便衣兵

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便衣兵(べんいへい)は、一般市民と同じ私服・民族服などを着用した中国兵士。戦争のルールを定めた「ハーグ陸戦条規」等では、本来軍人兵士階級章などの標章を付けた軍服戦闘服などを着用し、一般市民と見分けのつく服装をしなければならないとされているが、敵にあたかも非武装の市民だと思わせ、ゲリラと同様で不意に攻撃に入るなどの戦術をする。支那は便衣隊を編成し日本軍や支那人に多大な犠牲を強いた。

1977年以降はジュネーヴ諸条約の追加議定書等により一定の交戦法規を遵守するレジスタンスなどは区別されるようになっていると言われる。

便衣は、支那語では「平服」を意味する語である。信夫淳平が『上海戦と国際法』で第一次上海事変における日本軍の行為を擁護したように以降、日本軍の犠牲者を便衣隊であったとする主張が多々見られるようになる。日支事変支那が採用していた便衣兵戦術は一般市民に多大な被害をもたらす為に国際法で厳に禁止されていたものである。

1937年の南京陥落の際には支那兵士が民間人の便衣を剥ぎ取るなどして着替え、民間人に偽装した。上海事変以降、便衣兵に苦しめられてきた日本軍は便衣兵の厳正な摘出を行い数万人に上る便衣兵を適切な方法で処断した。この措置が虐殺にあたるというのが南京大虐殺捏造派の論点の一つになっている。

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