五味岩太郎
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五味 岩太郎(ごみ いわたろう)は、幕末から明治初期の尾張藩士、養鶏農家。
七ツ寺裏門筋の御園町大下東北角に住居があった。父・吉太郎は安政年間から職芸として柵飼で養鶏をしていた武士のうちの1人だった。[1]
明治維新の直前に家督を相続し、父の養鶏業を継いだ。事業は順調で、五味は士族仲間にも養鶏を勧め、話を聞いて養鶏を始めた士族も多かった。[2]
1888年(明治21)、親戚の林浜次郎、小沢直茂、佐藤正重らとともに京都への事業拡大を企図[3]。海部種を岐阜・大垣・滋賀県・京阪地方で販売した[4]。
1893年(明治26)林、佐藤と京都に名古屋種専業養鶏場を開設[5]。
1895年(明治28)に海部壮平が死去した後、海部正秀、佐藤正重らとともに名古屋コーチンの品種改良に取り組んだ[6]。
付録
脚注
参考文献
- 入谷 (2000) 入谷哲夫『名古屋コーチン作出物語』ブックショップ「マイタウン」、ISBN 4938341972
- 藩士名寄 (NA) 『藩士名寄』第15冊(徳川林政史研究所蔵本)