]](昭和63年)10位、[[1989年]](昭和64・平成元年)10位、[[1990年]](平成2年)11位、[[1991年]](平成3年)7位となっており、開場後数年は本塁打の出にくい球場だったといえる。 しかし、その後20余年が経過する中で、他球団は本拠地を[[1991年]]開業の[[千葉マリンスタジアム]](ロッテ)、[[1993年]]開業の[[福岡ドーム]](ダイエー)などのより広い球場へ移転したほか、既存の球場でも[[西武ドーム]]や[[明治神宮野球場]]のように、改修でフェアグラウンドの形状が広げられたこともあり、開業からフェアグラウンド面積に変更のない球場は東京ドームと[[横浜スタジアム]]([[1978年]]開業)のみとなった。その意味で、東京ドームは時代の経過とともに相対的に狭いとみなされるようになった球場であるといえる。 また、'''東京ドームでの1試合あたりの平均本塁打数(公式戦)'''は'''1988年は1.31本'''(112試合で147本)だったのに対して'''2004年は3.43本'''(76試合で261本)と本塁打率が2.6倍以上に増加し、また、統一球導入前後では、'''2010年は2.88本'''(73試合で210本)・'''2011年は1.42本'''(69試合で98本)と半数以下に激減していることから、球場の広さ以外の要素(ボールの影響)も否定できない。 なお東京ドーム竣工直前までは、東京ドームは(当時の他球場と比較して)フィールドが広く、フェンスの高さも後楽園球場と比較して高くなったので本塁打の数が減るだろうと各野球雑誌で掲載され、前述のように約4割本塁打の数は減少したものの、東京ドーム開業初年度のシーズン終了後はそのような記事も徐々になくなっていった。なお、本塁打が減少する分、逆に三塁へのクロスプレーが増えるのではないかと評していた野球雑誌もあった。 === 屋根・天井 === 屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも 0.3%(3[[ヘクトパスカル]])高くして膨らませている。インフレートと呼ばれ、完成時には屋根を膨らます作業が行われた。この作業はメディア等でも取り上げられている。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。他にも出入り口に手動式[[回転ドア]]や[[エアロック]]が設置されている。ドア開放は与圧が抜けて屋根が潰れる原因になるので出来ない。ドームから回転ドアで外に出る際は、気圧のため外に押し出されるような感じになる。隣接する[[小石川後楽園]]の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。 屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜は[[ガラス繊維|ガラスクロス]](織物)の表面を[[フッ素]]樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は[[太陽工業]]。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー(中央部1個、膜屋根周辺21個)、照明(14ヶ所)が吊るされている。 * 外膜は厚さ0.8ミリメートル。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。 * 内膜は厚さ0.35ミリメートル。[[中興化成工業]]社製品。 デーゲームの際に、ボールと屋根の色が同化して見づらくなる現象が起こる。プロの選手でも打球を見失う事例が起こるほどである。 中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、[[野球中継]]だけでなく[[日本放送協会|NHK]]・[[民間放送|民放]]各局の夜の[[スポーツニュース|スポーツ速報番組]]などに使われていた。最近の巨人戦などの野球中継ではあまり頻繁には使用されないが、投手の投球練習を上から撮影する際などに使用されている。また、巨人の優勝決定時に行われる[[胴上げ]]の際には『トップアイ』からの映像が必ず使用される。 設計に当たっては、打球が屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた[[長嶋茂雄]]は「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と述べていたが、開場した[[1988年]](昭和63年)の[[7月4日]]に[[オリックス・バファローズ|阪急]]の[[ダラス・ウィリアムズ]]が当てたのを皮切りに、巨人在籍の[[原辰徳]]や[[松井秀喜]]、[[埼玉西武ライオンズ|西武]]在籍時の[[アレックス・カブレラ]]らが、天井や天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。松井の打球は内膜の穴に入り、ボールが落ちてこなかった。 天井や懸垂物に当てた場合、以下の特別ルールが適用される。 * 天井に当てた場合→ボールインプレイ(プレイ続行)。落下した打球を野手がそのまま捕球すればフライアウト。落下した地点か野手が触れた地点でフェアかファウルか判断される。 ** 阪急・ウィリアムズの「第1号」は2階内野席に落ちたため、ファウル。 ** 天井に当たった打球がフェアになった第1号は1990年6月5日の[[ラルフ・ブライアント]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])。二塁手が捕球してアウトとなった。後述の東京ドーム初の認定本塁打はこの翌日に出ている。 ** [[2005年]](平成17年)[[7月30日]]の巨人対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦で、通算350号本塁打まで残り1本に迫っていた巨人の[[江藤智]]が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の左翼手・[[英智]]に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。 ** [[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2007年のオールスターゲーム]]では[[7月20日]]に行われた第1戦で、オールパシフィックの[[山﨑武司]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス|東北楽天]])が天井に当てている(結果はサードのファウルフライ)。 ** ごく稀に「天井に当たってホームラン」ということもある([[クレイグ・ブラゼル]]([[阪神タイガース|阪神]])らが記録している)。 * 外野のフェア地域にある懸垂物に当てた(もしくは挟まった)場合→認定ホームラン(過去2例)。 *# [[1990年]](平成2年)[[6月6日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]対近鉄戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの[[角盈男]]から記録。打った打球をセンター守備位置上にあるメインスピーカーに直撃させた(推定飛距離160メートル)。これをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)。 *# [[2008年]](平成20年)[[6月7日]]の巨人対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦でロッテの[[フリオ・ズレータ]]が巨人の[[エイドリアン・バーンサイド]]から記録。打った打球をレフト守備位置上にある照明機器に直撃させた(推定飛距離150メートル)。 * 打球が天井の穴や隙間、懸垂物などに挟まって落ちてこなかった場合→フェアゾーンであれば[[エンタイトルツーベース]]。ファウルゾーンであればファウル。 ** [[2002年]](平成14年)に松井秀喜が記録。実際には挟まっておらず二重構造の膜の間を通ってライトスタンドの巨大看板上の照明付近まで転がっていた。この「幻のドーム場外」ボールは2日後に取り出され、現在、当ドーム内の[[野球体育博物館]]に保存されている。 === スタンド === 日本の球場としては珍しく、内野2階コンコースから直接グラウンドが見える構造(そのため、反対側からコンコース内側の柱が見える)となっており、グラウンドに近いスペースを立見席として販売している。[[車椅子]]を利用する観客のために、立見席の一部を「車椅子席」としている。車椅子だけではなく、介護ベッドを利用する観客も利用できるようになっており、介護ベッドを設置し、介護ベッドで横になりながら試合を観戦している観客もいる。発売方法は通常と異なる。他に内野は1階と4階、外野は1階にコンコースがあり、グラウンド面は地下5.5mの高さである。かつて1階のコンコースは一塁側がつながっていた。オープン当初は売店等が立ち並び、外野と内野を行きかう人々で賑わっていたが、数年で閉鎖された。現在は外野側、内野側いずれもシャッターで閉ざされ中に入ることはできない。閉鎖後は倉庫として使用されている。 基本的に座席の色は[[青]]とシーズンシートのグレーで統一されている。