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ロストフ州ジモヴニキ出身。幼少時からロストフ・ナ・ドヌの児童音楽学校でヴァイオリンを習い始め、6歳の頃には人前で演奏していた。1962年にモスクワ音楽院に入学してセルゲイ・バラサニアンのクラスで作曲を学んだが、2年後にはレニングラード音楽院に移り、イリヤ・ムーシンに指揮法を学んだ。1969年にレニングラード音楽院を卒業後、[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]のセミナーに参加し、1971年から1973年までカレリア放送交響楽団で首席指揮者を務めて指揮活動を始めた。1973年からウクライナ国立交響楽団の指揮者陣に加わる。1977年に[[ウィーン国立音楽大学|ウィーン音楽院]]に行き<ref>{{Wayback|date=20220427104159|url=https://imap.nika-media.ru/encyclopedia/gg/glushchenko-fedor}}</ref>、[[オトマール・スウィトナー]]とカール・エステルライヒャーの許で研鑽を積んだ。また同年より1988年にイーゴリ・ブラジュコフが着任するまでウクライナ国立交響楽団の首席指揮者を務め<ref>{{Wayback|date=20220419013519|url=http://nsou.com.ua/history.html}}</ref>、任期中の1982年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国政府から人民芸術家の称号を贈られている。1990年から1991年までトルコのイスタンブール国立歌劇場を指揮し、1991年からはロシア国立交響楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団やモスクワ国立交響楽団などに客演。1993年にはギリシャのアテネでセルゲイ・プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》を指揮し、イギリスのバービカン・センターでイギリス室内管弦楽団を振ってイギリス・デビューを飾った。1996年から2000年までエカテリンブルク・バッハ室内管弦楽団の音楽監督を務める。その後もロシア国内外のオーケストラに客演を重ね、2010年以降は、かつて首席指揮者を務めたウクライナ国立交響楽団に首席客演指揮者として登場した。
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モスクワにて死去。
 
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== 脚注 ==
 
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2022年4月28日 (木) 00:15時点における版

フョードル・イヴァノヴィチ・グルシチェンコロシア語Фёдор Иванович Глущенко;ラテン文字転写例: Fedor Ivanovich Glushchenko, 1944年3月29日 - 2017年10月16日)は、旧ソ連出身の指揮者[1]

ロストフ州ジモヴニキ出身。幼少時からロストフ・ナ・ドヌの児童音楽学校でヴァイオリンを習い始め、6歳の頃には人前で演奏していた[2]。1962年にモスクワ音楽院に入学してセルゲイ・バラサニアンのクラスで作曲を学んだが、2年後にはレニングラード音楽院に移り、イリヤ・ムーシンに指揮法を学んだ。1969年にレニングラード音楽院を卒業後、ヘルベルト・フォン・カラヤンのセミナーに参加し、1971年から1973年までカレリア放送交響楽団で首席指揮者を務めて指揮活動を始めた。1973年からウクライナ国立交響楽団の指揮者陣に加わる[3]。1977年にウィーン音楽院に行き[4]オトマール・スウィトナーとカール・エステルライヒャーの許で研鑽を積んだ。また同年より1988年にイーゴリ・ブラジュコフが着任するまでウクライナ国立交響楽団の首席指揮者を務め[5]、任期中の1982年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国政府から人民芸術家の称号を贈られている。1990年から1991年までトルコのイスタンブール国立歌劇場を指揮し、1991年からはロシア国立交響楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団やモスクワ国立交響楽団などに客演。1993年にはギリシャのアテネでセルゲイ・プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》を指揮し、イギリスのバービカン・センターでイギリス室内管弦楽団を振ってイギリス・デビューを飾った。1996年から2000年までエカテリンブルク・バッハ室内管弦楽団の音楽監督を務める。その後もロシア国内外のオーケストラに客演を重ね、2010年以降は、かつて首席指揮者を務めたウクライナ国立交響楽団に首席客演指揮者として登場した。

モスクワにて死去。

脚注

  1. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  2. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  3. (2004-10-17) Ушел из жизни дирижер Фёдор Глущенко 2004-10-17 arch. 2017-10-29 2017-10-29
  4. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  5. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