尼崎児童虐待死事件

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尼崎児童虐待死事件(あまがさきじどうぎゃくたいしじけん)とは、2001年8月に兵庫県尼崎市で起こった事件。

概要

事件発覚

2001年8月13日午後3時20分頃、兵庫県尼崎市大浜町の北堀運河で、水面に浮かんでいた黒色のゴミ袋から人間の手が出ているのを発見。引き上げると、袋には全裸の男児の遺体が入っており、尼崎市立花町の神戸市立道場小の1年生(当時6歳)と判明。警察は遺体に無数の虐待の痕があったことから、行方をくらましていた男児の無職の母親・勢田知子(当時24歳)と無職の養父・勢田剛士(当時24歳)を8月14日に逮捕した。

事件まで

知子も幼少時から虐待を受けており、そのせいか学生時代は不良で手がつけられないほどだった。すぐ怒りだす性格だったといわれ、近隣住民とのトラブルも多かった。被害者の男児児童は1994年9月に最初の夫との間に生まれた。その後2度の離婚を繰り返して本事件での剛士と結婚。この間に次男(当時2歳)がいたが、この次男にも虐待していたことが明らかになっている。尼崎市でも11回にも及ぶ転居を繰り返しているが、行く先で大家との家賃滞納問題や住民との駐車場トラブルなどが原因である。

ろくに定職も就かなかった知子は、親族の家を転々としたが、長男は生まれてすぐに母親に預けていた。長男が小学生になると同時に同居したが、一説には月5000円の児童手当が目的だったとされる。長男への虐待は同居し始めてからわずか1ヵ月後に発覚した。「しつけで悩み、言うことを聞かない」として知子が児童相談所に訪れたのが原因で、長男は全身打撲、両鎖骨骨折の重傷だったという。このため相談所は虐待と判断し、施設に保護した。このときの男児の証言では、「お父さんに頭をたたかれ、お母さんにはゴルフクラブで殴られた」だったという。

事件直前、施設は長男を知子の家に一時帰宅することを認めた。両親は当時定職に就いておらず、家賃や電話料金を滞納し、食費もままならないという極貧生活だったが、これに当たり散らすように長男への虐待を開始。8月6日の深夜からしつけと称してトイレの前に正座させ、食事はろくに与えず、空腹のあまりに長男が施設からもって帰った素麺を食べたいと述べると、知子は生の素麺を長男の口に押し込み、布団たたきで殴りつけたという。さらに両親は外出の際、虐待の発覚を恐れて長男の口に粘着テープを貼り、紐で身体を縛って動けなくした。こうした暴行の末、8月7日には長男が逃げ出そうとすると、剛士が長男の頭に回し蹴りをして止めをさし、長男は「うう」といううめき声を上げて倒れた。しかし両親は大げさな演技だと相手にせず、さらに医師に見せることで虐待が発覚することを恐れて放置。同日午後1時頃、長男は脳内出血で死亡。両親は遺体をゴミ袋に入れて運河に投げ捨て、逃走したが逮捕された。

裁判

知子は虐待の動機について、「私はたたかれて育った。これはしつけや」「息子(長男)がなつかなかったから」などと述べている。

両親は傷害致死罪、死体遺棄罪などで起訴され、2003年2月26日、両親に懲役8年の実刑判決が出て確定した。

参考文献

  • 「実録戦後タブー犯罪史」