敷地の関係上、日本の球場としては外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっている。スタンドの両翼部は可動席で、サッカー、アメフト等の開催時にはフィールドを広げられるようになっている。 巨人主催ゲームについては2009年から2010年まで、平日ナイターに限り内野C指定席の一部を学割チケットとして販売していた(阪神戦を除く)。 左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「[[ビジター応援席|ビジターチーム応援席]]」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える。)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、[[2005年]](平成17年)後半戦の[[阪神タイガース|阪神]]戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。阪神戦では、レフト側で[[阪神ファン|阪神を応援するファン]]の数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト巨人応援席」は設定されていない。 社会人野球の[[都市対抗野球大会|都市対抗]]、プロ野球の[[アジアシリーズ]]が開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。 2005年(平成17年)から内野一・三塁側のファウルゾーンに[[フィールドシート]](エキサイトシート)を設置(228席)した。[[2009年]](平成21年)からは座席列が2列から4列に増設されて420席(一塁・三塁各210席)となっている。 * プロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球や他のイベントでは使用されない(ただし、アマチュア野球の試合であってもシートの撤去はしない)。 * 利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。 * 売り子が入ることができない。入口際のネット越しに購入することが可能である。 * 巨人主催ゲームについては年間予約席(108席)と一般指定席(120席)の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる([[2008年]](平成20年)まで)。 * なお、[[2010年]](平成22年)の巨人主管試合は[[日本マクドナルド]]協賛「マクドナルドエキサイトシート」として運営されており、観戦者には漏れなく全国マクドナルド店舗で利用できる[[ビッグマック]]割引クーポンが贈呈される。[[セ・パ交流戦|交流戦]]以外の巨人主催試合で巨人と対戦相手双方でホームランが出た場合「BIG MAC TWIN ARCH」としてビッグマックを無料進呈。どちらか一方しか出なかったりホームランがない場合でも200円で優待。 * 日本ハム主催ゲームでは2008年(平成20年)まで[[シーズンシート]]だけの設定だったが、2009年からは一般発売もされている。 ==== 収容人数 ==== プロ野球の各球団は、[[2004年]](平成16年)までその主催のシーズン公式戦の観客数を実数ではなく水増しした数字で発表していた。東京ドームの場合も収容人員を1988年から1994年までは56,000人、1995年から2004年まで55,000人とし、さらに巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず満員の55,000人(1994年までは56000人)と発表していた。朝日新聞によると、設計段階では50,009人であり行政指導の結果46,314人に減ったが(後述)、満員で5万人と発表していた後楽園球場よりビッグを強調したいとの商魂が先行したためとされている。 ただし、[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]や[[オールスターゲーム (日本プロ野球) |オールスターゲーム]]は、各球団ではなく[[日本プロ野球機構]]の主催となり、同機構が公益法人のため実際の有料入場者数が記録されることになっている。日本プロ野球機構主催ゲームの最多有料入場者数は、1994年日本シリーズ第2戦の46,342人。 [[2005年]](平成17年)からプロ野球全体で観客数発表を実数に近くすることになり(通常は実際の入場者ではなく[[シーズンシート]]を含めたチケット購入者数)、プロ野球チームが本拠としている各球場でも収容人員の変更が行われているが、東京ドームでは観客数発表の方法は変更したものの収容人員の変更はされていない。 開場当初、'''小石川消防署に届けられていた定員は46,314人(そのうち立ち見2,976人)'''であった。2005年(平成17年)4月13日の[[産経新聞]]には、改修を経て現在の数字である45,600人に落ち着いたとある。さらに[[2009年]](平成21年)現在はエキサイトシート420席が加わる。2009年現在、東京ドームの収容人数をプロ野球関連の刊行物では45,600人と記載することが多い。また、注釈付で55,000人としている場合もある。実数発表以後で球団主催試合での最多観客数は[[2008年]](平成20年)10月25日・巨人対中日戦の46,797人であり。レギュラーシーズンでは2011年10月15日の巨人対中日戦の46,794人である。45,600人という数字は正確とは言えないものとなっている。現在、小石川消防署に届けられている定員は明らかにされていない。 なお野球以外でのイベントでは、[[1998年]](平成10年)4月4日の[[新日本プロレス]]主催の[[アントニオ猪木]]引退試合が70,000人と発表されている。また、1998年8月30日の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]主催の[[アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細#"今世紀最後"(第17回・1998年)|今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ]]では、1階席と2階席のみでバルコニー席を使用しなかったが、50,453人と水増し発表されている。 ==== 喫煙規制 ==== [[2007年]](平成19年)より、コンコースで設置されていた[[喫煙]]ブースを廃止し、新たにゲート外、及び1階内野コンコース1塁側、3塁側に喫煙ルームを設置し、[[分煙]]を行なっている。 ==== 応援時の規制 ==== 東京ドームでは、野球開催時に以下のような規制を行っている。 * [[トランペット]]([[トロンボーン]])、カネ、笛、太鼓 ** 指定・許可されたNPB公認の[[私設応援団]]のみ持込・使用可 ** 拡声器、ラジカセ等、大音量を発生させる物の持込不可。ただし都市対抗野球ではマイク使用可。 ** 騒音問題に対応し、22時以後は使用禁止。ただし都市対抗野球では23時まで利用可能。かつ23時以降もマイク使用は可能。 *巨人主催試合 基本的にトランペットは同時吹奏4本まで。また球場から貸与する8枚の腕章を着用しているトランペット(奏者)が演奏できる。本数を超えたり、腕章なきトランペットを吹いた場合、即刻始末書の提出を求められ、NPBへルール違反の報告を行っている。これに関しては応援団担当の警備員が逐一チェックしている。 *日本ハム主催試合 基本的にトランペットは本数制限無し。 * 応援旗 ** 一般客は、縦500mm以内、横500mm以内の大きさで、持ちやすくするために柄を2本付けたものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。ただし同時に振れるのは6本まで。 ** 枚数は制限なし。 * [[横断幕]] ** 一般客は縦600mm以内、横600mm以内のものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。上記の大きさを超える「ゲートフラッグ」は、一般客・応援団共に持込禁止。 ** 手持ちのみとし、球場施設(フェンス、スタンド等)への取り付けは禁止。また、横断幕に旗竿等を使用したものは、一般客・応援団共に持ち込みはできない。 * 応援ボード等 ** 一般客は、大きさは縦600mm以内、横600mm以内の物で、必ず一人が手で持てる仕様であるものであれば、持込可。ボードを支える棒などは使用できない。また、2人以上で持つものは、横断幕とみなされ、持込不可となる。 ** 1枚の大きさが規定以内でも、テープ等でつなげた物は持込不可。入り口にて切り離すか、没収となる。一枚ずつに分かれているものを2人以上で掲げ、選手の名前や文章にする行為は許可されている。 なお、応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは、持込ができない。また試合中に掲げたとしても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされているため、発見され次第係員に没収される。 * [[ジェット風船]]、紙吹雪、紙テープ ** 建物の構造上の理由により応援団・一般客とも使用不可(野球の優勝決定時の演出を除く ジェット風船についてはドームが空気圧で膨らんでおり、それが基で破裂する恐れがあることから優勝決定時でも使うことはできない。ただし、[[1998年]][[12月31日]]から[[1999年]][[1月1日]]にかけて行われた[[J-FRIENDS]]のカウントダウンライブではジェット風船が飛ばされていた)。 なお、巨人主催試合[[1993年]](平成5年)まで、日本ハム主催試合では[[2006年]](平成18年)までは太鼓を使用できなかった。理由は一説によると、東京ドームの応援規制が緩和された[[1994年]]に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット(トロンボーン)持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペット(トロンボーン)を選択したと言われる。日本ハム主催試合で[[2007年]]以降太鼓が認められるようになったのは、巨人主催試合のビジター戦では太鼓が認められ、ホーム戦では認められない事に対する矛盾を解消する事が理由であると言われる。 ==== 持込・移動 ==== 球場内へは、グラウンド等への投げ込み防止のため、ビン・カン・ペットボトルの持ち込みは禁止されており、各ゲート入り口にて、中身を指定の紙コップに移し替えなければならない(紙パックのものは持込可)。クーラーボックスや[[乳母車|ベビーカー]]など、観戦の妨げになる恐れのある物の持ち込みもできない(ベビーカーは、入場ゲートにて預かりとなる)。[[1995年]](平成7年)の[[地下鉄サリン事件]]と[[2001年]](平成13年)の[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、入場時には厳しい持ち物検査が実施されている。 球場内では、1階から2階まで自由に行き来でき、各階の色々な売店にて買い物ができる。ただしバルコニー席のチケットを持たない人は、バルコニー席には行けない。 ==== 再入場制度 ==== 東京ドームでは、一部のイベントでは一旦東京ドームの外へ出た人も再入場ができる。イベントにより再入場の手続き方法が異なる。巨人戦には[[2006年]](平成18年)から導入されており、21ゲート、23ゲートで手に再入場を証明するスタンプを押され再入場券が発行される。再入場時にチケットの半券とスタンプ、再入場券が確認できれば、再入場ができる。 === 看板広告 === バックネットのフェンス広告は[[2004年]](平成16年)から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]が開催される場合は、オールスターゲームの冠スポンサー(2006年まで[[三洋電機]]、2007年は[[ガリバーインターナショナル]]、2008年から[[マツダ]])の広告を掲出している。東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002、2007年に開催されたことがある。 外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。〈開設当初は9枚:左翼5枚、右翼4枚〉)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当するスポンサー商品が贈呈される。[[日産自動車]]がスポンサーだった時は同社製の乗用車(約400万円相当)がプレゼントされていたことがあった。ビッグボード広告は2010年現在、[[インターネットイニシアティブ]]、[[麒麟麦酒]]、[[東日本旅客鉄道]]、[[明治 (企業) |明治]]、[[リクシル]]、[[東映]]、[[マルハン]]、[[大塚製薬]]、[[セコム]]、[[旭化成]]、[[オリエントコーポレーション]]の11社。なおボード広告ではないが、巨人戦の際にオーロラビジョンの自由表示部がプレイ中に「クラブジャイアンツ・G-po」の広告として固定表示される。 また、[[読売ジャイアンツ|巨人]]が出場した際のクライマックスシリーズ、日本シリーズでは、[[ポストシーズン|ポストシーズン・ゲーム]]のため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない。 かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により[[2006年]](平成18年)にこの制度が廃止。広告が撤去された。 東京ドームでは現在、[[消費者金融]]の会社の広告を一切出していない。以前、[[大阪近鉄バファローズ]]が消費者金融の[[アコム]]とスポンサー契約を新たに結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、巨人の[[渡邉恒雄]](当時)オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。実際には、その発言をした時には東京ドームでも同業の[[プロミス]]の広告が出されていた。その後シーズンオフに、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームがプロミスに「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と更新を行なわない旨を通達し、プロミスも了承し、消費者金融の広告は一切排除された。 [[バックスクリーン]]は開場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分に[[プリズマビジョン]]と呼ばれる回転板が張られるようになった。 室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15 - 20分間に無人[[飛行船]]が飛ぶ。巨人勝利の際には[[ヒーローインタビュー]]のTVのカメラフレームに入り込むように飛行する。 この飛行船にはカメラが備え付けられており、ビッグヴィジョンへの生中継が出来る。また、この飛行船にはサンプル商品などを投下できる小型気球を3つ取り付けられる。 ==== 看板広告の歴史 ==== * 1988年 - 1992年: KIRIN、[[日産自動車|NISSAN]]、[[全日本空輸|全日空]]、[[コニカミノルタホールディングス|MINOLTA]]、[[セイコーホールディングス|SEIKO]]、[[パイオニア]]、[[日本たばこ産業|JT]]、[[ミサワホームホールディングス|ミサワホーム]]、[[日本電気|NEC]] * 1993年 - 1995年: [[コナミ|KONAMI]]、KIRIN、NISSAN、全日空、[[ポカリスエット]]、[[昭和シェル石油]]、パイオニア、JT、セコム、NEC、[[UCカード]] * 1996年 - 1997年: コナミ、KIRIN、NISSAN、[[全国共済農業協同組合連合会|JA共済]]、[[大塚製薬|オロナミンC]]、[[富士フイルム|FUJIFILM]]、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード * 1998年 - 1999年: コナミ、KIRIN、NISSAN、[[日本中央競馬会|JRA]]、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード * 2000年: HOYA、KIRIN、NISSAN、[[明治乳業|明治]]ブルガリアヨーグルト、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード *2001年:HOYA、キリンビバレッジ、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、スカパー!、FUJIFILM、パイオニア、オロナミンC、セコム、NEC、UCカード *2002年 - 2004年: [[コムスン]]、KIRIN、NISSAN、明治AYA、エプソン、FUJIFILM Finepix、パイオニア、アミノバリュー、セコム、ヘーベルハウス、UCカード * 2005年: コクヨ、 KIRIN、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、JAL(日本航空)、FUJIFILM、パイオニア、オロナミンC、セコム、ヘーベルハウス、UCカード * 2006年 - 2007年: コクヨ、KIRIN、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]、明治ブルガリアヨーグルト、[[HOYA]]、[[東京電力]]、[[JINRO]]、パイオニア、SOYJOY、セコム、ヘーベルハウス、UCカード * 2008年:[[インターネットイニシアティブ|IIJ]]、KIRIN、JR東日本、明治ブルガリアヨーグルト、NITTAN、JINRO、パイオニア、オロナミンC、セコム、ヘーベルハウス、UCカード * 2009年:IIJ、キリン一番搾り、JR東日本、明治ブルガリアヨーグルト(シーズン中に[[明治乳業]]の[[ロゴマーク]]が[[明治ホールディングス|変更された]]。)