ゲーメスト

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2010年4月28日 (水) 19:54時点における貿易風 (トーク | 投稿記録)による版 (VG2)

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ゲーメスト』 (GAMEST) は、新声社が1986年から1999年まで発行していたアーケードゲーム専門雑誌。通称「メスト」。姉妹誌として、投稿雑誌の『ゲーメストワールド』やコンシューマーゲーム雑誌の『ゲーメストEX』、ゲーム漫画雑誌『コミックゲーメスト』などが存在する。本誌ライターらは自分達が雑誌に載る事に満足して世の偉人になったが如く振舞ったため今日では各地で馬鹿にされている。

概要

1986年4月創刊。

新声社と、当時会員400名を有する大手であったビデオゲームサークルVG2(ベリーグッド・ビデオゲーマーズ)との協力により創刊された。基となったのは「VG3(ベリーグッド・ビデオゲーマーズ・バージョンアップグループ)」という、VG2の会報誌である同人誌。そのため、当初のライターはVG2の幹部メンバーが主になっており、創刊号の読者コーナーには、会員からのハガキが掲載され、本誌が「VG3」の代わりとなる手筈だったがこれはすぐに止めになり、そのまま「VG3」は『ゲーメスト』とは別に、VG2の会報誌として復活している。 この同人誌は内輪性が非常に強い内容で作られていたため読者の多くは内容が掴みにくく、その意味では全く内容がずさんなものになっていた。当時、「ログイン」誌で知られていた事もあって同人誌としてはゲームフリークの方が評判が高かったようである。

1986年に読売新聞がこのVG2を記事に取り上げ、これを当時の新声社が目をつけた事からサークルに声がかけられる事になり、これが創刊のきっかけとなっている。創刊時のスタッフは総本部長の植村番北(後に「伴北」と改名、読売新聞上では本名で表記された)を初めとしたVG2メンバーである。なお、これに前後してVG2メンバーには永久パターンの様々を公開するゲームフリークを批判し、そうしたものは秘匿すべきと主張し、批判さえしていた一時期があった。ゲームフリークは現在大成功を収めているがその意味ではVG2はオオマケである。植村番北のクビは本誌創刊早々編集部内の内乱で飛んでいる。本誌が「VG3」の代わりにならなかった理由もここにあって、その辺の事情は御旅屋あたりに聞けばよろしい。

本誌創刊当初は隔月刊誌でファミコンやパソコンのコーナーなどもあり、第6号より月刊誌、1994年の第116号より月2回発行となった。

VG2

84年結成し、92年頃まで活動。上記では「ベリーグッド・ビデオゲーマーズ」となっているが、早期の会報誌上では「VeryGood VideoGame maniaplayers association」となっており、「V」と「G」が2つネーム中にあるため「VG2」とされたと言うが、ずさんにもネームそのものが度々変えられている節も見られるためネームそのものはあまり当てにはならない。発行された会報誌はサークル名と同じ「VG2」、「テクニカルVG2」等だったが後に区別するため「VG3」にされ、その他に末期には「G-AIM」等の発行もある。他サークルと共同し、「GWB」と言う共同体を作ると共に合併誌の発行がなされた事もあった。共同体は「GoldenGamerBridge」の略称でそう命名されたが、その活動そのものは合併誌の発行一度限りで終わっている。

当初はノートに各地から集めたハイスコアの記録更新情報を書きためて行く事が発端となり、それがやがて20以上ものサークルが手を結ぶ一つの組織、「ゲーム連合」を形成する事に繋がって行き、これを母体として一つのサークルとなった。しかし、これを基に公式に何度も「84年結成」とVG2側は語りながらも末期から言動が変質するようになって行く。

