女子高生コンクリート詰め殺人事件

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女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、足立区綾瀬にある日本共産党の地方幹部(事件後離党)湊靖人の自宅で起こった凶悪事件。昭和最後の少年犯罪事件であり、少年犯罪史上最悪の事件でもある。

死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

被害者を中傷するクズども

マスゴミ・人権屋などのチンカスどもは、「被害者が非行少女だった」と捏造報道(故人の名誉のために書くが、事実無根である)を繰り返し、宮野や神作や湊等のチンカスどもをかばうという愚劣で許し難い行動に出た。

もう死んでいい。 この世界は、今日、滅亡する! そしておまえを 殺す殺す殺す殺す殺す

準主犯格・神作譲(33)ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年)

「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲(33)の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。

検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。

ごめんなさい!助けて助けて助けてと叫んでいた!

女子高生コンクリート詰め殺人事件

神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん(当時17)はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。

宮野(当時18)、小倉(神作被告・同17)、湊(同16)、渡邉(17)の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。

また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。まさに鬼畜の所業である。

’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。主犯格の宮野以外はすでに出所している。彼らの「今」を追った。

少年B=神作被告の出所後

神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。

出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。

「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。

母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」

向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」

母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。

神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。

「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」

現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」(ホステス)。

7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」(ホステス)。

一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。

神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月)

東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作 譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。

逮捕から判決確定まで拘置所等で過ごした未決勾留日数なども勘案すると、神作受刑者は早ければ2008年後半にも出所する可能性がある。また89年のコンクリート事件で懲役20年の判決を受け、現在服役中の主犯格の宮の受刑者もあと数年で出所するとみられ、凶悪犯人が次々と社会に戻る不安が大きい。

あー

スマイリーキクチについて

ヨン様似でお馴染みの芸人。わら人形と関っていたと言う根拠は無く、非行に走っていた時期が有るが、暴行・強姦に関わったという事実はない。ちなみに彼の特技も空手とキックボクシングである。

彼のブログに抗議の書き込みなどをすると立件される恐れがある(殺す、人殺しなどと書き込み書類送検された者もいる)。

スマイリーがこの事件に関わっていたという噂については葵龍雄も「疑わしい」と言及している。

外部リンク