今福虎孝
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今福 虎孝(いまふく とらたか、? - 天正10年(1582年)10月)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。受領名は丹波守[1]。通称は善十郎[1]。子に自分の通称と同じ善十郎がいる[1]。
生涯
父は今福浄閑斎[1]。弟に今福昌和と今福昌常がおり、虎孝は長男である。虎の名は武田信虎からの偏諱と推測される。
虎孝は武田信玄に仕えて永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いに参加した[1]。信玄没後は武田勝頼に仕え、天正9年(1581年)5月に父が死去すると家督を相続して駿河久能城主となる[1]。天正10年(1582年)2月、織田信長と徳川家康により武田征伐が開始されると久能城は徳川軍の攻撃を受けて開城[1]。虎孝は麓の村松において息子の善十郎と共に自害した[1]。
脚注
参考文献
- 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3