[[ニッタン]]、JINRO、[[東映]](映画「[[劔岳 点の記]]」→映画「[[火天の城]]」→映画「[[笑う警官 (佐々木譲)|笑う警官]]」の順で変遷、ちなみに[[コナミ]]から発売されている野球ゲーム『[[実況パワフルプロ野球]]』や『[[プロ野球スピリッツ]]』では、東映の社章である三角形のロゴマークが使われている)、オロナミンC、セコム、ヘーベルハウス、UCカード * 2010年 − :IIJ、キリンビール、JR東日本、[[明治 (企業) |meiji]]、[[リクシル|LIXIL]]、東映(2010年:映画「[[孤高のメス]]」→DVD「[[ONE PIECE FILM STRONG WORLD]]」→映画「[[桜田門外ノ変]]」、2011年:映画「[[小川の辺]]」→映画「[[探偵はBARにいる]]」→映画「[[ツレがうつになりまして。]]」)、[[マルハン|MARUHAN]]、大塚製薬、SECOM、ヘーベルハウス、[[オリエントコーポレーション]] ==== 広告表示の歴史 ==== * 1988年 - 1989年: [[サントリー|サントリー生ビール]]、[[パナソニック|Panasonic]]、[[ワールド (企業)|ワールド]]、[[リョービ]]、[[東邦生命]]、[[富国生命|フコク生命]]、[[富士通|パソコンは富士通]]、[[コニカ|コニカカラー]]、[[日本航空インターナショナル|日本航空]]、[[富士フイルム|フジカラー]]、[[クボタ|KUBOTA クボタ]]、[[日本興亜損害保険|日本火災]]、[[富士ゼロックス|FUJI XEROX]]、[[大和証券|大和證券]] * 1990年 - 1991年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、フジカラー、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1992年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、FUJIFILM、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1993年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、[[カシオ|CASIO]]、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1994年: サントリーモルツ、Panasonic、[[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン 摩周の霧水]]、RYOBI、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMTOWNS、コニカカラー、[[日本アジア航空]]、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1995年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン きらら397、RYOBI、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、コニカカラー、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1996年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン きらら397、RYOBI パワーツール、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1997年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL CARD、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1998年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、GEエジソン生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL CARD、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 1999年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、RYOBI パワーツール、[[マスプロ電工|MASPRO]]、フコク生命、[[小松製作所|KOMATSU]]、Konica センチュリア、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券 * 2000年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、[[コナミ|KONAMI]]、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和証券 * 2001年: マグナムドライ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、ジャルパックのアイル、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券 * 2002年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI、MASPRO、フコク生命、Konica、TU-Ka、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券 * 2003年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI、MASPRO、フコク生命、Konica、[[キヤノン|Canon]]、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券 * 2004年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI SPORTSCLUB、MASPRO、フコク生命、KONICA MINOLTA bizhub、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券 * 2005年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、マスプロアンテナ、フコク生命、[[コニカミノルタホールディングス|コニカミノルタ]]、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、オープンインタフェース、大和証券 * 2006年 - 2007年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、[[日研総業]]、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、[[積水ハウス]]、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、[[スルガコーポレーション]]、大和証券 * 2008年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、[[三共 (パチンコ)|SANKYO]]、大和証券 * 2009年 - 2010年: ザ・プレミアム・モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、[[オーイズミ|OIZUMI]]、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券 * 2011年 :ザ・プレミアム・モルツ、[[東京瓦斯|エネファーム]]、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、[[竹中工務店|TAKENAKA]]、日本興亜(右に当社のキャラクターの[[日本興亜損害保険#テレビCM|エコラッタ]])、SANKYO、大和証券 * 2012年 :ザ・プレミアム・モルツ、エネファーム、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、[[アサヒビール|アサヒスーパードライ]]、日本興亜、SANKYO、大和証券 ※2012年現在、後楽園球場時代からのスポンサーはサントリー、フコク生命、コニカミノルタ、日本興亜損保、大和証券の5社。 ==== ベンチ広告表示の歴史 ==== * 1988年 - 1990年: [[ミズノ|Mizuno]]、[[キーコーヒー]]、[[TDK]]、[[森永製菓|ハイクラウン]]、[[プロミス]]、[[コカ・コーラ]]、[[新日本石油|九州石油]] * 1991年 - 1997年: Mizuno、キーコーヒー、TDK、ハイチュウ、プロミス、コカ・コーラ、九州石油 * 1998年: Mizuno、リニアゲイル、TDK、キーコーヒー、プロミス、コカ・コーラ、九州石油 * 1999年: [[代々木アニメーション学院|代々木アニメ]]、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、[[サン・クロレラ|サン・クロレラA]] * 2000年 - 2002年: 慶應進学会、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、代々木アニメ、九州石油 * 2003年 - 2004年: [[ラクーア]]、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、[[明治製菓|Meiji]] * 2005年 - 2008年: [[綜合警備保障|ALSOK]]、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、Meiji * 2009年 - : チョコレートは明治、KEYCOFFEE、[[TCN|東京ケーブルネットワーク]]、中部衛生検査センター、コカ・コーラ、[[わかさ生活]]、[[キョーリン製薬]]、アサヒスーパードライ、[[ダンディハウス]]※[[伊藤ハム]](※[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の試合時は[[サッポロビール]]。これは同業他社のニッポンハムがファイターズのグランドパートナー(親会社)、同じく同業他社のプリマハムがイーグルスのオフィシャルスポンサーのため。なおサッポロビールはファイターズのオフィシャルスポンサーのため) ※[[2008年]](平成20年)現在、後楽園球場時代からのスポンサーだったミズノと森永製菓は[[1997年]](平成9年)限りで降板し、後楽園時代からのベンチ広告のスポンサーはキーコーヒーのみとなった。東京ドーム初年度からスポンサーになっているTDKは、東京ドーム完成後にベンチ広告のスポンサーになっており、後楽園球場ではベンチスポンサーではなかった。 === スコアボードの変遷 === [[1988年]](昭和63年)の完成時、スコアボードは、[[バックスクリーン]]側の[[三菱電機]]製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「[[オーロラビジョン]]」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」・「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも[[明朝体]])。[[2003年]]に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」・「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、[[2004年]]にはニックネームに戻された(2003年以降の文字はどちらも[[ゴシック体]])。 オーロラビジョンは[[1990年]](平成2年)に[[ハイビジョン]]サイズへ変更、[[1999年]](平成11年)に全面改修された。[[2001年]](平成13年)にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。 [[2003年]](平成15年)にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の[[打率]] (AV) 、ホームラン (HR) 表示に[[打点]] (RBI) が加わった。球速表示も単位が"'''km'''"から"'''km/h'''"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と大阪近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、大阪近鉄は太字の「Bu」が使用された)。また、選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。[[2004年]](平成16年)のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率 (AV) 、ホームラン数 (HR) が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。 [[2005年]](平成17年)にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラー[[発光ダイオード|LED]]表示の全面オーロラビジョンになった。[[フォント]]が[[キヤノン|Canon]]の角[[ゴシック]]Caに変わり、また従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。スペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団の[[ペットマーク]]やイニシャルと共に表示される。10億7,000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の[[1987年]]以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じ尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。文字を表示しない枠にあたる部分は緑色になっている。 [[2006年]](平成18年)から、[[バリアフリー]]対策の一環で選手名部分の字体の幅が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分がなくなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため[[DH|指名打者]]制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。 [[2007年]](平成19年)より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ (16:9) になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。また、枠の色が緑から文字の部分と同じ黒に変更されており、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック]]アジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用し始めた(巨人主催試合のみ、日本ハムをはじめとするパ・リーグやアマチュアでは表示されない)。 野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。[[2003年]](平成15年)の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。[[都市対抗野球大会]]など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。[[2007年]](平成19年)からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(2011年までは[[横浜DeNAベイスターズ|ベイスターズ]]と[[オリックス・バファローズ|バファローズ]]は共に「B」と表示されていた)。但し、2文字以上表示することも可能であり、[[2008年のアジアシリーズ]]では[[SKワイバーンズ]]が「SK」・[[統一セブンイレブン・ライオンズ]]が「U・L」・[[天津ライオンズ]]が「T・L」と表示され、[[2012年]]に行われた[[メジャーリーグベースボール|MLB]]開幕戦では[[シアトル・マリナーズ]]が「SEA」・[[オークランド・アスレチックス]]が「OAK」と表示された。また2012年からベイスターズは「DB」と表示されている(バファローズは「B」のまま)。 [[2011年]]シーズンから国際慣習に基づき、[[ボールカウント]]を「SBO」から「BSO」表示に変更した。 === 放送席 === ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に[[東京ケーブルネットワーク]]、[[ニッポン放送]]、[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]、[[テレビ朝日]]、[[日本放送協会|NHK]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[文化放送]]、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、6局共用ブース([[北海道放送]]、[[中部日本放送]]、[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]、[[RKB毎日放送]]、[[朝日放送]]、[[毎日放送]])となっている。なお、ラジオNIKKEIは現在プロ野球放送なし。HBCとRKBは交流戦の巨人主管試合、あるいは日本ハム(過去にはソフトバンク・オリックスも)主管のパ・リーグ公式戦で、CBCは巨人主管試合を聴取率調査期間に自社制作する際に使う程度である。