ヘキスト (化学メーカー)

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ヘキスト (Hoechst AG|Hoechst AG) はかつてドイツに本拠を置いた総合化学企業で、世界有数の製薬会社でもあった。 

1863年ヘーヒストHöchst, 現在フランクフルト市内の地区)に染料会社として設立され、後に地名にちなんで"Farbwerke Hoechst AG"(「ヘキスト染料会社」の意、国外事業のためにつづりを変えた)の名を用いた。

1910年、世界で最初の梅毒に対する特効薬である砒素化合物製剤をサルバルサン(ラテン語でSalvareは「救う」の意味)と名付け製造販売した。 1925年、他の多数の化学企業と合同してIG・ファルベンとなったが、1951年に解体され、ヘキストはフランクフルトに再設立された。

1968年からフランス第二位の製薬会社ルーセル・ユクラフとの資本提携が進み、1970年にそれが一段落した。ヘキストが43%、ルーセルが過半数を出資するCie. Financiére Chimio が、19世紀から営業するLéopold Émile Aron#Agent de la Société centrale de dynamite (1886-1892) を68.61%支配する体制ができたのである。このダイナマイト中央会社はルーセル・ユクラフの過半数を支配するだけでなく、サヴォワにあるNobel-Bozel の44%を保有した。[1]

1987年、アメリカ子会社がアメリカの化学企業セラニーズと合併し、ヘキスト・セラニーズとなった。

1995年にはヘキスト・セラニーズがさらにアメリカの化学企業マリオン・メレル・ダウと合併してヘキスト・マリオン・ルセルとなり、巨大製薬企業としてヘキストグループの中核となった。1997年、ルーセル・ユクラフを買収した。1999年、ヘキストはローヌ・プーランと合併してアベンティスとなった。これに伴い、ヘキストの化学事業の多くが分離され、再びセラニーズとして独立した。アベンティスはさらに2004年合併によりサノフィ・アベンティスとなった。

日本法人[編集]

日本でのヘキストはヘキストジャパン株式会社 (Hoechst Japan Ltd.) である。

沿革[編集]

  • 1968年 - ヘキストと日本レイヨン(現・ユニチカ)が合同出資で、ヘキストニチレ株式会社を設立した。
  • 1983年 - ヘキストの100%出資となり、社名を「ヘキストジャパン株式会社」に変更。
  • 1998年 - 森下ルセルがヘキストジャパン株式会社の医薬品部門、日本ルセル株式会社、マリオン・メレル・ダウと統合し、ヘキスト・マリオン・ルセル株式会社に商号変更する(現在のサノフィ株式会社)。
  • 1999年12月 - ヘキスト・マリオン・ルセルの輸液事業を味の素が買収し、味の素の完全子会社として味の素ファルマ株式会社を設立する。

脚注[編集]

  1. Henri Claude, "Les monopoles français dans le pocessus de concentration mondial", Economie et Politique, Janv.-Fév. 1970. pp.44-55; "Roussel-Uclaf-Centrale de Dynamite", La Vie Française, 6 Fév. 1970. p.17.

関連項目[編集]

窯業のヘキスト陶磁器工房とは創業地が同じであるが、直接の関係はない。