日本最初のゲームサークルは「Tampa」こと高岡アミューズメントマシン同好会(82~84年)であるが、VG2は彼らよりも早くから結成し活動していたものと主張し出すようになり、特にネット普及が進むにつれそれが顕著になって行った。 無論、何度も公式に「84年結成」と会報誌等に発表していた手前認められる発言ではないが、ほぼ解散している筈の現在もこの妙な主張は続けられており、2000年時には「創立20周年」と称して内輪のアメリカ旅行さえしている。実質はハイスコアの記録更新情報を書きためて行くサークル結成以前の動きまで「サークル活動」の年数に計上しているデタラメに過ぎない。

VG2は母体となっていた「ゲーム連合」を形成していた頃不祥事を起こし、組織維持を図るべく改名を図る事により逃げている。しかし、こうした事は表には語れず結果としてこれを「84年結成」と言う事でごまかしているだけなのが真相のようである。尚、前述の「Tampa」については都内の国会図書館において所蔵されている「AMライフ」誌を閲覧すれば大まかな事を知る事が現在でも可能である。この雑誌は新声社でもゲーメスト編集部内で参考用に常備されていた。Tampaのサークル運営をした彼らは高校生の集団であり当時のゲームフリークと親交を持ち、「ビタミンAM」と言う会報誌を10号まで発行しつつ高校卒業と共に解散している。

ゲーメスト上のハイスコア集計

全国のゲームセンターからの申請に基いて、誌上で全国ハイスコア集計が実施されていた(創刊当初は、個人によるハイスコア申請も受付けられていた)。情報環境のない当時としては、『マイコンBASICマガジン』と並んで数少ない全国規模の集計であり、店舗・プレイヤーともに「全一(全国一位)」を懸けての全国的な競争を記事として掲載していた。当初はゲーメスト編集部もこの競争に参加していたが後にこれは禁止され、結果として編集部員はマイコンBASICマガジン側の集計に流れる事になって行った。

ゲーメスト誌上の集計においては虚偽のハイスコア(いわゆる、「ウソスコア」)申請の問題や、アルバイト店員や常連などによるフリープレー問題、星(全一)の継続的獲得を目的としてスコアラーに小幅な更新を要求する行為が横行する問題などが発生した。そのためか、『ゲーメスト』末期には店舗別星数集計は廃止されている。

これらの記事はこうした雑誌だけが行う独特のものだったが実質的には大衆には投稿ページ等の側がなじみやすく、一般には定着しないまま終わっている。そして現在でもハイスコア競争はあまり定着してはいない。

ゲーメスト出典の新語

ビデオゲーム攻略に関する専門用語俗語の内、ゲーメストが発祥とされるものが幾つか存在する。

めくり
対戦型格闘ゲーム用語。相手をぎりぎりで飛び越すようにしながら攻撃することによって、防御操作のレバー入れの方向を迷わせる技術。または、着地後に連続攻撃を入れやすくするため、相手を飛び越すようにしながら背中側に攻撃を当てること。「背中の皮めくり」が語源。
当時は同じ技術に対して「裏まわり」などの別呼称も存在したが、現在も一般的に「めくり」が使われている。
安全地帯
シューティングゲーム等の用語。絶対に敵の攻撃が当たらない場所を指す。略して「安地」。
実際の『ゲーメスト』誌上では更に発展した「玉置」と言う言葉が同義語として使われていた。由来は、当時の安全地帯のヴォーカルだった玉置浩二から。また、敵弾(玉)に対して自機を置ける場所とも掛けている。もともとは「安全地帯」という言葉がメーカーチェックにより不許可となったための言い換え語。
当て身
対戦型格闘ゲーム用語。相手の打撃技を受け止めて反撃する技の総称。
本来、当身といえば格闘技用語で打撃技そのものを意味するが、ゲーメスト誌上において『餓狼伝説』のギース・ハワードの必殺技「当て身投げ」が安易に略されたことから、本来とは違った意味で広まってしまった。
大パンチ、小パンチ(キックなども)
ゲーム内の表記では「強パンチ」、「弱パンチ」だった場合でも、語呂や表記の関係でまとめて「大パンチ」「小パンチ」と表記されるようになり、この呼び方が一般的となった。
脱衣麻雀
それまで「脱がせ麻雀」など呼称は複数あったが、『ゲーメスト』の表記以来「脱衣麻雀」の呼称が一般的になった。
レゲー
「レゲーの魂」コーナーから。元々は「レアゲームの略」とされていたが、近年では「レトロゲームの略」として普及した。