また、東京ケーブルネットワークの放送席は地上波の[[テレビ埼玉]](過去には[[千葉テレビ放送]]も)、[[通信衛星|CS放送]]の[[GAORA]](プロ野球・日本ハム主管試合と都市対抗社会人野球)、[[スカイ・エー]](アメリカンフットボール社会人Xリーグ)、[[衛星放送|BS放送]]の[[J SPORTS]](プロ野球・楽天主管試合と[[アジアシリーズ]])に使われるほか、ラジオの巨人主催試合をABCとMBSが並行して制作する場合にABCが使用する(この場合、MBSが前述の6局共用ブースを使用。なお、2010年以降週末を挟む三連戦で文化放送が中継を一切行わない場合、ABCは文化放送のブースを使うこともある)。 放送席に入るためには一度[[コンコース]]を通らなければならず、観客が[[野球解説者|解説者]]などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、混乱が発生する。 === 野球体育博物館=== 21番ゲート右側に[[野球体育博物館]]が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。 == エピソード == * 公式戦での初[[本塁打]]は、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の[[ダグ・デシンセイ]]が[[桑田真澄]]から放ったものである(巨人の東京ドーム公式戦初本塁打は[[ウォーレン・クロマティ]]が[[尾花高夫]]から記録)。開場記念として行われたオープン戦も含めると[[吉村禎章]]が初の打者となる。 ** 初の公式戦勝利投手は尾花、公式戦セーブは[[伊東昭光]]、公式戦敗戦投手は桑田。 *1989年4月24日、新日本プロレスが当時国交が希薄だったソ連勢のレスラーを招聘し初のドーム興行を行う。そのメインイベントでアントニオ猪木がミュンヘン五輪金メダリストのショータ・チョチョシビリに唯一の異種格闘技戦敗退を喫す。並行してIWGPヘビー級トーナメントの闘強導夢杯も行われる。 *1990年8月10日、読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦が行われる予定だったが、当日接近した台風の影響で[[東海道新幹線]]がストップ、名古屋から中日の選手陣が上京できなくなったため、当日の試合は中止になった。これは日本のドーム球場にて試合中止となった最初の事例。 *1995年10月9日、新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦が行われ、ドーム史上空前の67000人を集めるが、ファン同士で乱闘さわぎがおき問題となる *1998年、1月4日、長州力引退試合が行われる。65000人を動員。 *1998年、4月4日、[[アントニオ猪木]][[引退試合]]が行われ、70000人を動員。 *1998年、開場10周年を記念して1番ゲートを「[[王貞治|王]]ゲート」、3番ゲートを「[[長嶋茂雄|長嶋]]ゲート」と称された。これは[[後楽園球場]]時代の名残である。2000年、二人は読売ジャイアンツVS福岡ダイエーホークス(当時)の日本シリーズで監督として対決となるが同球場では1塁側ベンチを巨人の長嶋、3塁側ベンチをダイエーの王が使用している。また、巨人の監督として、王は背番号1(1988年)、長嶋は背番号3(2000年~2001年)、とそれぞれ現役時代の背番号を付けて指揮していた。 *2000年4月7日、新日本プロレスが当時勃発していた橋本真也と小川直也の遺恨決着をつけるべく「橋本真也34歳負けたら即引退試合」を組み、ゴールデンで中継する。結果橋本は敗北した。 * 2002年の[[日テレG+]]開局からは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のニュース番組のスポーツコーナーでの放送と実況放送を分離する放送を開始。 *[[1990年代]]の新日本プロレス主催の大会では「闘強導夢」という当て字が使用されていた。1月4日、5月、10月などその後恒例化。 * 2002年12月7日、[[K-1]] WORLD GP 2002 FINALでドーム史上最高の74500人を動員。 * 2004年に[[ストロングリーグ]]によっておこなわれた[[全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップ]]の決勝戦では、草野球大会としてはじめて沖縄県のチームが来場し千葉県代表チームに勝利し優勝を飾り、胴上げをおこなった。 * 2007年7月22日、[[KinKi Kids]]がコンサートではドーム史上最高の67000人を動員。 * 2011年6月11日、12日 [[氷室京介]]が[[東日本大震災]]チャリティライブ、2日間で11万人を動員し、チャリティライブとしては最大の動員数。 * 東京ドーム内見学(ガイドつきツアー)と呼ばれている見学会がある。ガイドによる案内で、スタンド席やグラウンド等を見学する事ができる。 現在は日本テレビの巨人中継では小田切竜が福音声担当している === 胴上げ === 東京ドームでセ・リーグ優勝決定時に[[胴上げ]]された巨人の監督は、[[1990年]]の[[藤田元司]]、[[2000年]]の[[長嶋茂雄]]、[[2007年]]・[[2009年]]の[[原辰徳]]の3人である。1990年と2000年の優勝決定は、ともに背番号7をつけた巨人の選手(1990年-[[吉村禎章]]、2000年-[[二岡智宏]])がサヨナラホームランで優勝を決めている。2007年もサヨナラ勝ちによる優勝決定であり、相手の打者を抑えての優勝決定は2009年のみである。[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]では、[[1994年の日本シリーズ|1994年]]と[[2000年の日本シリーズ|2000年]]に東京ドームで優勝を決め、長嶋が胴上げされている。 巨人の監督の胴上げと比べて、巨人の対戦相手チームの胴上げは少ない。セ・リーグでは[[2006年]]の[[中日ドラゴンズ]](監督・[[落合博満]])、日本シリーズでは[[2008年の日本シリーズ|2008年]]の[[埼玉西武ライオンズ]](監督・[[渡辺久信]])の例があるのみであり、開場からこれらの事例が起こるまでの期間が長かったため、その間は「巨人が東京ドームで敵将の胴上げを見ることはない」ということは一種のジンクスとされていた。ちなみに、後楽園球場で最後に巨人が敵将の胴上げを見たのは、セ・リーグでは[[1975年]]の[[広島東洋カープ]](監督・[[古葉竹識]])、日本シリーズでは[[1977年の日本シリーズ|1977年]]の[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]](監督・[[上田利治]])までさかのぼる。 対して[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]は、東京ドームを本拠地とする時代にはリーグ優勝自体がなかった。本拠地移転後の[[2006年のアジアシリーズ]]で優勝し、ようやく東京ドームでの胴上げを果たしている。 === 読売との資本関係 === 東京ドームは、巨人の本拠地だけに[[読売新聞グループ本社]]の子会社であると捉えられる場合があるが、グループ本社との資本関係はない。ただし企業としての株式会社東京ドームは、[[よみうりランド]]の大株主の一社である。 === 暴力団への利益供与 === [[2002年]](平成14年)に、東京ドームが[[広域暴力団]][[住吉会]]下部組織に対して、巨人戦のチケットを無償供与する等の利益供与を行っていたことが明らかになった。当時巨人戦のチケットは[[チケット|プラチナチケット]]であり、提供されたチケットを[[ダフ屋]]行為を行うことで高額で転売できたため、チケット額面以上の利益供与となった。 === 球場使用料 === 東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べて極めて高く、1試合あたり観客数に関係なく1,750万円だといわれている(ちなみに[[阪神甲子園球場]]は親会社の所有のため基本的に無料)。高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった([[札幌ドーム]]の球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加」で、最大1600万円強)。 この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば数十万で貸し切ることができる。また使用に関しては22時以降0時20分までや23時30分から深夜5時までという深夜の使用も認められているが、12月~2月までの間の使用は禁止されている。 === マスコットキャラクター === 日本ハムの東京ドーム時代のマスコットキャラクター・[[北海道日本ハムファイターズ#マスコット|ファイティー]]は、当初北海道への移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により東京ドームでの主催試合限定のマスコットキャラクターとして[[2005年]](平成17年)まで登場し、[[2006年]](平成18年)以降は重大イベント限定での登場となった。また、日本ハム戦では[[日本ハム|親会社]]の商品マスコットである[[ハムリンズ]]も2005年以降登場している。 ===東京ドームMVP賞=== 事実上の前身となる[[後楽園球場]]時代の[[1980年]]から制定された球場独自の表彰。