伊勢崎市同居女性餓死事件
伊勢崎市同居女性餓死事件(いせさきしどうきょじょせいがしじけん)とは、同居女性を餓死させた殺人事件である(2001年11月10日に餓死)。加害者の家庭が劣悪な環境であることも話題となった。
概要
事件の背景
主犯男性は1964年生まれで、年子の姉と2歳年下の妹がいた。母親による長男(主犯男性)に対する態度は一貫したものではなく、ひどく甘やかす側面がある一方で、近所に長男の泣き声が響き渡るほどの身体的虐待も加えていた。このような不安定な環境の中、主犯の男性は周囲に対して内気な態度を見せながら、自分より弱い者に対しては徹底的に痛めつけるという嗜好を育てていった。
主犯男性は普通学級では勉強についていく事は困難と判断され、特殊学級に入れられた。そこでクラスメイトとして出会ったのが、事件の被害者であった。両者とも単に勉強についていけない程度で、外見は普通学級の生徒と変わらなかった。しかし主犯男性は真面目に学校に通っていたわけではなく、不登校気味であった。
やがて、彼は家庭内暴力を振るうようになり、姉や母親の悲鳴が近所に響き渡った。主犯男性が思春期に差し掛かる頃になると、姉の悲鳴は何かを拒否するようなものに変わった(週刊誌などでは近親姦が行われていたのではないかと疑われた)。
さらに、主犯男性は自分が借りた金を払えないため、姉の身体を身代わりにし、少年達に姉を輪姦させた(下半身を露出させた少年たちの様子が近所の人に目撃されている)。両親はその間、庭に佇んでいたという。姉は精神を患い、精神病院へ入院する。この後、姉の障害者手帳が、一家の収入源の一つとなった(父親はアルバイトに従事)。
主犯男性は定職に就かないまま2回結婚し、被害者を含め4人の女性と同居していた。主犯男性は他の3人の女性に対しても日常的に暴行を行い、食事を与えないなどの虐待を行っていた。
なお、主犯男性は最初の妻との間に長女を儲けていたが、学校にはほとんど通わせていなかった。
餓死事件
- 1993年
- 被害者は加害者に呼び出され、最初の家出をした(この時は、両親と夫の手で連れ戻された)。
- 1998年
- 被害者は2度目の家出をし、主犯男性と同居するようになる。主犯男性と姉を中心にして、この後激しく被害者に対し暴力を振るい、食事をほとんど与えなくなっていく。
- 母親と姉にとっては、主犯男性が彼女に暴力を振るうことで、自分達に暴力が振るわれなくなることに安堵していた側面もある。彼女らは鬱憤晴らしで暴力を振るっていた。
- 2001年
- 8月頃
- この頃から、被害女性は一人で歩けない状態が始まり、一家は「死亡してもやむをえない」と判断する。
- 11月
- 11月に入り、彼女はひどく衰弱した状態となった。主犯男性の父親は仕事を休んで被害者の様子を観察しており、いつか力尽きて死ぬのを、ただ眺め続けていた。この頃、主犯男性は気まぐれで食べ残しの飯を彼女に与えようとした事があった。だが、受け取ろうとした彼女の手を姉が叩き、米粒は床に落ちた。拾って食べようとしても、彼女はそれすら喉に通らないほど衰弱しきっていた。
- 11月10日
- 被害女性が餓死。
- 11月12日
- 夕方、群馬県伊勢崎市消防署に、主犯男性が119番通報する。この時の主犯男性の声は落ち着いたものであったという。救急隊員が現場に駆けつけてみたところ、女性の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられていた。司法解剖では、彼女は身長158センチに対し26キロの体重しかなかった。