貞数親王

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

貞数親王(さだかずしんのう、貞観17年(875年)‐延喜16年5月19日(916年))は、平安時代前期の皇族清和天皇の第8皇子で、母は更衣在原文子(中納言在原行平女)。陽成天皇の異母弟で、同母姉妹に包子内親王がいる。子に源為善(従四位下・大舎人頭)がいる。

貞観18年(876年)3月、2歳にして親王宣下を受ける。元慶6年(882年)3月、陽成天皇が皇太后(藤原高子)四十歳を慶賀する宴を清涼殿で開いたとき、8歳にして蘭陵王を舞い、満場涙を流して感嘆したという。仁和2年(886年)1月に光孝天皇より帯剣を許され、散手(舞うときに刀剣を用いる)を舞ってその剣を賜った。仁和4年(888年)10月、元服して四品に叙される。その後、常陸太守・式部卿などを歴任し、二品まで昇進した。延喜16年(916年)5月19日、42歳で薨去。

舞の名手として知られ、『後撰和歌集』『新拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に入集するほどの歌人でもあった。

『伊勢物語』79段に貞数親王に関する記述があり、母方の一族である在原氏と深い関係にあることが推察される。

  • 君がため波の玉しくみつの浜ゆき過ぎがたしおりてひろはん(『新拾遺和歌集』)

参考文献

  • 角田文衞監修『平安時代史事典』角川書店、1994年
  • 平野邦雄・坂本太郎監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。