東京ドームへの機能移転に伴い、現在の賞名となった。 これは東京ドーム(後楽園)を本拠とする球団に属する選手(創設当初は巨人・日本ハム、[[2004年]]以降は巨人のみ)で、同球場で最も活躍した選手1名に対して表彰し、賞金300万円が贈られ、またその選手の記念プレートが球場内コンコースに永久展示される。また年度によっては最も活躍した本拠球団の新人選手1名に対しても「新人特別賞(100万円)」が贈られる場合がある。 ====歴代受賞者==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- !rowspan="2" width="80"|年度!!colspan="2" width="140"|MVP賞!!colspan="1" rowspan="2" width="140"|MVP特別賞 |- ![[読売ジャイアンツ]]!![[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]] |- |{{by2|1980}}||[[江川卓 (野球)|江川卓]]||[[木田勇]]|| |- |{{by2|1981}}||[[角盈男|角三男]]||[[柏原純一]]|| |- |{{by2|1982}}||[[松本匡史]]||[[工藤幹夫]]|| |- |{{by2|1983}}||[[原辰徳]]||[[島田誠]]|| |- |{{by2|1984}}||[[篠塚和典|篠塚利夫]]||[[トミー・クルーズ]]|| |- |{{by2|1985}}||[[吉村禎章]]||[[古屋英夫]]|| |- |{{by2|1986}}||[[ウォーレン・クロマティ]]||[[田村藤夫]]|| |- |{{by2|1987}}||原辰徳||[[白井一幸]]|| |- |{{by2|1988}}||[[ビル・ガリクソン]]||[[佐藤誠一]]|| |- |{{by2|1989}}||ウォーレン・クロマティ||[[西崎幸広]]||[[藤田元司]] |- |{{by2|1990}}||吉村禎章||[[松浦宏明]]|| |- |{{by2|1991}}||[[川相昌弘]]||[[柴田保光]]|| |- |{{by2|1992}}||[[石毛博史]]||[[五十嵐信一]]|| |- |{{by2|1993}}||川相昌弘||[[マット・ウィンタース]]|| |- |{{by2|1994}}||[[斎藤雅樹]]||[[田中幸雄 (内野手)|田中幸雄]]|| |- |{{by2|1995}}||[[木田優夫]]||[[キップ・グロス]]||原辰徳 |- |{{by2|1996}}||[[松井秀喜]]||[[片岡篤史]]|| |- |{{by2|1997}}||松井秀喜||[[金子誠]]|| |- |{{by2|1998}}||[[高橋由伸]]||片岡篤史|| |- |{{by2|1999}}||[[上原浩治]]||[[小笠原道大]]|| |- |{{by2|2000}}||[[仁志敏久]]||小笠原道大|| |- |{{by2|2001}}||[[清原和博]]||小笠原道大|| |- |{{by2|2002}}||松井秀喜||小笠原道大|| |- |{{by2|2003}}||[[二岡智宏]]||小笠原道大|| |- |{{by2|2004}}||[[小久保裕紀]]|||| |- |{{by2|2005}}||[[阿部慎之助]]|||| |- |{{by2|2006}}||[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]|||| |- |{{by2|2007}}||上原浩治|||| |- |{{by2|2008}}||小笠原道大||||[[山口鉄也]]<br />[[坂本勇人]] |- |{{by2|2009}}||坂本勇人||||[[松本哲也 (野球)|松本哲也]] |- |{{by2|2010}}||[[アレックス・ラミレス]]||||[[長野久義]] |- |{{by2|2011}}||阿部慎之助||||[[澤村拓一]] |} ※1980年から1987年までは、「'''後楽園MVP賞'''」。1988年以降は、「'''東京ドームMVP賞'''」。 == 野球以外での利用 == 東京ドームは野球以外にも、新商品展示会・新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていたりすることもある。 === 多目的ホール === [[1990年代]]前半までは多目的ホールとしても[[首都圏 (日本)|首都圏]]最大級の規模であり、東京の一大[[ランドマーク]]として存在感も大きかった事から、主に関東域外の[[地方自治体]]や観光協会が開催する地方物産展、[[富士通]]をはじめとした大手企業の新製品展示会など、いわゆる[[見本市]]会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。[[バブル崩壊]]後の経済の低迷や、施設の規模に対する施設使用料の高さ、元々が野球場であるがゆえの見本市会場としての構造的な不便さなどがネックとなり、東京ドームで開催されるこれらイベントの多くは終了したり、あるいは規模によって[[プリズムホール]]や[[東京国際展示場|東京ビッグサイト]]など他のイベントホールや見本市会場へ開催地の移転が行われた。現在では見本市会場といった用途での使用は大幅に減っている。[[2008年]](平成20年)5月15日の日本テレビ[[NEWS ZERO]]によると、2008年4月26日・27日にマルチ商法で業務停止命令中の「[[ニューウエイズ|ニューウェイズ・ジャパン]]」の全国大会に東京ドームが使用されたと放送された。 === コンサート会場 === 東京ドームの[[こけら落し|杮落とし]]公演は「[[ミック・ジャガー]]」や東京ドームオープニングイベントとして1988年3月19日、20日に行われた世界各国のマーチングバンドと「[[THE ALFEE]]」の共演によるコンサートが行ったと誤って伝えられる事が多いが、実際には[[美空ひばり]]の公演を杮落としとして設定している。なお、杮落としは必ずしも最初の催事とは限らない。(詳細については[[こけら落し|杮落とし]]参照) また、1988年3月21日にはマイク・タイソンの世界タイトル防衛戦も行われている。 ==== 決まり事 ==== * コンサートで利用する場合、[[消防法]]と[[警視庁]]からの指導、及び観客の転落防止のため、2階席と外野席の最前列(1列目)は、緩衝地域となり、原則として客席として利用できない。ただし、近年一部の公演では、客席として使用する場合がある。 (使用例) :* 2008年11月18日の「[[ビリー・ジョエル]]」の公演は、2階席1列目を「立見禁止席」として使用。 :* 2009年7月4日・5日の「[[東方神起]]」の公演では、バルコニー席・2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。なおバルコニー席の1列目は立見禁止では無い。 :* 2009年12月4日-6日、2010年11月19日-20日の「[[嵐 (グループ)|嵐]]」の公演では、2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。 :* 2009年12月19日の「[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]」の公演では2階席1列目が使用されたが、特に「立ち見禁止」等の規制は設けられなかった。 :* 2010年11月3日の「[[Perfume]]」、2010年12月5日の「[[倖田來未]]」の公演では、2階席・外野席の1列目も使用したが、2階席1列目のみ「立ち見禁止」とした。倖田來未は、2階席1列目を「ファミリーシート」の名称で使用。 * 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなりこもるために、スピーカーの設置などには気を使う。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。 * [[X JAPAN]]のコンサートの際、「X」のサビで両手をX字にしてジャンプする「Xジャンプ」のパフォーマンスが定番になっているが、東京ドームで5万人がジャンプすると[[文京区]]全体が揺れてしまう(1997年の『THE LAST LIVE』では震度3相当の揺れだったとの事)為、文京区から直々に「X」の演奏を自粛するよう要請されているが、YOSHIKIは結局強行した。その10年後の復活ライブ「[[攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜]]では「ジャンピング禁止」の張り紙が各所に貼られるも、結局Xジャンプが決行されてしまった。ただ、文京区と東京ドーム側の東京ドーム使用の条件は「Xジャンプを'''誘導しない事'''」であった為、張り紙まで行なっていた上にファン各々が自発的にやったという事で不問となっている。 * 演奏は、近隣住民の騒音への配慮により、原則として午後9時30分(年末のカウントダウン公演は午前0時30分)以降は、音を出してはいけない決まりになっている。なお、公演によっては規定時間を過ぎて終演した公演もある。 === イベント・その他 === * [[1988年]] - [[1992年]]、[[1998年]]には「[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]」(日本テレビ)の第一次予選にも使用されていた。 * [[1988年]]と[[1990年]]に日本テレビ・[[電通]]・[[帝拳プロモーション]]のタイアップで[[マイク・タイソン]]の[[ボクシング|プロボクシング]]統一世界[[ヘビー級]][[タイトルマッチ]]が行われた(2度とも前座に[[新日本木村ボクシングジム]]所属の日本王者による[[チャンピオン・カーニバル_(ボクシング)|チャンピオンカーニバル]]の防衛戦)。 * [[1989年]]ではじめて'''格闘衛星☆闘強導夢'''を開催してから[[新日本プロレス]]が毎年[[プロレス]]興行を行っている。1992年からは毎年[[1月4日]]に行われるようになり、年3本ペースほど東京ドームで興行を行っていたが、[[2007年]]からは毎年1月4日のみ興行が行われる。詳細は「[[レッスルキングダム (プロレス興行)|レッスルキングダム]]」参照。 * [[1990年]]から[[アメリカンフットボール]]の日本選手権「[[ライスボウル]]」の試合会場として利用されており、毎年[[1月3日]]に開催される。 * [[1991年]]より、毎年2月に「[[世界らん展日本大賞]]」が開催されている。らん展をメインにした、[[はとバス]]などのパッケージツアーが多く組まれ、現在では毎年冬の東京ドームの風物詩となっている。 * [[1993年]]には[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[プレシーズンマッチ]]で使われた。そのために簡易装着できる天然芝、[[ビッグエッグターフ]]が開発されている。なお1994年2月にも[[ジュビロ磐田]]vs[[クルゼイロEC]]の試合が行われた。 * [[1997年]]より[[2006年]]まで[[K-1]]グランプリ決勝戦の会場として使用していた。 * 総合格闘技「[[PRIDE]]」では1997年10月11日の[[PRIDE.1]]を始め5度開催された。 * [[1999年]]8月、[[コナミ]]が[[遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ|遊☆戯☆王]]のイベントでドームを使用。来場者数についての予測の甘さや人員誘導スタッフの絶対的な不足など、開催側の不備が原因でドーム内外で大混乱が発生、マスコミのニュースでも取り上げられた。余談であるがこの年に発売された真DMでも使用されている * [[2003年]]には[[ハロー!プロジェクト]]([[モーニング娘。]]や[[松浦亜弥]]など)による「[[ハロー!プロジェクトスポーツフェスティバル |Hello!Project スポーツフェスティバル]]」を開催した。 * 2003年、当時来日していた[[レアル・マドリード]]が公開練習を行う。 * [[2004年]]、[[2005年]]には[[プロレスリング・ノア]]がプロレス興行を行った。詳細は「[[プロレスリング・ノア 東京ドーム大会]]」参照。 * [[NBA]]の公式戦、[[NFL]]のプレシーズンマッチも行われた。 * [[メジャーリーグベースボール|MLB]]の開幕戦が、下記の日程で行われた。なお、2003年3月25日・26日には[[オークランド・アスレチックス]]VS[[シアトル・マリナーズ]]が行われる予定だったが、米英によるイラクへの武力行使により、MLBとMLB選手会が、選手などの渡航の安全を十分に確保できない恐れがあると判断し、中止となった。 :*2000年:[[ニューヨーク・メッツ]]VS[[シカゴ・カブス]] :*2004年:[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]VS[[ニューヨーク・ヤンキース]] :*2008年:[[オークランド・アスレチックス]]VS[[ボストン・レッドソックス]] :*2012年:[[オークランド・アスレチックス]]VS[[シアトル・マリナーズ]] * [[2006年]][[7月22日|7月22]]・[[7月23日|23]]両日、[[スーパー戦隊シリーズ]]30周年と[[仮面ライダーシリーズ]]35周年を記念し、歴代仮面ライダーと戦隊が一堂に会した「東京ドームWヒーローフェスティバル」([[東映]]、[[テレビ朝日]]主催)が開催された。 * [[2009年]][[9月29日]]・[[9月30日|30日]]に、[[ペ・ヨンジュン]]出演のイベントが、2日間行われた。また29日は観客の前では初めて[[チェ・ジウ]]と共にイベントを行なった。 * [[立正大学]]が[[入学試験]]会場としてグラウンドを使用したことでも話題になった。ただし、これは校舎建て替えに伴うものである。 * 大手百貨店の[[三越]]が、[[入社式]]と社員大運動会を東京ドームを借り切り同日開催したことがある。入社式に続き運動会を開催したため社員全員が[[ジャージー (衣類)|ジャージー]]姿で出席した。開催年度は不明。 * [[2009年]]より、毎年1月には日本各地の特産品や伝統行事が集結する「[[ふるさと祭り東京 〜日本のまつり・故郷の味〜|ふるさと祭り東京]]」(主催:ふるさと祭り東京実行委員会([[フジテレビジョン]]・[[文化放送]]・東京ドーム))が開催されている。3回目となる[[2011年]]はスペシャルプロデューサーに[[小倉智昭]]が就任。なお、小倉が出演するCMはフジテレビ及び協力スポンサーである[[テレビ神奈川|tvk]]・[[千葉テレビ放送|チバテレ]]でも放映されている。 * [[2011年]][[4月27日]]-[[5月1日]]、テレビアニメ「[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]」のイベントが行われた。 * 興行の内容(特に[[ジャニーズ事務所]]系)によっては、主催者の意向により、球場内の売店でのアルコール類の販売が行われない場合がある(バーガーショップ等の球場外にある売店では、販売されている)。 2014年12月23日に嵐のライブツアーラスト開催された。翌日の全ワイドショーで放送された。超報道に寄るとトータルで45分放送された 2015年2月15日にジバニャン軍団が登場した 嵐学校やっている。各ワイドショーで放送された 2016年7月16日にEXILEがイベント開催した。マリオの仲間も行った == 最寄駅 == * [[水道橋駅]] - JR東日本[[中央・総武緩行線]]・[[都営地下鉄三田線]] * [[春日駅 (東京都)|春日駅]] - 都営地下鉄三田線・[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]] * [[後楽園駅]] - [[東京地下鉄丸ノ内線]]・[[東京地下鉄南北線|南北線]] ** 南北線の線路はグラウンドの真下を通っている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[東京ドームホテル]] - 同じ運営会社の経営。巨人戦観戦宿泊プランもある。 * [[東京ドームシティ]] * [[東京ドームシティアトラクションズ]] * [[野球体育博物館]] * [[日本の野球場一覧]] * [[Dramatic Game 1844]] * [[ラジオ日本ジャイアンツナイター]] * [[ミラクルジャイアンツ童夢くん]] - 開場の頃に主人公がイメージキャラクターとなっていた。 * [[スポーツに関する都市伝説]] - ドームランの記述がある。 遊戯王真DM。現代編の舞台になっている。遊戯が大会に出て勝ち抜くという内容 {{-}} == 外部リンク == * [http://www.tokyo-dome.co.jp/ 東京ドームシティ 公式サイト] ** [http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/giants/seat/ 巨人戦情報 座席表] * [http://www.tokyo-dome.jp/index.php 株式会社東京ドーム] * [http://www.fighters.co.jp/ticket/regular/tokyo.php 東京ドームチケット情報(日本ハム主催試合)]([http://www.fighters.co.jp/ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト]より) {{日本プロ野球の本拠地野球場}} {{2006 ワールド・ベースボール・クラシック}} {{2009 ワールド・ベースボール・クラシック}} {{競輪場}} {{DEFAULTSORT:とうきようとむ}} [[Category:関東地方の野球場]] [[Category:日本プロ野球の本拠地野球場]] [[Category:読売ジャイアンツ]] [[Category:北海道日本ハムファイターズ]] [[Category:ワールド・ベースボール・クラシック]] [[Category:日本のアメリカンフットボール競技施設]] [[Category:日本のバスケットボール競技施設]] [[Category:日本のボクシング会場]] [[Category:密閉式ドームスタジアム]] 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