奥野南卜
提供: Yourpedia
奥野 南卜(おくの なんぼく、生年不明 - 1827年)、奥野南北、奥野 清次郎、源亀斎丸通(げんきさい まるみち)は、江戸時代後期の幕臣、宗教活動家。天源術に通じ、観相を得意としたとされる。淘宮術を創始した横山丸三の師。[1]
経歴
文化の頃(1804年 - 1818年)、京都で医業と兼業で天源術を伝え、観相(人相占い)で有名だった葛城昇斎の門下だったという[2]。
文政4年(1821)の春頃、奥野の同僚だった横山三之助の長女が横山の家で病臥していたとき、横山の顔を見て、家に病人が居ることを言い当て、病が治らないと予言した。3月某日に長女は死去したが、そのとき奥野は葬送が済まないうちに弔喪の書を送って来た。横山はこれに驚いて、天源術を学ぼうと考え、同年、奥野の門下に入った、という。[3][4]
その3年後ないし文政6年(1823、2年後)に病にかかり、文政10年(1827)に死去した[5]。
付録
脚注
参考文献
- 大井 (1868) 大井正元三始氏「淘宮元祖先聖伝記并略年譜」天源淘宮術研究会『天源淘宮術秘訣』松成堂、1909・明治42(原著:慶応4・1868)、pp.4-44、NDLJP 2209062/10
- 井上 (1896) 井上円了(講述)『妖怪学講義 合本第3冊 増補再版』哲学館、明治29、pp.225-236、NDLJP 1080793/118