国家社会主義自動車軍団
国家社会主義自動車軍団(独:Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps、略称NSKK)は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党機関のひとつ。
概要
1930年に突撃隊(SA)内部に結成された「Nationalsozialistisches Automobilkorps、略称NSAK」が1931年に「Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps、略称NSKK」に発展改組されて誕生した。ドイツ語の「Kraft」も「Automobil」も日本語では「自動車」と訳すが、「Kraft」の自動車はオートバイをも含める意味があり、より範囲が広い単語である。1934年には団員数が1万人を超え、さらに突撃隊が長いナイフの夜事件で衰退したことで国家社会主義自動車軍団の突撃隊からの独立が認められた。
この組織の主要な任務は団員になった者に自動車やバイクの運転技術やメンテナンス技術を教えることであった。ドイツ各地の道路沿いにある自動車運転者の援助をする機関でもあった。当時のドイツでは運転技術を持つ者は大変貴重であった。
入団に際して運転免許あるいは何らかの自動車の知識が必要となることはなかった。ただしナチス党の組織であるので人種主義に基づく審査は存在し、アーリア人種であると認められなければ入団はできなかった。
第二次世界大戦開戦後は団員の多数がドイツ国防軍の兵站部隊に回された。彼らは兵站の自動車化に貢献した(しかし全体的にはドイツ国防軍の兵站は馬に頼るところがほとんどであった)。
国家社会主義自動車軍団には突撃隊や親衛隊とほぼ同様の階級が存在しており、軍団のトップは軍団指導者(Korpsführer)という階級であった。1934年から1942年に死去するまでアドルフ・ヒューンライン(Adolf Hühnlein)が軍団指導者の地位にあった。ヒューンラインの死後はエルヴィン・クラウス(Erwin Kraus)が軍団指導者となった。
戦後、連合国によるニュルンベルク裁判により「有罪組織(condemned organization)」と認定された(ただし親衛隊(SS)と違い「犯罪組織(Criminal organization)」の認定は受けなかった)。