平将為

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平 将為(たいら の まさため 平 將為、生年不詳 - 天慶3年(940年))は、平安時代中期の武将平良将の子で平将門の弟。「相馬五郎」と称す。『尊卑分脈』では末弟で将武の弟であるが、『常陸大掾譜』では将武の兄としている。将門私授下総守。

概説

将門が「新皇」を僭称すると下総守に任ぜられるが、天慶3年(940年)2月14日、将門が平貞盛藤原秀郷らとの戦いによって敗死すると勢力は一気に瓦解し、次々と一族郎党は討たれた。

師守記』に天慶3年4月12日将門の弟の「将種」なる者が舅の陸奥権介伴有梁と共に謀反を企てたとあり[1]、この「将種」は諸系図を見てもその名は無く、ゆえに「将種」は「将為」であるともいわれる[2]

脚注

  1. 「今日常陸国飛駅参上云。賊首故平将門弟為陸奥権介伴有梁聟居住彼国。仍将種与有梁共成謀反云々」とある。
  2. 将門記』に将門には7~8人の弟がいるとあり、『師守記』に出る「将種」『筥根山縁起』には「将広」と諸系図にある人物以外にもいたともいわれる。

関連項目