上田昌雄
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上田 昌雄(うえだ まさお、生年不詳 - 没年不詳)は、日本陸軍の軍人。陸士31期生。1935年関東軍参謀、1938年ポーランド駐在武官。1940年に帰国し、陸軍省兵務局で陸軍中野学校の創設に携わり、秘密戦の概念や教育課程を考案した。1945年に陸軍省調査部長、大本営報道部長。
経歴
以下、特に断わりのない場合の出典は、中野校友会 (1978 24)。
- 陸軍士官学校31期卒業生。
- 1933年(昭和8)9月、駐イラン国日本公使館付武官
- 1934年(昭和9)8月、少佐
- 1935年(昭和10)12月、関東軍参謀
- 1938年(昭和13)3月、中佐、ポーランド駐在武官。在任中に、第2次欧州大戦の開戦に遭遇。
- 1940年(昭和15)3月、大佐。帰国して陸軍省兵務局付となり、陸軍中野学校の設立準備を指示され、軍事課長・岩畔豪雄大佐と相談しながら準備を進めた[1]。
- 同年8月、陸軍中野学校令が制定され、学校幹事に就任。「秘密戦」の体系化や、教育課程の立案にあたった[2]。
- 1941年(昭和16)10月、陸軍省兵務局防衛課長。
- 1944年(昭和19)3月、少将
- 1945年(昭和20)4月、陸軍省調査部長。同年5月、大本営報道部長。
外部リンク
- 上田博章@昭和8年.COM > 父親の偽名 2020年4月26日閲覧
付録
脚注
- ↑ 中野校友会 1978 23,24
- ↑ 中野校友会 1978 23
参考文献
- 中野校友会 (1978) 中野校友会(編)『陸軍中野学校』中野校友会、JPNO 78015730