森安九段刺殺事件
森安九段刺殺事件(もりやすくだんしさつじけん)とは1993年(平成5年)11月に将棋棋士の森安秀光九段(当時44歳)が殺害された事件。
概要
1993年11月23日午前8時50分頃、神戸市の森安の自宅の書斎で森安の刺殺体が妻(当時40歳)によって発見された。
妻が警察に電話しようとすると、包丁を持った中学1年生の長男(当時12歳)に襲われ、首に全治2週間の怪我を負ったものの、長男から包丁を奪った。その後、長男は家から逃走した。
解剖の結果、森安は死体発見の前日の11月22日午後5時から6時頃に殺害されていたことが判明。
翌日11月24日午後2時半過ぎ、森安の自宅から7km離れた行きつけのゲームソフト店で逃走していた長男が発見されて保護された。
警察に保護された長男は受験勉強を課していた父を批判する言葉を出していた。
長男の背景
当時の森安一家は秀光(44)、妻(40)、私立女子中学3年の長女(15)、有名国立中学1年の長男(12)の4人家族であった。
事件発覚の前日、妻がパート先から自宅へ電話を入れると森安本人が出た。これから帰宅する旨を伝え、約1時間後に帰宅。その時夫の姿はなかった。1人でいた少年に夫の居所を尋ねると「僕が家に帰った時はポストに鍵が入っていた。どこか行ったんと違うかな」と答えた。2階の8畳ほどの書斎兼寝室を覗くと真っ暗だったので不在と思い、下に降りた。森安は酒を飲んで深夜帰宅することが多かった。その夜長女と3人で夕食をとった。
翌23日は勤労感謝の日で休日であった。長女は午前8時頃外出した。午前8時50分頃、妻が2階の書斎兼寝室に入ると畳に血が落ちているのに気付いた。布団をめくると、そこにはうつ伏せになり絶命した森安の姿があった。
「お父さんが死んでいる!」1階から付いてきた少年に言い、警察に電話しようとしたその時、少年はいきなり刺身包丁で切りつけてきた。咄嗟に顔をひねると、切られた髪の毛が束になって床に落ち、妻は首に2週間の怪我を負った。激しく揉み合って包丁を取り上げた妻に、少年はこう叫んだ。「パパが死んだのは僕のせいやない。学校を休んだことでガチャガチャ言うからこうなったんや。あんなに叱られては僕の立場がない。逃げ場がないんや!」
外へ逃げ出した少年は、そのまま自宅に戻ることはなかった。解剖の結果、森安が殺されたのは前日午後5時から6時の間と推定、左胸を刃物で一突きにされての失血死であった。少年は小学3年から塾通いを始め、6年になると受験のため3年間所属したカブスカウトも退団。帰宅は毎晩11時ごろという努力の結果、見事名門中学に合格。少年の小学校からの進学は1人だけという、難関校であった。しかしその後少年は学校を休みがちになった。
事件発覚から30時間後の11月24日午後2時半過ぎ、少年の自宅から約7キロ離れた阪神電鉄線鳴尾駅前のゲームソフト店に少年は現われた。50歳の店長は事件を知った後「きっとここに来る。あの子から電話があっても警察に連絡せず、店に来るように言って欲しい」と店員に伝えた。少年は1年ほど前から頻繁に店に来るようになり、親しい店員に「どこ行っても勉強勉強と言われて、もううんざりや。家に帰りとうない」と訴え、午後8時の閉店時間を過ぎても帰らないことがあった。学校を欠席し両親が捜し回っていた22日の午後も店を訪れ「今日学校休んでもうた。帰ったら怒られるやろうな」と力なく呟いている。
午後3時、店からの連絡で警察が到着。保護された少年はホッとした表情で出て行った。「またおいでや」店長が声をかけると、少年は弾かれたように振り返ったという。事件前は、夜、兄のように慕っていた23歳の店員が自転車で帰ろうとすると、少年は走ってどこまでも追いかけてきたという。「今思うと自分の居場所を探してあがいているようやった」元店員の1人はポツリと語った。少年の唯一の拠り所だったゲームソフト店も今はなく、代わって携帯電話販売店となっている。