マリー=マドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエ

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ジャンヌ・マリー=マドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエ(Jeanne Marie-Madeleine Duruflé-Chevalier[1], 1921年5月8日 - 1999年10月5日)は、フランスオルガン奏者。[2]

マルセイユにてジャンヌ・マリー=マドレーヌ・シュヴァリエ(Jeanne Marie-Madeleine Chevalier)として生まれる。幼少期に家族でカヴィヨンに移住し、6歳の頃から母方の祖母からピアノの手ほどきを受けた[3]。10歳の時にパリに行き、ピアノ教師のマリー・デーレに才能を認められ、デーレの紹介でマルセル・サミュエル=ルソーの所に通い、ソルフェージュと和声法を学んだ。ただ、世界恐慌の影響で父の仕事が思わしくなく、程なくしてカヴィヨンに戻り、11歳で当地のサン=ヴェラン大聖堂のオルガン奏者となる。12歳の時にアヴィニョン音楽院に入学し、ピアノの他、エドゥアール・シャルルに和声法を学んだが、オルガン奏者であったシャルルの影響でオルガン演奏に傾倒するようになった。[4]1938年にはマルセル・デュプレの知己を得たが、第二次世界大戦により、パリ音楽院でデュプレに師事できるようになったのは1946年になってからであった。1947年から聖エティエンヌ・デュ・モン教会のオルガン奏者であったモーリス・デュリュフレの助手を務め、1953年にはシャルル=マリー・ウィドール国際オルガン・コンクールで優勝。同じ年にはデュリュフレと結婚し、聖エティエンヌ・デュ・モン教会のオルガン奏者の座を夫婦で分け合った。1975年にフランス南東部で自動車事故に見舞われて骨盤と肋骨を骨折するという重傷を負った。この事故で夫が両足を骨折し、聖エティエンヌ・デュ・モン教会の職務を遂行できなくなったため、夫が没するまで聖エティエンヌ・デュ・モン教会のオルガン奏者の職を一人で務めた。その後は演奏活動が低迷したが、1989年にニューヨークで行われたデュリュフレを記念する音楽祭に出演して演奏活動に復帰。1998年まで聖エティエンヌ・デュ・モン教会で演奏していた[5]

パリにて逝去。

脚注[編集]

  1. Ebrecht (2002) EbrechtRonald [ Maurice Durufle, 1902-1986: The Last Impressionist ] 2002 ISBN 9781461669630 42-43
  2. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  3. Ebrecht 2002 182
  4. Ebrecht 2002 184-185
  5. (Unknown date) Marie-Madeleine Duruflé : de Cavaillon à New York, un parcours virtuose Unknown date arch. 2022-08-19 2022-08-19