職業野球東西対抗戦
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職業野球東西対抗戦(しょくぎょうやきゅうとうざいたいこうせん)とは1937年から1949年にかけて日本野球連盟が主催したオールスターゲームの前身となる対抗試合である。
第1回大会は1937年に阪神甲子園球場を会場に3試合行われた。大阪朝日新聞(朝日新聞大阪本社)の田村恭一が音楽や舞台と同じようにオールスターキャストによる野球の試合を開催したら面白いのではないかという発想から誕生した。当初3年間は朝日新聞主催で開催されたが1940年以後は日本野球連盟の主催となる。1942年(この時はシーズン途中の8月から9月開催)と1944年(6月開催)を除けば、原則として11月から12月にかけて開催された。1945年までは監督推薦のみだったが、1946年以後はファン投票が行われている。
試合結果
回 | 開催日 | 勝利チーム | スコア | 敗戦チーム | 開催球場 | 最高殊勲選手 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1937年11月21日 11月22日 11月23日 |
阪神甲子園球場 | 水原茂 | |||
2 | 1938年11月21日 11月22日 11月23日 |
西宮球場 | 菊矢吉男 | |||
3 | 1939年11月23日 11月24日 11月25日 11月26日 11月27日 |
阪神甲子園球場 | 水原茂 | |||
4 | 1940年11月23日 11月24日 11月25日 |
西宮球場 | 若林忠志 | |||
5 | 1941年11月29日 11月30日 12月1日 |
後楽園球場 | 吉原正喜 | |||
12月6日 12月7日 12月8日 |
阪神甲子園球場 | 野口二郎 | ||||
6 | 1942年8月29日 8月30日 8月31日 |
後楽園球場 | 水原茂 | |||
9月5日 9月6日 9月7日 |
西宮球場 | 北原昇 | ||||
7 | 1943年11月13日 11月14日 11月15日 |
後楽園球場 | 野口明 | |||
11月21日 11月22日 11月23日 |
阪神甲子園球場 | 小鶴誠 | ||||
8 | 1944年6月24日 6月25日 6月26日 |
西宮球場 | 藤村富美男 | |||
9 | 1945年11月23日 11月24日 |
明治神宮野球場 桐生球場 |
大下弘 | |||
12月1日 12月2日 |
西宮球場 | |||||
10 | 1946年月日 | |||||
月日 | ||||||
11 | 1947年月日 | |||||
月日 | ||||||
12 | 1948年月日 | |||||
月日 | ||||||
13 | 1949年月日 | |||||
月日 |
エピソード
太平洋戦争の戦局悪化からペナントレースが行われなかった終戦後の1945年、最初に行われた試合が11月のこの東西対抗戦であった。西宮球場に保管されていたボールなどを使用して開催された。このとき、新加盟のセネタース球団に入団した大下弘選手の活躍が戦後のプロ野球の再開を決定づけた。
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