漫画連載

ゲーム雑誌らしく、アーケードゲーム作品と関連した漫画を連載することもあったが、休載・打ち切りが多いことでも有名であった(当初は特に雑誌としての地位も低かったため、作者の都合によって原稿を落とされ、そのまま打ち切りとなるケースが多発した)。完結作品の代表的なものとして、中平正彦の『ストリートファイターZERO』などがある。『ストリートファイターIII』に登場するリュウの必殺技「真・昇龍拳」が生まれたのもこの作品からとされる。この他にも、連載していた『さくらがんばる!』内で中平が登場させたオリジナルキャラ「神月かりん」がゲーム作品に逆輸入されるなど、ゲーム本編にまで多くの影響を与えている。

ほか、広告として連載されていたものが人気を博していたこともある。代表的なものとして、東陽片岡の『てくなーとマンガ』や、小林真文の『そんなんARIKA』など。『そんなんARIKA』は後継誌にあたる『月刊アルカディア』にも掲載されていた。

読者投稿

「アイランド」という読者投稿コーナーが存在し、当時のアーケードゲームに関連した文章・イラスト・マンガが投稿されていた。当時、同種の雑誌が他にほとんどなかったという環境も手伝って、レベルや人気も高く、これを纏めた「ゲーメストアイランド血風録」などとして単行本化もされている。

ここでの投稿作家から、イラストレーター・漫画家に転身したものも多く、プロへの登竜門としても機能していた(例としては雑君保プ吉崎観音古葉美一荒川弘など。余談だが、雑君保プ風見螢の中学、高校の後輩である)。

アーケードゲームをネタにした、読者からの4コママンガ投稿ページである「ゲーパロ4コマグランプリ」は特に人気が高く、単行本の売上は本誌やコミック以上であったとも言われ、今でも語りぐさとなっている。

廃刊とその後

新声社の倒産により、1999年8月30日発売の第274号(9月30日号)をもって廃刊となった。その号に廃刊・休刊などの報はない。会社の都合で廃刊になってしまったが、『ゲーメスト』自体はしっかりと利益を確保できていた状態であった。尚、当時の社長は倒産後まもなく自殺している。

廃刊時のスタッフの多くがアスキー(現在のエンターブレイン)へ移り、アーケードゲーム専門雑誌『月刊アルカディア』を創刊した。

幻の誌名

この雑誌の誌名は、創刊スタッフのVG2メンバーがいくつかの案を持ち寄り、その中から新声社の編集者が「ゲーメスト」に決定した。そのため、他にも多数の誌名候補があった。以下はその内のいくつかである。

  • 「フィフスジェネレーション」(JOE長崎提案)
  • 「アーティスティックゲーマーズ」(風見螢提案)

こぼれ話

  • 創刊号と第2号だけは版形がA4版だったが、第3号以降はAB版に変更されている。これは、中綴じという本の性質上、本屋での販売時点で縦置きされると自重でお辞儀をしてしまう(上部が折れて、垂れてきてしまう)というA4版の欠点を解消するためだった。
  • 創刊号と第2号は表紙がイラストだが、以降は写真が主体となっている。これは、第3号の編集時点で担当イラストレーターの身内に不幸が起きて原稿が間に合わず、急遽写真が使われる事になり、以後、そのままとなったため。
  • 上記にあるように事前に廃刊の報は無かったが、廃刊となる年の、しかも新年の本誌1号目となる第252号(1月30日号)掲載の「マルゲ屋瓦版」内にある4コマ「超世紀末ゲーム伝説 ハルマゲメルティ」には「今年の夏くらいまでのこと(付き合い)だし!」と、近い将来を占うような台詞が出ている(実際は1999年の恐怖の大王に関してのネタだが)。


関連ページ

外部リンク

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