平山省斎
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平山 省斎(ひらやま しょうさい)は、神道大成教の創始者[1]。
もと幕臣だったが、明治維新政府には出仕せず、神道界に入って教導職となった[1]。
陶宮術の指導者・佐野量丸の門人となっていたことがあった[2]。
明治6年(1873)以降、氷川神社の宮司や日枝神社の祠官を務めた[1]。
同年9月、惟神(かんながら)の道を根本としながら、御嶽教、禊教、儒教、仏教、淘宮術などの教義を集大成することに意議がある、として、本教大成教会の設立許可を受け、その教長となった[1]。
明治15年(1882)1月、神官教導職が廃止されると、神職を辞退して布教に専念[1]。
同年5月、大成教の独立許可を受け、その管長となった[1]。
付録
脚注
参考文献
- 西川 (1914) 西川光次郎『神道教祖伝 - 霊験奇瑞』永楽堂、1914・大正3、NDLJP 908681
- 埼玉県史 (1988) 「三 新興宗教・キリスト教の伸長(一)教会所・説教所の簇生」『新編埼玉県史 通史編5 近代1』埼玉県、680-685頁、NDLJP 9644254/371