河南省商丘市柘城県老王集郷趙楼村殺人事件
河南省商丘市柘城県老王集郷趙楼村殺人事件(かなんしょうしょうきゅうしたくじょうけんさつじんじけん)とは、1999年に起きたとされた殺人事件で捕まった被告に執行猶予付の死刑判決が言い渡された事件。後に、殺されたとされた被害者が生きていたことが発覚。冤罪事件に発展した。
概要
1999年5月8日、河南省商丘市柘城県老王集郷趙楼村で井戸を掘っていたところ、腐敗して頭部と膝から下の部分がない男性の死体が発見された。趙振シャンの遺体だと断定した警察は、趙作海を逮捕した。逮捕理由は、趙振シャンが行方不明となった日に趙作海が負傷して帰宅したことと負傷について趙作海が「隣の家を建てるのを手伝って負傷した」と事実と異なる証言をしたというものだった。趙振シャンの母親の墓から遺骨を取り出してDNA鑑定を実施して判定不能となっているものの、警察は趙振シャンの遺体という主張を変えなかった。
検察は趙作海を起訴することは躊躇して、3回にわたって警察に差し戻している。しかし、治法律委員会の委員が会議で起訴できると発言したり、趙作海が容疑について何も語ら無くなったことから起訴した。
1997年10月30日に、趙作海と趙振シャンが口喧嘩をして殴りあいをした後に趙振シャンの行方が分からなくなって、家族が警察に捜索を依頼。このときも警察は趙作海を容疑者として逮捕しているが、20日の拘束後に証拠不十分で釈放している。
2002年11月11日、殺人罪で裁判が開かれた。2002年12月5日、商丘人民法院は故意殺人罪で執行猶予2年付きの死刑判決を言い渡した。趙作海は上訴せず、判決が確定した。
冤罪の発覚
逮捕から11年後の2010年4月30日、殺されたはずの趙振シャンが出稼ぎから村に戻ってきた。趙振シャンの話では、確かに喧嘩はしていたが、喧嘩で趙振シャンが怪我を負わせたため、報復を恐れて翌日に村を抜け出していたという。「殺してしまったのではないか」という恐れもあって村を出たままで、趙作海が殺人罪で雄二判決を言い渡されたことを知らなかったという。
2010年5月9日、河南省高院で再審が開かれる。誤審だったとして、無罪を言い渡されて釈放されることとなった。釈放後の趙の証言によると、取り調べの拷問によって虚偽の自白をしてしまったという。逮捕後、派出所に2日間、公安局に1ヶ月拘留。拳銃や麺棒で頭を殴る、蹴る、頭上で爆竹を爆発させるといった拷問を受けた。さらに、意識が薄くなる薬も飲ますこともしたという。拷問は30日間にも及び、殺人を認めないと車に乗せた後に降ろすことで逃走罪で銃殺すると脅されたとも証言した。元妻や、警察側の「証人」の女性も、ベルトで鞭打ちされるなど虚偽の証言を強要されたという。趙作海は、9回にわたって殺人を認める供述と否認を繰り返していた。
取調べを行った警官2人は自白強要で身柄拘束、1人は逃亡している。
2010年5月13日、河南省高級人民法院と同省商丘人民法院は、国家賠償と生活補助金として65万元が支払われたことを発表した[1]。
脚注
参考文献
- 月刊中国NEWS vol.7(2013年7月10日発売)