学連事件
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学連事件(がくれんじけん)は、1926年1月に、学生連合会の第2回大会の秘密会合に出席した38人の学生活動家が検挙された事件[1]。新人会では是枝恭二、後藤寿夫、村尾薩男、松本篤一が検挙された[2]。
石堂 (1986 61)によると、このとき新人会にいた石堂清倫は、西田信春とともに中央公論社の嶋中雄作、東大法学部教授の美濃部達吉、同文学部の春山作樹らのところへ検挙反対の陳情に行き、嶋中は検挙反対のために行動することを約束してくれたが、美濃部は後藤が憲法の答案用紙に「ブルジョア憲法何するものぞ」と書いたことを非難して、真面目に勉強しないものを学内に留める理由がない、といったことを述べ、石堂らはそれは私情で当局の弾圧を合理化する理由にならないと抗議したが聞き入れられず、また春山とは話にならなかったという。
付録
脚注
参考文献
- 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749