飯田勝美
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飯田 勝美(いいだ かつみ/かつよし、1817年 - 没年不詳)は、江戸時代末期の幕臣[1]。淘宮術の創始者・横山丸三の直弟子、免許皆伝を受けた6人のうちの1人[2]。諱は勝美、字は士矢、通称は庄蔵[3]。
経歴
文化14年(1817)1月5日、赤坂大沢町に生まれる[3]。
幕府の書院番・講武所砲術教授方出役・歩兵頭並を務めた[4]。
天保11年(1840)、24歳のとき、天源淘宮学を称していた横山に入門[3]。
弘化4年(1847)に皆伝を許されたが、道号は用いず、別号を不方菴(ないし不労庵[1])といった[3]。また一日菴星泉とも号した[3]。
駿河で、元姫路藩主・老中の酒井忠惇に淘宮術の皆伝を授けた[1]。
その後、門跡は絶えた[5]。
付録
脚注
参考文献
- 大井 (1868) 大井正元三始氏「淘宮元祖先聖伝記并略年譜」天源淘宮術研究会『天源淘宮術秘訣』松成堂、1909・明42(原著:慶応4・1868)、pp.4-44、NDLJP 2209062/10
- 西川 (1914) 西川光次郎『神道教祖伝 - 霊験奇瑞』永楽堂、1914・大正3、NDLJP 908681
- 藤田 (2019) 藤田英昭「幕末維新期の大奥と『淘宮術』」『論集大奥人物研究』東京堂出版、pp.345-371、ISBN 978-4490210200