川田亜子

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2008年9月11日 (木) 13:00時点におけるシンベッチャラ (トーク | 投稿記録)による版 (プロフィール)

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川田 亜子かわだ あこ1979年1月17日 - 2008年5月26日)は、石川県金沢市出身の元TBSアナウンサー2007年4月よりフリーアナウンサーに転身した。

プロフィール

  • 身長163cm。、血液型O型。
  • 金沢大学附属小学校・中学校卒業。盛岡白百合学園高等学校卒業。高校時代は海外留学を経験。兄が二人。
  • 白百合女子大学文学部卒業後、2002年東京放送に入社)。同期のアナウンサーに山田愛里がいた。
  • 英語検定2級、フランス語検定2級を取得していた。
  • 「Goro's Bar」では独自のキャラクターを遺憾なく発揮することが多く、稲垣吾郎に「本当にアナウンサーなの?」と尋ねられたり、青木さやかに「他の芸人から『川田さんってどこの事務所の芸人?』と聞かれた」と言われたりしている。
  • がっちりマンデー!!」では、自称「経済予報士見習い」の肩書きで眼鏡をかけリポーターをしている。
  • 父が医師で、「お父さんが、富山に病院を建てる」とTBSの特別番組で発表したこともある。
  • ネプ理科では、グロテスクな巨大ナマコウミウシを平気で握り締める等かなりの肝の据わりっぷりで、爬虫類昆虫類を恐れる事無く触れていた。
  • 2007年3月23日付でTBSを退社し、フリーアナウンサーに転身。これは川田の報道番組担当の希望が強かった為。
  • 2007年4月7日からテレビ朝日サタデースクランブル」のキャスターに就任。放送局のアナウンサーが退職後すぐに他局のレギュラー番組を担当するのは異例(過去の例としては1994年3月にNHKからフリーになり、その翌月から「めざましテレビ」(フジテレビ)のレギュラー司会を担当している大塚範一2007年3月にNHKからフリーに転向した翌月から「週刊オリラジ経済白書」(日本テレビ)に進行役としてレギュラー出演していた宮本隆治ぐらいである)であった。
  • フリーアナウンサーに転身後、CM発表会や映画の試写会の司会(MC)としても活躍していた。
  • 所属していた芸能事務所「パール」には、TBS時代から番組でよく共演している、押切もえ蛯原友里も所属している。
  • もともと太れない体質で、油断するとすぐに痩せてしまうのが悩み(TBS「Goro's Bar」より本人発言)。そのためモデル顔負けのスレンダーな体型をしており、2007年正月の特番でハワイロケを敢行した際(押切もえ蛯原友里と共演)、トップモデルの2人に引け劣らない姿で闊歩していた。
  • 目標としていた人物は安藤優子櫻井よしこ。将来的には自分の言葉で物事を伝えていけるようになりたいとの目標を語っていた[1]
  • 2008年5月22日発売の週刊新潮が『「私は悪魔になった」とブログに書いた「川田亜子」アナ』という記事を掲載した。
  • 2008年5月26日東京都港区海岸に駐車した乗用車内で倒れているところを通行人が発見、通報を受け駆け付けた警視庁三田警察署の警察官により死亡が確認された。享年??。主流が硫化水素に移行する中、あえて練炭を選んだ。[2]

生前の出演番組

東京放送アナウンサー時代

テレビ

ラジオ

TBS退社後

テレビ

試写会・発表会などのMC

その他

脚註

外部リンク