書家
書家(しょか)は、書の専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、書道家ともいうようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。
書家の異称
- 能書・能筆
一般的には、字を書くことが上手なこと、また、その人のことをいう。優れた書作品の意として使われることもある。日本で書法の教授を職業とする「書家」が現われたのは江戸時代中期以降とされているが、それまでの書家が存在しない時代、書の上手な人を手師・能書・手書きと称した[1]。『万葉集』の中で「羲之」や「大王」を「テシ」(手師)と読ませ、王羲之を能書の代名詞としていた。今でも歴史上の書人を能書・能筆と称している。
- 能書家・能筆家
能書・能筆と同様に使われるが、近現代の書家に対しても、多くの書家からその能書たることを認められている場合に使われる。いわゆる書の名人、書道界の大御所である。中国語では書法大師・書法大家という。
- 文人書家
篆刻家を兼ねる書家は日本でも中国でも古今に例が多いが、中国では多芸を重んじる傾向が強く、特に、書・篆刻・画・詩を能くして四絶と称賛され、文人書家とも称される。中国の呉昌碩がその代表であり、最後の文人である。
日本の書家
- 日本を代表する書家
平安時代、空海・橘逸勢・嵯峨天皇の三筆をはじめ、名家が輩出し、名筆が遺存した。また、かなが出現し、かなと漢字との調和が日本書道の大きな課題として提示され、これに応じて和様書道が完成された。その完成者は、小野道風である。道風の後、藤原佐理・藤原行成と、いわゆる三跡が相継ぎ、黄金時代を現出した。
- 書家一覧
- 飛鳥時代から江戸時代
- 明治時代から現代
中国の書家
- 中国を代表する書家
書の名家は、後漢の張芝、魏の鍾繇、東晋の王羲之・王献之である。王羲之は、「多くの名書の中で、鍾繇と張芝は群を抜いてよい。その他は観るに足りない。」という。そして、鍾繇と張芝が歿して、羲之と献之がこれを継ぐことになる。羲之はまた、「わが書を鍾繇と張芝に比べると、鍾繇には拮抗する。しかし、張芝の草書は、いまなお雁行[2]する。」といっている。鍾繇の楷書、張芝の草書を王羲之のそれと比較した場合、羲之の各々の書体は鍾繇・張芝に勝っていないが、羲之は各書体に通じているという点で卓越している。王献之の筆跡は、羲之の書法をほぼ伝承していると思われるが、そうでない面も色々な逸話が物語っており、献之が羲之に及ばないのは疑いない。[3]
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脚注
参考文献
- 木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
- 鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月)ISBN 978-4-8195-0145-3
- 「図説日本書道史」(『墨スペシャル』第12号 芸術新聞社、1992年7月)