カズオ・イシグロ

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カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro,石黒 一雄1954年11月8日 - )は、英国の小説家、戯曲作家である。 2017年、ノーベル文学賞受賞。

経歴[編集]

1954年11月8日、長崎で石黒鎮雄とその妻のしずこの間に生まれる[1]。 1960年、海洋物理学者の父が英国国立海洋研究所の主任研究員になったため、両親・2人の妹と共にイギリスに渡り、一家でサリー州・ギルドフォードに住む。 スタウトン小学校(Stoughton Primary School)に入学し、次にワーキング郡中学校に入学する。卒業後はギャップ・イヤーとして、アメリカ、カナダを旅行し、レコード会社にデモテープを送った。 1974年にケント大学に入学し、1978年に英語と哲学の文学士を得た。その後、創作活動をしながらイースト・アングリア大学創作学科で1980年に修士号を得る。在学中に書いた短編小説3編がフェイバー・アンド・フェイバー社のアンソロジー『Introductions 7: Stories by New Writers』に収録される。 1982年にイギリス国籍を取得する。 1982年(27歳) 長編小説の第1作『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)を出版して作家としてデビューした。文壇に注目され王立文学協会賞を受賞し、9カ国語に翻訳される。 1986年(31歳) 長編小説の第2作『浮世の画家』(An Artist of the Floating World)を出版し、ウィットブレッド賞を受賞する。 1986年(31歳) 、イギリス人ソーシャルワーカーのローナ・マクドゥーガル(Lorna MacDougall)と結婚する。娘ナオミ(Naomi)が生まれる。 1989年(35歳) 長編小説の第3作『日の名残り』(The Remains of the Day)を出版する。イギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した。 1995年(40歳) 長編小説の4四作『充たされざる者』(The Unconsoled)を出版し、シェルテンハム賞を受賞する。 2000年(45歳)4月 妻と娘ナオミに捧げた長編小説の第五作『わたしたちが孤児だったころ』(When We Were Orphans)を出版する。 2008年、英タイム誌が1945年以降の偉大な英国作家50人の一人に、カズオ・イシグロを選出する。 2009年(54歳) 短編集『夜想曲―音楽と日暮れの五つの物語』(Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall)を出版する。 2015年(60歳) 長編小説の第七作『忘れられた巨人』(The Buried Giant)を出版する。 2017年(62歳) ノーベル文学賞を受賞する[2]

石黒鎮雄[編集]

父親の石黒鎮雄(1920-2007)は、九州工業大学で電気工学を学んだあと、企業の研究所等で気象の研究をしていた。1954年頃は長崎海洋気象台に勤務していた。東京大学から「エレクトロニクスによる海の波の記録ならびに解析方法」により理学博士を1958年8月29日に取得した。北海に関するイギリス政府のプロジェクトに参加するために渡英した[3]。カズオ・イシグロは父親について、伝統的な日本の父親像と異なり、気難しいところがあり、社会に何かしたいという思いが強かったと語る。2007年8月13日、87歳で逝去する。

長編小説[編集]

  • A Pale View of Hills (1982) 『遠い山なみの光』
  • An Artist of the Floating World (1986) 『浮世の画家』
  • The Remains of the Day (1989) 『日の名残り』
  • The Unconsoled (1995) 『充たされざる者』
  • When We Were Orphans (2000) 『わたしたちが孤児だったころ』
  • Never Let Me Go (2005) 『わたしを離さないで』
  • The Buried Giant (2015) 『忘れられた巨人』

参考文献[編集]

  1. Barry Lewis (2000). Kazuo Ishiguro. Manchester University Press.
  2. カズオ・イシグロ氏にノーベル文学賞=日系英国人「日の名残り」時事ドットコムニュース,2017-10-05
  3. 荘中孝之『カズオ・イシグロ: “日本”と“イギリス”の間から』春風社,2011年