堀鉞之丞
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堀 鉞之丞(ほり えつのじょう、生没年不明)は、明治期日本の理学者、技師。愛知英語学校から東京大学理学部へ進学。英国留学を経て、1891年に衛生試験所技師、1897年に第一高等学校教授となった。『有機化学教科書』などの著書がある。1908年から尾張徳川家の御相談人、1914年から同家の家令をつとめ、1917年に明倫中学校と附属博物館を愛知県に譲渡するなど、徳川義親の意を受けて名古屋の同家所有地の整理・処分を進めた。
経歴
1884年頃、徳川義礼、野呂景義、吉田知行らと英国・ロンドンへ留学[2]。
1885年(明治18年)7月に東京大学理学部純正化学科を卒業(理学士)[3]。
1885年-1886年、1888年-1889年にかけて、ユニバーシティ・カレッジ に在学[4]。
1908年10月30日から1914年4月30日まで尾張徳川家の御相談人、1914年9月から同家の家令を務め、1917年に明倫中学校と附属博物館を愛知県に譲渡し、名古屋の同家所有地の整理・処分を進めるなど、家政改革を推し進めた[7]。
尾張徳川家の家政改革
1914(大正3)年5月に尾張徳川家の家令となると、前年に東京麻布区富士見町に新居を構えていた同家第19代当主・徳川義親の意を受けて、名古屋市大曽根から東京への拠点移転に向けて、家政改革を進めた[1]。
- 1917(大正6)年には、同家の御相談人会で、東京における徳川生物学研究所の設立に伴い、1900年に大曽根に開設していた明倫中学校と同校附属博物館を愛知県へ移管することが決議され、同年11月に愛知県との交渉が妥結[8]。
- 1917年以降、名古屋の所有地の整理を大々的に行なった[7]。
- 所有地整理の結果、名古屋では大曽根邸に尾張徳川家の最低限の拠点が集約されることになった[11]。
- 1919年12月には同家の御相談人会で「美術館の建設資金と維持費を得るため、什器の一部を売却すること」が決議され[12]、これを受けて1920年1月に義親が大曽根邸内に私立博物館を建設する計画を発表[13]。堀は高橋箒庵に売り立ての世話を依頼して、重複品や不要品を中心に什器売却の準備を進め、1921年11月に東京美術倶楽部・名古屋美術倶楽部で入札を実施[14]。売上金57万2千円は「美術館設立準備金」として運用され、のちに徳川美術館の設立・運営に充てられることとなった[15]。
著書
- 堀 岩崎 (1910) 堀鉞之丞 岩崎寿次郎 [ 有機化学教科書 ] 六盟館 1910 前編:NDLJP 830960 後編:NDLJP 830961
- 堀 菅沼 (1905) 堀鉞之丞 菅沼市蔵 [ 化学実験教科書 ] 六盟館 1905 NDLJP 830577
付録
関連文献
- 「雑録 - 堀鉞之丞君の叙任」『愛知学芸雑誌』no.66、1897年(明治30年)10月、NDLJP 1557077 に叙任の記事[16]
- 井上 (2006) 井上琢智『黎明期日本の経済思想 - イギリス留学生・お雇い外国人・経済学の制度化』〈関西学院大学経済学部研究叢書 第32編〉日本評論社、2006年、ISBN 978-4535555082
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 香山 2015 27
- ↑ 長沼 2015 84-85
- ↑ 長沼 2015 84 - (東京)帝国大学(編)『(東京)帝国大学一覧』(東京)帝国大学、1887年(明治20年)、233頁、NDLJP 813164/119による。
- ↑ 長沼 2015 87 - 井上 (2006 46-47)による。
- ↑ 官報 (1891-10-26) 官報 [ 叙任及辞令 ] 官報 2498 内閣官報局 1891-10-26 265 NDLJP 2945760/1
- ↑ 官報 (1897-10-04) 官報 [ 叙任及辞令 ] 官報 4278 大蔵省印刷局 1897-10-04 35 NDLJP 2947565/2
- ↑ 7.0 7.1 香山 2015 27-28
- ↑ 香山 (2015 27-28)。明倫中学校の移管は1919年4月に実施された(香山 2015 30-31)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 香山 2015 31
- ↑ 尾張徳川初代・徳川義直を祀る源敬公廟の建設を目的として設立された財団法人(香山 2015 39)
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 香山 2015 32
- ↑ 香山 2015 33
- ↑ 香山 2015 32-33
- ↑ 香山 2015 34-36
- ↑ 香山 2015 35
- ↑ 長沼 2015 84
参考文献
- 香山 (2015) 香山里絵「明倫博物館から徳川美術館へ‐美術館設立発表と設立準備」徳川美術館『金鯱叢書』v.42、2015年3月、pp.27-41
- 長沼 (2015) 長沼秀明「徳川義礼の英国留学 - ユニテリアン告白の意味」徳川黎明会『金鯱叢書』第42輯、2015年、pp.83-93