追儺

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追儺ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている払いの儀式。追儺とはもとは中国の行事であり、この行事が日本に輸入され、ついに宮廷の年中行事となった。

現在の節分の豆蒔きの元となった行事である。

儀式の概要

方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人(おおとねり))と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人(特に役職は決まっていない)が二十人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。

方相氏は(ほう)を着、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公卿清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対してをひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふってを払った。

追儺召の除目

追儺の儀式の時に行われる除目で、春の県召(あがためし)の除目や、秋の司召(つかさめし)の除目の際にもれた人を任官した。追儺の除目ともいう。


節分と追儺

追儺を行なう神社

関連項目

外部リンク

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