ドイツ女子同盟
ドイツ女子同盟(ドイツじょしどうめい、Bund Deutscher Mädel)は、1930年から1945年まで存在した、ナチス・ドイツがドイツに住む未成年の少女を統制するために設立した国家組織である。略称はBDM。少年によって構成されたヒトラーユーゲントと対を成す。
訳語は一定しておらず、ドイツ少女同盟、ドイツ少女団、ドイツ女子団とも称される。
概要
ドイツ女子同盟は、もともとナチズムを信奉する少年の有志で構成されていたヒトラーユーゲントの下位組織として発足したものである。この頃は、ヒトラーユーゲントの隊長であったバルドゥール・フォン・シーラッハが監督者を兼任していた。1934年に女性党員のトゥルーデ・モールが隊長として名乗りを上げると、シーラッハは監督者の地位を降りて少年のみを管轄することになった。
ドイツ女子同盟の変貌は、ヒトラー政権の成立から3年後の1936年である。同年、ヒトラーユーゲント法が成立して全ての未成年男子がヒトラーユーゲントに編入されると、これに伴ってドイツ女子同盟も強制参加の団体へと変化した。入団の資格は、ドイツ民族の血統に属し、かつドイツの国籍を有する、10歳から18歳までの女子である。外国人は徴集の対象から外され、遺伝性の病気や障害を持つ少女についても、優生思想の見地から入団が見送られた。一方で、未婚の女性であれば18歳を過ぎても幹部として在留することができた。1937年、モールは結婚のために隊長を辞任、代わってユッタ・リュディガーが、1945年の解散まで隊長を務めることになった。
ドイツ女子同盟の設立の理念は、ドイツの将来を担う良妻賢母の育成である。ヒトラーユーゲントとは異なり、団員に軍人としての教育は施さなかった。しかし、「健康な男子は健康な女子から生まれる」というスパルタの古諺に基づき、カリキュラムは家政学ではなくやはり体育の方に重点が置かれた。また、やがて従軍看護婦として活躍できるように、応急処置の知識なども教え込まれた。このほか、式典に備えて軍歌の練習も行われた。団員は週末や祝祭日、あるいは放課後に招集されて、共同で一連の訓練を行った。さらに、団体の精神を育むため、長期休暇の際には泊りがけの遠足なども催された。
BDMの目的は上記の通り、国家の将来を担う母親を養成することにあった。そのため、頭文字をもじって「もうすぐドイツの母 bald deutsche Mütter」、「ドイツ売女同盟 Bund Deutscher Matratzen」、「ねえもっとして Bubi drück mich」といった下品な呼び名がされることもあった。
文献
- C・シュッデコプフ 『ナチズム下の女たち 第三帝国の日常』 未來社、1987年。
- 原田一美 『ナチ独裁下の子どもたち ヒトラー・ユーゲント体制』 講談社、1999年。
関連項目
外部リンク
- ナチス・ドイツの娘子軍(ヒットラー・ユーゲント「美と信念」部について)『戦ふ独逸』友枝宗達著(第一書房、1943)