藤野先生 (魯迅)
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藤野先生(日本語読み:ふじの せんせい)は大清帝国から中華民国建国期に活動した中国近代文学の大家魯迅(本名:周樹人)が1926年に発表した短編。
あらすじ
日清戦争(甲午戦争)は大日本帝国の勝利に終わり、下関条約で台湾の放棄を迎えた清は教育改革や洋務運動に力をいれ、魯迅ら知識人の子弟を戦勝国に留学させる。
留学生の受け入れを担った仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)で魯迅は当時輸入された近代西洋医学を学ぶ。
解剖学の教授藤野厳九郎(読み:ふじの げんくろう)は留学生に愛情と関心を寄せ、講義録の添削や故国旧来の風習纏足について尋ねるなど深い師弟愛を施す。
しかし魯迅の意図は近代医学よりも文学による改革に変貌し、仙台医専や藤野との別れが来る。
後年藤野の肖像写真と餞別が残っていたことから作者が教育者としての真剣な藤野を回想し、国を越えた人間性を絶賛する。
評価
魯迅作品には、鈍感な大衆を皮肉を交えて描写した阿Q正伝や親孝行を貫き通すあまり自らの子女を殺そうとする二十四孝図など熱情的な記述が多いが、本編では短編の中に穏やかな語り口で回想する中理想を述べており、戦後日本や当の中国で年少者向け教材に登場するなど支持が高い。
また東北大学は戦前から学生の修学に寛容であり、女子学生や留学生にも実績を早くから残している。現在では藤野の名を冠した留学生表彰を設けており、藤野の名が友好の象徴となっている。